Longing for spring.

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Longing for spring.

 春うらら。  暖かく穏やかな空気に包まれて、気持ちまで緩んだから、人に優しくしたいって思った。高校に進学して今までの自分とは少し違うぞって気持ちが浮ついていた。だから、勇気を出して声を出した。  いつもならこんな事、しないのに。 「あの、席、ど、どうぞっ」 「わしをジジイ扱いするなっ!」 電車内に老人の声が響き、席を譲ろうとした結月(ゆづき)は体をビクつかせた。真新しい皮革の鞄の紐をぎゅっと握って、下唇を噛んだ。怒鳴られた事が恥ずかしくて、視線を落とす。卸したての高校のチェックのスカートが電車の振動に合わせて揺れた。 「わ、私、はただ、杖を持ってるから、座ったら、楽―――」 「うるさいッ! お前みたいな小娘に心配して貰うほどわしは年寄りじゃないッ!」 満員電車で唾を吐きながら息巻く老人を周囲の人々は迷惑そうに見つめる。結月は多数の他人の前で怒られ、視線を浴びている事に恥を感じ、泣きそうな気持ちになった。 (なんで席を譲ったのに怒られるの? こんな事なら勇気なんて出さなきゃよかった) 「ジイさん。それは言い過ぎ。この子もう泣きそうじゃん」 結月の頭上から落ち着いた低い声がして、とっさに顔を上げた。 二重の目に瞳は色素が薄く、鼻は高い。クセのない黒髪。肘まで捲り上げられた制服のシャツから伸びた腕は白いが、引き締まっていた。肩幅も大きい。何かスポーツをしてそう。ビニールバックを腰の前で肩から斜めにかけていて、電車内での周囲の人々に対する配慮がうかがえた。黒のバックには西条高校バスケ部と白色で印字されていた。 (え、めっちゃイケメン。しかも、助けてくれた?)  老人は高身長のイケメンに反論しようと口を開けたが、近くにいたスーツを着たサラリーマンに「もう、やめましょう」と制され、それ以上揉めることはなかった。結月はホッと胸をなで下ろして、お礼を言おうと彼を見ると、パッと目線を逸らされてしまった。 「次は高鷲(たかわし)〜、高鷲(たかわし)〜、お降りの方は進行方向左のドアが開きますので〜」 「あ、あのっーーー」 車内のアナウンスに負けないように声を出したが、電車は止まり、出口を目指す人の波に押され、結月の声も体もかき消されそうになった。体のバランスを崩しそうになると、白く逞しい腕に肩を持たれ、体を支えられた。石鹸の香りがしてドキッとする。 「こっち」  結月は腕を持たれ、車内の人混みに流されない場所に移された。その後、彼は振り向きもせずに颯爽と電車を降りて行った。  去りゆく大きな背中を見て、結月は老人に怒鳴られた時とは違う、心臓の忙しさを感じていた。
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