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「私の脚本にも出てほしい!」
酔いの回った女子メンバーが立ち上がって理央に叫ぶ。
「え、俺?」
「イケメンの涙はダメ! イケメンの涙はダメなんだって!」
「このまま正式に入部すればいいんじゃないですか?」
「そうですよ。本沢さん、S医大でしょ? うちの大学から歩いて十分もかかんないし、余裕で参加できますって」
「いや、そう言われても、夏休みが終わったら研修漬けになるし……」
映画に興味がないなんて言えるわけもなく、理央はジョッキに口をつけてごまかした。
先生の家からコテージまで、汗だくになって戻った。最後のシーンは夕立をバックに撮影する。合宿初日から日向が言い続けていたことだった。雨には浄化の意味があるから、と。撮影を途中で抜けさせてもらった後ろめたさもあり、なんとしても日向の希望は叶えてやりたかった。
「イメトレはできた?」
「あ……」
「それ、完全に忘れてたって顔だ」
「悪い……」
「え、理央さん?」
努力の甲斐あって、撮影は無事に終了。満足げにカットを言い放った日向は、理央の隣に座り、困っている理央の顔を見て楽しそうにしている。しつこいサークル勧誘から助けてくれるわけでもなく、乾いた笑いを浮かべる理央へにまにまと視線を送ってくる。
「綺麗だと大変だね」
「黙れ」
合宿に参加して、肯定されることへの嫌悪は自分でも驚くほど薄れた。もちろん、この場限りのことだろうが、他人から褒められても右から左へ受け流せるようになった。
「本当に、すごく綺麗だった」
打ち上げの最中も部屋に戻ってからも、日向はずっとこの調子だ。
「理央さんにお願いしてよかった。勇気を出してスカウトした自分を褒めてやりたいよ」
「脅した、の間違いだろ」
「ヤンキー口調に怯まないでよかった!」
「おい、聞けよ……」
理央はベッドに寝ころび、全身から力を抜いた。機嫌のいい日向に引っ張られ、理央も元気を取り戻しつつあったが、それでも体は正直だ。疲れてまぶたが重い。
「そうだな、日向のおかげで楽しかったよ。ありがとな」
「え、どうしたの?」
「どうしたも何も言葉の通り」
日向が急いで理央のいるベッドに座る。
「疲れた?」
「その反応、失礼すぎないか?」
「じゃあ……惚れ直した、とか?」
「誰に?」と聞くと、「俺に」と言って日向が自分を指さす。
「おい、なんで惚れてることになってんだよ」
「だって最初からそんな感じだったよ」
「はあ?」
理央が口を開けると、日向はしたり顔で話を続けた。
「店から出ていくとき、理央さんって必ず不安そうに俺を見るんだよ。で、俺が会釈するとほっとしたふうに笑って、ぎこちなく帰っていくの。見送ってほしいのかな? 引き留めてほしいのかな? 可愛いなって思ってた」
「そ、れは……っ」
そう聞くと、出会ったときから日向を心の拠り所にしていたかもしれないと思えてくる。
「ちょっとは好いてくれてたでしょ?」
日向はそう言って笑ったが、理央が口を噤んでいると、ふいっと目を逸らしてしまった。
「日向?」
「この間好きだって言って困らせたばかりだけど、四日間一緒にいて、もっと理央さんを好きになった。努力家なところとか、嬉しいとか楽しいとか感情をうまく外に出せないところとか、それを取り繕うみたいに口悪く振る舞うところとか」
「や、めろ、変態か!」
「全部可愛い。理央さん、褒められると気持ち悪いって言ってたけど、あれって今も?」
日向がベッドに乗り上げてくる。顔に影が差し、理央は思わずシーツを蹴った。手に汗が滲んでくる。
「今もだよ! 何言わせたいのか知らねぇけど、俺の本性なんて根暗の尻軽――」
なんとかして空気を変えたかったが、そう簡単にはいかなかった。
「それも、見せてくれるの?」
理央はゆっくり近づいてくる影に息を呑み、危うく喉が鳴りそうになるのを堪えた。しかし唇が重ねられると、理性は簡単に理央を裏切った。指先は日向の頬に触れ、触れた唇は啄むように日向の下唇を食んだ。
「……悪い、間違えた……」
「間違えたって何を?」
日向がまばたきをする。
「俺、お前とはこれまで通りでいたいと思ってんだよ」
「え?」
「客と店員。チャンスがあったらちょっとだけ話すくらいのさ。ただ、お前の映画をどっかに出すなら、そのときは観客として観に行かせてくれ」
「理央さん?」
「せっかく話すようになったのに、もう会えないってのも寂しいからさ。前は辞めてほしいなんて言ったけど、やっぱりバイトは続けてくれよ。けど、うちの大学の通り抜けは禁止な? 校内でまた会ったりしたらびっくりすっからさ」
そう言いきってしまうと、日向の顔が視界から消えた。日向は理央の首元に顔を埋め、細く長い息を吐いた。
「ごめん……」
今日は謝ってばかりだ。
「日向?」
「理央さんさ、最後のシーン撮ってるとき、何考えてた?」
「何って……?」
「泣きながら、何考えてたの?」
汗だくでコテージに戻ってきて、慌てて撮影の支度をした。この四日間毎日座った窓際に腰をおろし、夕方の薄い雨の中で抱き合い、キスを交わす恋人たちを見守った。
「先生――のことが頭に浮かんだ」
ふいに恋人たちが両親に見えて、先生の気持ちを考えてしまった。
「そ、っか……」
こんな言い方をしたら、日向が誤解することは簡単に想像できた。きつく抱きしめられながら、言ったそばから後悔したが、理央には言葉を訂正する資格がない。
何も与えられないなら、一番近くにいたいなんて烏滸がましい考えは捨てなければ……。
「撮影、楽しかった?」
「…………」
考えるより早く、体は素直にうなずいていた。帰りたくない。そう言ってしまいたいくらい楽しかった。
「なら、よかった」
ここで日向に好きだと返してやれれば、見せてくれた笑顔の種類は、きっと違っていた。
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