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Flohmarkt【蚤の市】
さて、そうして私は次の日の朝早くから猫用のハーネスを付けられたまま狭い猫の移動用の籠に入れられAm-MainNeetにある動物保護センターで、法律に従った予防注射と猫の健康診断を受けていました。
全く何度やっても慣れるものじゃありゃしませんよ。
チクリとしたあの痛さには!
幸いな事にローゼマリーと同じ18歳という猫の年齢にしては、健康体という太鼓判まで獣医から押して貰った私は、午後一番には動物保護センターから解放される事になりました。
ローゼマリーは久しぶりのAm-Mainの町に、なんだか浮き足だっている様子です。
私達が路面電車に乗り換えて、Am-MainHbf.の中央駅に到着した時には丁度、中央駅の入り口からヘルメットをかぶった亀の一団が、中央駅からDer Kerzeturmへ向けて光ファイバーの縄をそれぞれ甲羅に乗せて出発するところでした。
空は青く晴れ、今日も雲ひとつありません。
亀達は一列に並んで歩きだし、いっせいに歌いだしました。
“KAME-com, KAME-com, KAME-com, KAME-com!”
(カメ-コム~繰り返し3回。)
“Wir sind Sildkröten,Sildkröten,Sildkröten!”
(僕らは亀、亀、亀。)
“Wir arbeiten immer langsam, langsam, langsam!”
(僕らはいつもゆっくりゆっくりゆっくり仕事するよ。)
“KAME-com, KAME-com, KAME-com, KAME-com!”
(カメ-コム~繰り返し3回。)
“Wir sind Sildkröten,Sildkröten,Sildkröten!”
(ヴィア ジンド シルドゥクルーテン,シルドゥクルーテン,シルドゥクルーテン)
“Wir arbeiten immer langsam, langsam, langsam!”
(ヴィア アルバイテン イマー ラングザーム ラングザーム ラングザーム)
“KAME-com, KAME-com, KAME-com, KAME-com!”
“Wir sind Sildkröten,Sildkröten,Sildkröten!”
“Wir arbeiten immer langsam, langsam, langsam!”
…と、何とも気持ちよさそうに歌っています。
彼等は今日の日暮れまでに蝋燭塔に着いて、蝋燭の天辺に光ファイバーで赤い電子炎を灯すのが仕事です。
夜のAm-Mainの町に灯る蝋燭塔は、この大都市の夜を象徴する明かりなのですよ。
この大都市のどこからも見えるこの大きな蝋燭は、見る人をいつもホッとさせます。
亀の行進を見送った後でローゼマリーはある看板に気が付きました。
Flohmarkt
そう書かれた看板は、Am-Main Hbf.から正面のBasilia Str.にかけてびっしりと立て掛けてあって道行く人々を誘っています。
気が付くと南の方から中央駅へと歩いてくる人達の中には、いかにも蚤の市帰り、といった感じのカラフルな風船を持った子供連れや、古びた椅子や額縁や絨毯などの大きな荷物を抱えて、掘り出し物を見つけたとういうドヤ顔の面々も混じっていました。
「ラニイ、なんだかおもしろそうだわ。蚤の市なんて久しぶりじゃない?せっかくAm-Mainまで来たんだし、一寸寄り道していきましょうか?」
ローゼマリーも浮き足立って来たようで、籠の中の私に向かってそう言いました。
…とはいえ、もう彼女の足は蚤の市の会場に明らかに向かっているのですけどね。
“Ist mir doch egal. Schnurre Schnurre Miaaau.”
巨大なアリの巣迷路のようなAm-Main Hbf.を南に向かって、てくてくと歩いていくと、すぐにDer Maaaa川の岸辺に出ます。
帝国自由都市Am-Mainの真ん中を堂々と流れる、この川は昔から国際貿易河川として、誇り高いこの都市へ沢山の物資と繁栄を運び続けてきました。
Die Maaabrückeを渡って中央駅の反対側の川の岸辺に出て、暫くそぞろに歩いていると私達の目的地のDer Flohmarktが開催されています。
「蚤の市で掏られた財布は中身だけ抜かれて、そのまんま蚤の市の露店先に並んでいるのよ」
と、何時だったか私の友達猫のNalaが、私に話してくれていた事が有りましたが、このDer Maaaa川の河川敷で行われている蚤の市には二束三文のガラクタから思わぬ高額の貴重なものまで、いろいろな品物が並んでいます。
籠の中からこっそりと顔を出して私ラニイも様々な露店の様子を観察していましたとも…
蛇口ばかりが並んでいる店。
古い靴が並ぶ店には片方だけの靴まで売っています。
古着屋。
古い家具。
木のスプーンや俎板や木製大型深皿。
こんな場所では、どこでも見かける大きな丸い吊り下げ式の鉄板で腸詰を焼いてからコッペパンに挟んで売るお店。
古めかしいチェロを大事そうに抱えて演奏する小柄な芸術家。
そのまま飛んでいきそうなくらいの沢山の量の風船を体に巻き付けて歩く風船売り。
usf. usw.本当に、どれも見ていて飽きません。
“Die Katze im Sack kaufen.”というのは、まさにこの場所にぴったりの言葉ですね。
浮き足立った人々が、よく考えもせずに品物を次々と買っていますよ。
只でさえ狭い道は、ごちゃん、ごちゃんに張り出した露店と掘り出し物を求めて、ゆるゆると歩く人達でごった返し私達も殆ど身動きが取れない状況でいます。
そんな時、何かに驚いたようにローゼマリーが立ち止りました。
なんだろう?と、私も釣られて思わず籠の中から体を半分出して彼女の視線の先に在る物の正体を確認するために、猫の目を細めてから獲物を探すように鋭い瞳で外の世界を覗き込みます。
すると…。
その姿は、とても目立っていました。
彼は私達の数歩前で止まっていて、他の蚤の市の客達と同じように露店の品物を見ている様でした。
ただ、なんというか普通の人達とは、やはり少し違っていました。
金色の線が釦代わりに縦一方向に入った真っ黒な上着の下に真っ黒いズボンを履き、肩幅は広いので、やはり男性というのは解るのですが全体的に細身で背がとても高い筈なのに、この国の男の人に比べると随分と華奢な感じがします。
右手には細長い棒が入っているのであろう紫色の袋を、金色の飾り紐で口の部分をきつく縛った物を持っています。
そして髪の色はどこの店で染めたのかと思うほどに、鮮やかな黒で癖もなく真っ直ぐで一本一本の髪の毛が細く絡まりもせず河から吹いてくる風に、さらさらとなびいていました。
どこの国から来た人間だろう…。
Der Asiatには間違い無いのですが…。
それが初めて彼を見た時に、私、ラニイが思った事でした。
まあ、猫の一般的な感情です。
この国際都市Am-Mainでは、外国人を見る事は珍しい事ではありません。
初めて見るような、珍しい民族衣装を纏った人々が行き来するAm-MainHbf.からも程近いこの場所では観光客を含めて沢山の外国から来た人々を見る事があります。
でも、立って居るだけでその場の空気が二度ほど下がったように冷んやりと感じさせる存在感を纏った人物というのは外国人慣れした、この都市の人々でさえ物珍しいのか擦れ違う人々は皆、彼の方をチラチラと横目で見て通っていたのでした。
その青年が足を止めて見ていたのは化粧漆喰で作った置物や古い食器や燭台や、絵の入っていない金色の植物や人物でゴテゴテに装飾された金色の額縁や、化粧漆喰で出来た人物のレリーフタイルなどを扱う露店で、店の真ん中には目玉商品なのか、やはり金色のメドゥ―サーと植物の飾りで囲まれた古い大きな鏡が置いてありました。
立ち止り鏡を見ている異国の青年を言葉が通じないと思っているらしい店主はそのままにして、他の客に向かって熱心に金箔が施された石膏製のライオンの置物についての説明をしています。
私達の視線に気が付いたのか、それとも気付いていなかったのか不意に青年の肩が揺れました。
振り返って目が合ってしまった青年を見て、ローゼマリーは驚いたそうです。
それは、青年が今迄見た事もない服装をしていたのが珍しかったのと吸い込まれそうな程の黒い瞳と炭の様に黒くサラサラと細く流れる髪の毛のせいだと後になって私に向かって、しつこいほどに語ってくれるのですが、まあ、それだけで無いのは、このラニイには、もちろん解っていましたとも。
“Ist mir doch egal. Schnurre Schnurre Miaaau.”
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