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Tönenger haus 【トーネンガー館】
「Muff 気持ちがいい。本当に今日はいい天気!」
ブリュネンシュタインの町は今日も平和です。
青い空の中、また一台のDie F-Bahnが Am-Mainの方向から上空へと昇っていきます。
今度のDie F-Bahnは上半分が銀色、下半分が青色の結構見慣れた車体です。
また反対側からも、もう一台これも割とよく見かける白地に細長い赤い帯が一条、描かれた機体のDie F-Bahnが高度を落としながら、この町の空を走りすぎていきます。
「あらま、月に数回しか見ないDie F-Bahnを今日に限って一日に三台も見ちゃったわ!なんだか、すっごい事が起こっちゃいそうだわねぇ。ist mir doch egal Muff.」
ふと、浮かんだ考えを特に意味もなく、そのまま独り言にして呟き石畳の Kellner-Str. の真ん中から、お店の方を振り返ると、白壁から向かって右手のチョコレート型に区切った窓越しに、お客様とお話しをしながら、お菓子の入った紙袋を手渡しているローゼマリーの横顔が小さく見えます。
Tönenger haus と呼ばれるこの建物の地上階は、広場に面した石の階段を4段上って大きくて重い樫の木の玄関ドア、この扉はお店の開店時間から閉店時間までは寒い時期じゃない限り、とっても重いとの理由で、来て下さるお客様方のために、たいていは開きっぱなしになっています。
向かって玄関エントランスの、すぐ右側の硝子扉の向こうがコンディトライのお店部分。
大きなガラスケースにおいしそうなDie Kuchenが、ずらりと並んでいますねぇ。
基本的にコンディトライは、ただのDas Caféとは違って免許を持ったDer Konditorのお菓子を販売するのが目的のお店なのですが、それでもお店の一角には申し訳程度の木製のカウンターのテーブルと6脚の小さな椅子があってEin Stück Kuchenを、ここの場所で、どうしても食べたいお客様達がコーヒー片手にほんの少しだけ、くつろげる空間になっています。
その奥はハンネローレのコンディトライ用の仕事場、そして先ほど説明した通りの外から、お店へ入る入り口の楢の木の玄関ドアを通ってエントランス部分をまっすぐ行った奥には館の住居部分へとつながる、こちらはやや小ぶりで一面に装飾彫りの施された同じく古い楢の木のドアが小ぢんまりと構えているんです。
そして厚い壁で店舗部分と仕切られた住居部分ではドアのすぐ後ろに螺旋になった木製階段、その向かって左側に二人の住居用の小さな Die Küche その奥に Das Badezimmerと、いった水回りが集約されています。
ローゼマリーとハンネローレは、この地上階の Die Kücheで料理を作って階段を上って上の階へと毎回の食事を運んでいるんですよ。
ちょっと大変かな、でも生まれた時から毎日そうなので、もうそれが当たり前なんです。
“Ist mir doch egal. Schnurre Schnurre Miaaau.”
そしてちょっぴり広すぎるこの館は、Das Erdgeschoss 、
Der Erste Stock、Der Zweite Stock、Das DachgeschossにDas Kellerから構成されています。
一階部分には昔この館が華やかだったころ広間と客間に使っていた部屋達があるのですが、現在は丸々空いていて古い家具には白い布が掛けてあり、その上、少し埃っぽくなってしまっていますねぇ。
ハンネローレは、このDer Erste Stockを、ゆくゆくは賃貸の下宿部屋にするか、はたまた増え始めた常連のお客様達専用の喫茶の楽しめる Der Salonとして改装したいと目下のところ日々考え中。
そしてその上の二階から、その上の小さな屋根裏階までが今はローゼマリーとハンネローレと私ラニイの、二人と一匹が住む住居空間。
ちなみに地下室は洗濯場と物置になっています。
でも、でも、やっぱり少しこの家はローゼマリーとハンネローレの二人とラニイ一匹には広すぎるくらい。
もともとはベッケンバウワー家とトーネンガー家の二つの家族が、一緒に住むつもりの館だったから、この広さも丁度良かったんですけどねぇ…。
全く運命とは時に残酷なものです。
“Ist mir doch egal. Schnurre Schnurre Miaaau.”
ちなみに Herr JonasTönengerは、ローゼマリーのお母さんのアンナ・ベッケンバウワーの妹であるハンネローレの旦那様の名前。
ものすごく腕のいい Der Konditorでした。
だからハンネローレの本名は、Hannelore Tönengerといいます。
ヨーナスは結婚してしばらくして突然の事故で亡くなってしまったので(だからハンネローレは未亡人です。あの若さで…)それまで看護婦として働いていた、やっぱり未亡人だった肝っ玉母さんアンナは、このトーネンガーハウスに移り住んできます。
そして夫の後を継いで店を必死で経営し始めた半人前のコンディトリンのハンネローレを援助しながら、その上まだ小さかかったローゼマリーとハンネローレの生まれたばかりの娘のPatriciaを育て上げ。
そんでもって、さらにさらに沢山の患者達の面倒を見ながら姉妹で力を合わせて、この館の切り盛りをしてきたのです。
そして、そんな働き者母さんアンナが急な心臓の病で亡くなってからは、ハンネローレとローゼマリーという叔母と姪の細腕二人で力を合わせて、この館と一階のお店を切り盛りしているのです。
あっ…ちなみにPatriciaは、いまお菓子の勉強をするために、お隣の国に留学中ですよ。
さてさて…っと、さっきまでローゼマリーと私が休憩時間を楽しみハリネズミハンスと立ち話していたDer Hofでは、植木鉢の中で芍薬が申し訳程度に咲いていましたが、お店を抜けて正面からこのトーネンガー館を見ると少しばかり背筋がシャンと伸びた気がします。
なぜなら、のんびりとしたDer Hofの雰囲気とは打って変って、その中央に黄金で出来た獅子が、てっぺんで厳めしく光って睨みつけくるKaiser AdolfPlatzに面した、この館を正面から見ると、それはまるで芸術品のように立派で気高く美しいからです。
代々のトーネンガー家が受け継いできたこの館の形状は、妻入り配置となっていて、梁間は雪のように白く繊細で伝統的な模様に装飾された形に切り出され黒い梁で支えられた典型的な Der Brunnenissyer Fachwerk häuser ですが、深い緑と土色で館全体に散りばめられた Die Reichsten Schnitzornamentikは、紋章や孔雀に怪物の顔や海の精達に植物に魚達が貼り付いていて整然と並ぶうろこ屋根の上の Die Wetterfahneには、やはり海の精が切り抜かれています。
…と、いってもこのBrunnenissyの町は、まあ、はるか北の方にある海からは、かなり遠くに位置しているんですけどねえ。
さあて、今日はお天気もいいし気分も何となく浮かれてきたし、どうせだから散歩がてら私達の住んでいるこのBrunnenissyの町を案内いたしますね。
“Nun,Jetzt geht‘s los!Ich bummle durch meiner Stadt.”
(さあ、今からいきましょうか、町をぶらつきますよぉ)
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