憲兵の尋問

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憲兵の尋問

 翌日、椿は近衛に連れられて家族の前で紹介された。痛みは多少癒えたものの、椿は近衛の家族と目が合った途端逃げ出したくなった。  これは転校の時にする自己紹介とは桁違いなほど、物凄く緊張する時間だ。  近衛の妻らしき女性がにっこりしていてる。お腹が膨らんでいて、子を身篭っているらしい若い女性と自分と年相応の少年は好奇心に溢れた顔で見てくる。  それと比べて昭子さんの視線が氷のように冷たい。三対一の間で温度差が激しすぎる。  「こちらは妻の千代子で、右から、長女の昭子、次女の温子。そして今は弟の養子として出しているが、次男の道隆だ。付け加えると長男は今アメリカで留学している」  「初めまして、よろしくお願いします」   頭を下げる一同に硬い笑みで応じながら、椿は緊張による手汗を裾で拭った。  「えーっと、氷室 椿です。話せば長いんですけど、未来からやってきました」  周りには笑顔を向けているが、昭子の視線から逃げるためにできるだけ簡単な自己紹介に済まそうとしたが、昭子の素っ気ない反応以外、他の皆は明らかにもっと椿と話したがっている様子だ。  「趣味は何ですかー?」  温子が目をキラキラさせながら質問した。続いて通隆も「未来の日本はどうなるの?」と聞いてくる。  「こらこら、椿は疲れてるからまた後にしなさい」  「えー!」  近衛が自分の体調を気遣ってくれるのが有難い。間も無くこの場から離れることを考えるだけで、椿は少し筋肉を緩ませることができた。  「じゃあ次いつ話せるのさ」  通隆の問いに椿は近衛を見上げた。近衛も椿の目の感情を読んで、肯定的に頷く。  「私が寝ていなかったら、いつでも大丈夫ですよ」  「やった!」  椿の答えを聞いて温子と通隆は嬉しそうにはしゃいだ。椿は昭子さん以外の方々となら、上手く付き合えそうな気がした。    その時、質素な着物を着た女性が大急ぎで部屋に転がり込んできた。とんでもなく取り乱している。  いつも冷静な千代子はそれを見て、女中を落ち着かせようとその肩をさすった。  「どうしたのトクさん、そんなに慌てて」  しかし、トクさんの視線は真っ直ぐ椿に注がれている。何か自分と関係することがあるのが、椿自身も固唾を飲んだ。  「...憲兵です。その子に用があって、今玄関にいらっしゃってます」    あの憲兵達はまだ自分を掴んで離さないのか。ドラマ通りのシナリオに、椿はどことなく絶望と苛立ちを覚えた。  しかし、ここで出なければ更に恐ろしい疑いをかけられるかもしれないし、そうなれば近衛さんにまた迷惑をかけてしまう。    近衛家とおさらばになる覚悟をしながら、椿は身を引き締めた。  「行きます」  一方近衛は憲兵の突然の訪問に不快感を感じた。自分は確か椿の怪我が治ってから尋問させる許可を与えると言っていたはずだ。  「すみませんが、玄関まで案内してくれますか?」  椿の凛とした、鋭く澄んだ目とぶつかって、近衛は心の底から少女の勇気に感心した。    憲兵の来訪を受けて立つ椿の事を、昭子以外誰もが心配げな目を向けてくる。  「大丈夫かしら...」  背後で不安そうに囁き合っている声を背中に残しながら、椿は近衛の後を黙ってついていった。  椿はまだ荻外荘の内装を全部見ていないが、団欒の場から玄関までの短い道のりを見る限り、ここはとても広い所だと分かった。  部屋が多く、襖がちょっと開いてる所を覗けば、中は天井が高く、豪華な家具が配されている。現代でもよく見る、和洋折衷と言った感じなのだろうか。    やがて玄関に着くと、近衛は一度椿に振り返った。  会って間もないこの少女を、どう言う訳か自分は強い保護欲を感じている。ここで憲兵に渡したら二度と帰ってこなくなるかもしれない。  それに椿には今まで、感じたことのない感情を抱いてしまった自覚は近衛にあったのだ。  「僕がついていこうか?」  「いいえ、大丈夫です」  椿は下に降りて、引き戸の取手に手をかけた。  「これは私の問題です」  引き戸が開き、外にいる憲兵がすぐさま敬礼をした。こないだ椿を追いかけ回した二人のうち背が高い方だ。  引き戸を開けたのは椿だと気付いて、長身の憲兵は険悪な表情を浮かべた。  「おはようございます。誠に申し訳ない事ですが、首相殿のご指示が下さらぬうちに参りました」  意外にも、憲兵側もこの訪問の唐突さが分かっているらしく、椿も近衛も言葉を失った。  「上の方がどうしても、急ぎで調べてこいと仰ってたもので」  憲兵の言葉に、近衛は一瞬ながら太い眉を歪めた。軍人はどうしてそんなに性急なのか、意味が分からない。...やはり軍人は気に食わん。  「早速始めても大丈夫でしょうか」  近衛は椿を見る。椿は膝がかくかくするぐらい怖かったが、意を決してこっくり頷いた。  「...どうぞ」  「手短に済ましたいので、場所はここでも大丈夫ですか?」  「玄関で?」  椿は思わず口を挟んだ。てっきり監獄で長時間に渡って、冷たい水をかけられながら延々と尋問される事を想像していたのに。  「構わないよ」  近衛は心の中で椿の無事を祈りつつその場を後にした。    「で、貴様の名前から聞こうか」  憲兵は几帳面に鞄からノートと鉛筆を取り出し、一人ずかっと上がりに座って、悪い事をした子供のように立たされている椿に質問した。  「氷室 椿です」  「...書け」    渋い憲兵の顔には、「俺は漢字が苦手だ」とはっきり書いてある。  ペンとノートを押し付けられて、椿はページの上側に丁寧な字で自分の名前を書いた。  「前回、東京駅の前で武器のようなものを振りかざした不審な少女がうろついていた件は、貴様で間違い無いな?」  憲兵が何かノートに走り書きしながら、鋭い目つきで椿を睨みつけた。  「...武器ですって?」  武器らしいものを持ってた覚えがないけど。  「とぼけるな、小さな光る何かだったという証言が実際にあった」  生真面目な表情でおかしな事を言われ、こんなピリピリした空気の中だと言うのに椿はたまらず吹き出した。  「何がおかしい!」  憲兵は逆上にして、声を押さえつけて椿に怒鳴り散らした。  「貴様は国民の命を脅かしたのだぞ!恥を知れ!」  「武器ってスマホですか?」  それに対して椿は余裕の表情を浮かべ、スッと胸ポケットからスマホを取り出した。  「お、おい。何をするつもりだ」  憲兵は椿の行動に狼狽して、大きな体を少しだけ縮めた。青ざめた顔で、一刻も椿の手の中にあるスマホから視線を外さない魂胆だ。  「武器じゃないって、証明するんですよ」    その頃、近衛は椅子に深くもたれ、頬杖をつきながら今行われているであろう椿の尋問をずっと考えた。  昭子は自分の部屋に戻ったが、ここにいる自分の家族も皆そわそわしている様子だ。  華族はまだしも、平民、まして未来から来た椿は当然怪しいと軍に見做される。  その為短時間で済むとは言われたけど、やはり心配でたまらない。    「ハハハハハっ!!何だこいつ!!」  静寂を破るように、玄関の方から男の爆笑が響いた。他ならぬ、先程の憲兵の声だ。  何事だろうと、家族みんなで不安げに顔を見合わせた。  「見に行きましょう」  温子が先頭に立ち、皆で椿の様子を覗き見することにした。  忍足で玄関に近づいて、階段の陰から顔を出すと、目の前の異様な光景に皆が目を見張った。    憲兵と椿が並んで上がりに座って、小さな光る何かを囲んでいる。そしてそれを見ている憲兵が大笑いしているのだ。  「おい、こいつ!赤い点を追っかけてやがる!!」  「猫だからねー」  二人が見ているのは、みーちゃんが赤いレーザーの点を追いかけている動画だった。素早く動くその赤い点を、どれだけ早く動こうとしても猫は永遠に掴まれないのだ。  「待って可愛い、面白すぎ」  憲兵がその場で笑い転げた拍子に、偶然にも様子を見守っていた近衛一家と視線が合った。  その瞬間、憲兵は風の速度で姿勢を正し、先と違う人のようにすぐ厳粛な表情に取り替えた。  「し、失礼いたしました。尋問は終わりです」  先見た光景があまりにも衝撃すぎて、近衛はやっとのことで反応した。  「ああ、ご苦労様」  「ヒムロ ツバキは武器を持っていません。“スマホ”と呼ばれたものは、とても面白い道具です」  一心不乱に憲兵はノートに書き綴りながら、そう呟いた。  「これで疑いが晴れました。報告書を提出すればもう尋問されることはありません。ご協力本当にありがとうございます」  憲兵は深々とお辞儀をして、引き戸を引いて外に出ようとした。  「貴様もありがとうな、ヒムロ」  去り際に憲兵は椿を呼んだ。椿を見るその吊り上げた鋭い目が、微かに笑みを湛えている。よく見たら憲兵はとても端正な顔立ちをしているのだ。  「俺の名は近藤 頼通だ。また今度会ったらそれを見せてくれよ」  そう言い残して近藤は外に出て、引き戸を閉めた。  先までの喧騒が嘘のように消えて、重たい石を降ろしたように、ここにいる皆の緊張が一斉に緩んだ。  「ねえ!何があったの!」  温子が耐えきれず椿に聞いた。あの厳つそうな憲兵を笑わせた、この“スマホ”と言う物について知りたがっているみたいに。  「後で話しましょう...」  今答えるより、とりあえず疑いが晴れた事が何より良かった。  椿と同じ思いの、近衛もまた胸をそっと撫で下ろした。
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