学校

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   そして朝の6時がやってきて、予めスマホでアラーム設定しておいた椿は警報のけたたましい音と共にバッと体を起こした。  「ねみぃ」  寝ぼけた目を擦りながら、椿は制服に手を伸ばした。  今日から普通の人なら誰も行ったことのない超難関の学習院に通うことになるのだから、第一印象を良くした方が良い、そう思った椿は洗面所で冷水を浴びて脳を覚醒させた。  結局今日未明、自分の部屋で寝落ちたのか、客間で寝てしまったのか分からない。でも、誰かの腕に抱えられていた感覚は、なんと心地良かったことか。  「おはようございます」  椿は廊下ですれ違う一人一人と朝の挨拶を交わした。屋敷の中はすっかり正月気分で、活気付いている。  まもなく昭和時代で過ごす最初の正月を迎えるのか、少しばかり現代への恋しさを覚えたが、今はここで過ごす事の方が大事だ。  毎日が楽しいし、新鮮さに溢れているし、椿は少しずつこの時代を好きになり始めたのだ。  皆が集まっている部屋に行くと、椿が挨拶をする前に近衛が「おはよう」と言った。隣で千代子も和かに椿に微笑みかけた。  「椿さんの制服姿、とても可愛らしいですね」  「うおっ、女子ー」  椿を見上げた通隆も学ランを着込んで、そしていかにも「お前女子だったのか」と語ってる目で見てくる。  「ありがとうございます...」  はにかみながら椿は自分の席の前に置かれた朝食を見た。味噌汁に魚の料理、自分は朝パンしか食べないので、朝食に和食を頂く事は珍しいだった。  「頂きます」  椿は丁寧に手を合わせ、焼き鮭を小さく切って口の中に運んだ。ちょうど良い焼き加減のその鮭はほろ甘く、とても美味しかった。  その時、女中のトクさんからドンと風呂敷に包まれた何かを渡され、椿は目を瞬いた。  「あの、これは」  「弁当だよ。お腹が減ったまま午後の授業するつもり?」  揶揄うかのようにトクさんは椿を見た。通隆もついでにと「あほんだら」と言うと千代子に頭を叩かれてしまった。  「ありがとうございます!」  有り難く受け取ったその弁当を、椿は傾かないように気をつけて学習院の学生鞄の中に仕舞った。  しかし、椿はこの貴族の家で生活させてもらっている以上、何も恩返ししないのは憚れる。そう考えた椿はある提案をした。  「すみません、これからは自分の朝食は自分で作っても良いでしょうか」    この言葉に一同が目を丸くして椿をガン見する。特にトクさんは自分が作った物は不味いのかと、ショックを受けている表情をした。そして誤解を招かないように椿は慌てて説明した。  「私はただ自分で出来ることは自分でして、皆さんが楽できる時間を増やしたいです」  椿の弁解に一同が「ああ」と理解を示してくれた様子だ。中でも千代子とトクさんは感心したように椿を見つめる。  自分でも弁当を作ったことが何回かあって、味もまあまあ行けるから大丈夫だと思った。  「通隆、あなたも少しは椿さんを見習いなさいよ」  「気が向いたら自分でもできます」  母親が言うと通隆は冷静に眼鏡を押し上げるが、ツンとしたその表情が子供っぽく皆の笑いを誘ってしまった。  そして笑いが収まった頃、ナプキンで口を拭いて近衛が席から腰を浮かせた。  「さて、そろそろ行くか」  これを合図に椿は身を硬くした。もうすぐ学校に行って挨拶する時が来るのか、椿は緊張感が高まってくる感じがした。  「はい!」  初日だから、椿は近衛の車で学校まで送ってもらうことになった。近衛も忙しいはずなのに、自ら進んで椿を送ると言ったものだ。  固く唇を結んでいる椿と違って、側の黒い学生帽を被った少年はリラックスしているように本を読んでいる。    次に後部座席ではなく、助手席に座った近衛は後ろにいる子供二人に振り返った。  「もうすぐ着くよ」  それまで窓の外ばかり見ていた椿がハッと反応し、気をつけをするかのように座り直した。  次に椿の視界に飛び込んできたは、鉄の門の外に複雑な漢字で書かれた「学習院」と言う看板を掲げた、今まで見てきたどの学校よりも広く、そして古風ゴシックな大きい校舎だった。    自分と同じ制服を着た女子たちが楽しそうに喋りながら校舎の中に入っていくのを見て、緊張で椿は思わず鞄を抱きしめた。  近衛はそんな椿の様子に気付いて、少女を励ますような笑みを浮かべた。  「初日は皆緊張するもんだ」  まだ不安が拭えないのかと悟られて、椿はほんのり赤くなった顔を背けた。  「だ、大丈夫ですって」  「なら良いが。通隆、椿に案内してあげて。今日から君たちは学友だから」  「はい」  近衛が言うと、通隆は読みかけの本を鞄にしまって頷いてみせた。  「おーい、通隆ぁー!」  その時、何処かから道隆を呼ぶ声が聞こえた。見れば校門の前でこちらに向かって大きく手を振っている男子がいる。  「少し話してくるから後で来いよ」  友達の姿に気づいた通隆が鞄を持って、小走りでそちらに向かった。  そして近衛と椿の姿見えない所で、その友達がニヤニヤしながら通隆に尋ねた。  「先お前と一緒にいたあの可愛い女子は誰だ?」  「ん?親戚の子だぜ」  「へー、通隆の許嫁かい?」  その言葉を聞いた通隆は顔を赤くして、恐ろしい形相で友達を追いかけ始めた。  「あんな頭悪い奴が許嫁になるものか!」  「よしっ、行きます」  意を決して、椿は足を一歩前に踏み出した。近衛は少女の細い眉に浮かんだ思い入った決心を見て、改めて椿の凛とした雰囲気に感心した。  「午後3時には二人を迎えに来るからな、今日終わったら正月休みだ、頑張れ」  どこか楽しみにしているように近衛は言い、椿も休みが大好きだから少し気が楽になれた。  「ありがとうございます。近衛さんも頑張って下さい!」  拳を握りしめてガッツポーズを作った椿を、近衛もそれを真似てお互い笑い合った。  「では」  「では!」  遠ざかっていく黒い車の姿が見えなくなるまで、深い感謝を込めた眼差しで椿はその場で見送った。  不意に校舎側からベルの音が鳴り、椿は飛び上がった。時は既に8時を過ぎている、朝の挨拶は8時10分だと聞いたから急がないと。  「やばい遅刻しちゃう」  椿は大急ぎで通隆の方に向かって駆け出した。通隆は「お前は失せてろ」と膨れっ面をし、椿に気づかれないように友達を追いやった。  「僕たちは三年二組だ、忘れるなよ」  「忘れるって、自分のクラスぐらいちゃんと覚えるよ!」  少年と口喧嘩しながら、棟に入った椿は三年二組の木製の靴箱の一番下に革靴を突っ込んだ。  その時、自分と同じ大急ぎな足取りで靴を履き替えている女の子がいた。偶然な事に、その子も三年二組の靴箱を使っている。    椿に見つめられて、目尻が下がり気味のその子も椿に振り向いた。走って学校にきたのか、女の子の呼吸が少し荒い。  「同じ三年二組..ですよね?」  椿の問いに女の子は頷き、二人とも時間が迫ってきているのに女の子は興味深そうに椿を眺めた。  「井口、また遅刻しかけたのか」  「見ない顔ね、あなたはもしかして新入生?」  通隆の言葉を無視して、女の子は椿を見たまま続いた。  「うん」  「髪が短いね、質は良いのにどうして伸ばさないの?」  おいおいどうしてクラスメートの確認から髪の話に飛んだのさ、椿は苦笑いをしながら答えた。  「洗うのが面倒くさいし運動しやすいためだよ」  「へえ〜」  この女の子はどこか浮いている、周りに無頓着と言うか、現代の言葉で言ったら不思議ちゃんっぽい。  井口さんにシカトされた事に対し、通隆は不満を覚えたようだ。  「あのなっ『そこの君たち、授業はあと5分で始まるぞ』  廊下から眼鏡をかけた若い男の先生がこちらに呼びかけた。ビシッとした黒いスーツに、七三分けの茶色い髪をしたその先生は呆れたように腰に手を当てている。  「あっ、鈴木先生すみませーん」  女の子はゆっくりな動作でお辞儀をした。椿と通隆もそれに倣って頭を下げた。  すると、椿の顔を見た鈴木先生が微かな笑みを作った。  「君は新入生の氷室さんだね?」  「はい」  「ようこそ学習院へ、私は君のクラスを担任する鈴木明雄だ」  うわお、いきなり担任とご対面だ。椿は自分の第一印象が上手くいったかどうかわからない。  「時間ないので、三人とも教室に行きなさい」  「はーい」  鈴木先生と女の子、そして通隆の後ろに続いて、椿は新しいクラスに向かった。
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