来客

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来客

 屋敷の駐車場に入ったのを見て、どう言う訳かトクさんが大急ぎでこちらに走ってくる。  「トクさん!今日のお弁当めっちゃ美味しかったです!ありがとうございました!」  椿は慌てる女中に向かってと叫ぶと、トクさんは一瞬感謝の笑顔を見せたがすぐ硬い表情に変わった。  「中学生のお二方、早く着替えを!」  「き、着替え?」  とぼける椿を後ろから押し除けて、通隆はとっとと玄関の向こうに消えていった。  「え、どゆこと?」  訳が分からず立ち尽くしていたら、近衛が椿に声をかけた。  「トクさんと行きなさい。15分後に来客がここに訪れる」  「はっ、はい!」    弾けるように椿はトクさんの後を追いかけた。広い屋敷の中は召使い達が忙しく掃除をしている。  何だこの大騒ぎと驚きながら椿は、危うく棚の埃を払っている千代子にぶつかりそうになった。  「ごめんなさい!」  「いいえ、こっちも急な仕事をさせてすみませんね」  千代子が頭を下げて再び掃除に全力を注いだ。確かに偉い客が来て、そんでここにいる皆はその人たちを招待する仕事をこなすのだが...  「椿さん!」  奥の部屋からトクさんが手招きしてくる。その部屋に入ると、何と髪をぴったり後ろに撫で付けてる通隆に出会した。  黒いタキシードに蝶ネクタイと言う洗練された格好に、椿は思わずそれを指差して大きな笑い声を上げた。  「どうしたんそのホテルマンかホストっぽい格好、超うける!」  「...誰がホテルマンだ」  不機嫌そうに吐き捨て、通隆は足音を響かせながら部屋から出た。  「いや、あれは凄かったな」  目から涙が出るほど大笑いする椿を、トクさんが冷めた目で見つめる。それに気づいた椿は恥ずかしい思いに駆られて口を噤んだ。  「あーー、笑えなかった?」  「椿さん、あなたもこれを着るのよ」  トクさんが後ろから引っ張り出したのは、通隆と同じような黒いタキシードだった。  「...はい?」  呆気にとられて椿はトクさんとタキシードを交互に見た。しかしトクさんの表情は至って真剣だった。  「男装をしろっと?」  「そうよ」  これを聞いて、椿は顎が外れそうになって慌てて我に返った。  第一、ただ料理を作ったり運んだりするとしたらこんな整った服装を着ないし、もっと動き易い服のはず。そもそもこんな和風の屋敷に洋装のタキシードが合うとも思えないし。  「どっ、どうしてですか?」  「説明する暇はないわ」  問答無用でトクさんが椿にタキシードの袖に腕を通させ、冷たいジェルを付けて髪の両サイドをしっかり押さえた。  ただ困惑する一方の椿を鏡の前に立たせ、トクさんは素晴らしいと言わんばかりに手を叩いた。  「あなたは通隆様と背丈が同じでよかったわ」  「は、はあ...何だかよく分かりませんけど...」    鏡の中から、髪をオールバックにした女子が扮する綺麗な男子がこちらを見つめ返してくる。まるで宝塚の男役をしている気分で、違和感を感じた。  「あなたたちは下がってて」  召使いのリーダーであるトクさんはそう言うと、先まで忙しく働き回った人たちは急いで奥の部屋に引っ込んだ。  「さあ!急いで!」  一箇所で長く止まりたくないかのように、トクさんは椿を引っ張って玄関の外に出た。  「全員揃ったか」  黒いスーツを着込んでいる近衛が後ろに振り返って、強張っている面持ちの中に男装している椿の姿を見つけた。椿もまっすぐ近衛を見ている。  服装のせいか、今の椿はあどけない少年のように見えるのだ。  元々髪も短いから整えやすく、共存する可愛らしさと凛とした颯爽とした雰囲気を醸し出している。  「うむ、これなら文句を言われないはずだ」  椿は目で近衛に問いかけたが、それっきり前に向いたまま喋らないので仕方なく通隆に耳打ちした。  「これどう言うこと?」  「外国からのお客さんが来るんだ」  「が、外国?!」  一際大きな声で叫んでしまった椿をトクさんや千代子が「シーッ」と宥める。  て言うか、英語が苦手な自分はどうすればいいのさ。  「その方は女の子供を嫌いの上、タキシードを着た男子が好きだと聞いた」  「なるほどねえ...てか、趣味悪いな」  「そうだ、挨拶の言葉はGuten Abend、忘れるんじゃないぞ」  「ぐっ、ぐってん??」  普通英語だったら「Hello」とか「Good Afternoon」とかじゃないの?  「ドイツ語でこんばんはと言う意味らしい」  胸の中で広がる戸惑いの嵐に巻き込まれそうになっている椿を見て、通隆は白目を向いてもう椿と口を聞こうとしなかった。  「やってきた」  荻外荘を守るガードマンが門を開け、一台の黒いベンツが滑るように駐車場に来た。  好奇心が高まってきて、椿はつい車から降りてきた恐らくドイツ人であろう外国人の姿を探した。  「Guten Abend!」    その時、椿以外の人達が声を合わせて挨拶を唱えた。合図もなかったし椿だけ反応できず、慌てて口パクだけで挨拶した。  ベンツのマークをつけたその車から、でっぷりした体格の男が降りてきた。  黒の軍装のその男もふさふさの口髭を震わせ、右腕を高く挙げて「ハイルヒトラー!」と高らかに叫んだ。  は、はいるひとらー?入る人ら??て言うか、明らかにこっちの挨拶と違うんですけど??  これ以上巻き込まれる前に椿は他の来客を見ることにした。  二番目に出てきたのは穏やかなそうな風貌の、白い軍服を着た日本人の男だった。年は近衛さんより上なのだろうか、右斜めに上がった口角をした男は微かにこちらにお辞儀をした。  最後に現れたのは、分厚い黒いコートを着た中年男だった。背が小さく、顔はいかにも口煩そうな感じだった。  3人の男が近衛を囲んで話し始めたと見て、千代子はこっそり他の皆に合図をした。  「皆、支度するわよ」  「はい」  はあ...一体これからどうなっていくのやら...面倒くさい事になりそうだ。
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