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それからの日々は、ひたすら流浪するだけで過ぎていった。
一年、二年。
一度得た家族を自ら捨てて出た放浪の旅は、あまりにも空虚だった。
さらに数年。
私の国は常に不安定な情勢の中にあり、時に小さな改革が生まれ、時に戦争が起こり、その混乱の中で私は人波を縫うように生きていた。
もう、人間の血を吸ったって構いはしない。恥じる相手も、気遣う誰かもいはしない。そう思っていても、いざ空腹を抱えて暗がりから人を襲おうとすると、イルハインとカーミルの顔が浮かんで、できなかった。
裏路地を歩く犬を呼び寄せて獣臭い血を吸い、みじめな気持ちを抱えて冷たい物陰に眠ると、口を真っ赤に染めたカーミルの夢を見て飛び起きる。
そんな暮らしの中で、私の心は、ゆっくりと摩滅していたのかもしれない。
ある廃屋を一夜の宿としようと、夜明け前に入り込んだ時、いきなり後ろから建物の中に押し込まれた。
「あんた、吸血鬼だろう」
私をうつ伏せに押し倒して背中に乗っているのは、どうやら男の吸血鬼だ。振り返った時、ちらりと牙が光るのが見えた。
「……だったら?」
「このご時世、吸血鬼が一人出歩いてるとは不用心だな」
「このご時世?」
「……あんた、知らないのか? まさか」
「話が見えないわね。いいからどいてくれない?」
「吸血鬼狩りだよ。もう何年も前から、祓い師たちが、人間たちの不満のはけ口に吸血鬼を次々に殺してる。情勢不安の世の中も長いからな」
「そう。で、あなたは祓い師には見えないけど」
「だからだよ。人間の血を吸えば、たちまち見つかって狩られちまう。だが、吸血鬼同士で食い合ってるなら問題ないだろう。これも今の常識だぜ」
そう言うと、男がその牙を私のうなじに寄せるのが分かった。
情けない、と吐き気がした。散々人間を食料にしておいて、その人間が徒党を組んで反抗してくれば、今度はもっと弱い吸血鬼を襲って、文字通り食い物にしようというわけだ。
こんな奴にいいようにされるのはたまらない。だが。
「……あんた、随分弱ってるな? どれだけ血を吸ってないんだ? 安心しろ、命までは取らんよ。だが、これだけ弱ってるなら……俺があんたを支配して、眷属にできるかもな」
ふざけるな、と思ったその時、冷たい牙が、ずぶりと私の首の肉に食い込んだ。
おぞましい感覚が背筋から這い上がってくる。
血を吸われるというのはこういうものなのか。
私の背中に覆いかぶさった男をはねのけようとしても、体に力が入らない。
――もういいか。
急激に、諦観が私の体を内側から侵食していく。
会いたい人はいる。でも、会うことはできない。それでも生きるなら、何のために?
「最後に、思い残すことがあれば聞いておいてやるよ。あんたがあんたでいられるのは、もうあと数十秒だ……」
血を吸いながら、器用に男が言ってきた。
こんな奴に、今際の際の言葉を聞かれたくはないが。
「家族に……」
「ああ?」
「家族に、会いたい。夫に……娘に」
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