彼の彼女はヴァイオリン

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「そんなことより、とにかく弾いてよ。いつも練習してるやつでいいからさ」 「やだっつってんだろ。これ大事なんだ。勿体無くて聞かせられねえ」 「ケチ。別に聞かせたってヴァイオリン……」  「減ったりしないでしょ」と言おうとした私を遮って、『だいちゅう』は言った。 「『エリザベス』」 「え?」 「こいつの名前」  『だいちゅう』は軽くヴァイオリンを揺らして見せた。  物に名前を付ける変人に会ったのは初めてだ。  これじゃ友達なんか出来る訳ないだろう。    でも『エリザベス』を見る『だいちゅう』の目は優しくて、どことなく幸せそうだった。  『だいちゅう』でもこんな顔をするんだなと、ちょっと感心する。  笑ったことさえなさそうな奴だと思ってたのに、すごく意外だ。  でもこの方がいつもより全然いい。 「ねえ、何で『エリザベス』なの?」 「ヴァイオリンってお嬢っぽい感じだから」  『だいちゅう』は穏やかな目で『エリザベス』を見つめたまま、目を上げるでもなくそう言った。  こいつの感性絶対おかしい。  そもそもヴァイオリンは女じゃないだろう。 「ねえ、『だいちゅう』ってシャーペンとか鞄にまで名前付けてる訳?」 「んな訳ねえだろ。めんどくせえ」  『だいちゅう』は馬鹿馬鹿しそうにそう言った。  『だいちゅう』にとって、このヴァイオリンは特別な物みたいだ。  何か思い入れがあるのか、単純に高い物なのかも知れない。 「高いの? そのヴァイオリン」 「『エリザベス』」  しつこい奴だ。  ちょっとイラッとしたけど、大事にしている物をつまらない物みたいに言われたくないのはわかる。  私は渋々言い直した。 「……『エリザベス』って高い訳?」  「知らねえ。伯父さんからの貰い物なんだ」 「へえ、伯父さんもヴァイオリン弾けるんだ。お父さんも弾けたりするの?」  そう訊いた途端、優しかった『だいちゅう』の表情が一変した。  優しさが綺麗に消え失せて、殺気すら感じる険しいそれになる。  まるで別人みたいな変わり様だ。  黙って『エリザベス』を片付け始めた『だいちゅう』を呆気に取られて見ていると、『だいちゅう』は足早に出て行った。  乱暴に閉められたドアが立てた大きな音に、私は軽く首を竦める。    悪いことしちゃったなと、ちょっと反省した。  多分『だいちゅう』にとって、お父さんのことは触れて欲しくないことだったんだろう。  今日はケンカを売るつもりで来たけど、それでもやっぱり言っていいことといけないことがある。    明日にでも『だいちゅう』に謝らないといけないと思いながら、私は暗い教室を後にした。
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