手繰る記憶

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手繰る記憶

邂逅 目を瞑り記憶の糸を辿る モノクロの過去が色づき 霞と化した貴女の姿は肉付いて 幽世と現世の狭間に漂う 帰りたくないと泣いた日 親元を離れて貴女と過ごした夜 自宅より貴女の家がいいと思った 小さな仏壇に供えられた硬貨の山 煤汚れ塗装の剥がれかけた人形 箪笥の奥に眠る袖を通す事の無い着物 その全てが輝く宝物だった 滲む口紅を気にして怒る姿も 私を膝に乗せて笑う姿も 目の奥に宿る慈しみも 貴女が抱いた後ろめたさも 全てが大切で愛おしかった その記憶を辿り紡ぐ 色褪せる事無く眠っている 宝箱の蓋を開けて 貴女を起こす白昼の旅に踏み出そう 喜 あたたかな愛情に包まれて 繋いだ手の平から伝わる熱に甘えて 貴女の隣をゆっくりと歩く 見上げれば瞳と瞳が合い 訪れる笑顔に安堵する 撫でた馬の毛の滑らかさも 硝子に閉じ込めた花弁も 悪戯をして叱られた日々も 笑顔を与えてくれる いつの間にか背丈が入れ替わり 貴女が私を見上げるようになっても 繋いだ手のあたたかさは何も変わらす 私はあの日の幼い子供に戻り 貴女に甘えるべく口を開く 歩く道が遊歩道や公園だったあの頃 出かける度にはしゃいだ懐かしい日々 口を開くたびに出てくる大好きは 貴女に届いていただろうか? なんだね そうぶっきらぼうに言われる度に 嬉しさを抱いていたことは 貴女に伝わっていただろうか 貴女がくれた喜び以上の 孝行が出来たらと 語り掛ける写真の中で 呆れたように貴女は笑った 怒 楽しい時間のはずだった 取り違えた思惑が交差し 早い別れが訪れる 傍にいると思っていたのに 選ばれたのは私ではなく 申し訳ないと言いながら あの人と共に去っていく背中に 涙と共に抱いた怒り 距離が出来 少しずつ会話が無くなり 貴女に会いに行く事も少なくなった 心に燻る怒りは忸怩にも似た思いに変わり 貴女に選ばせてしまった弱さに 怒りを抱かずにはいられなかった 楽しい夕飯を台無しにしてしまった やり直す事の出来ないあの日を 私は今でも思い続けている 私のちっぽけな自尊心が邪魔をして 誰の前であっても叱られたくないなどと そんな幼く弱い心を抱いていなかったなら 貴女に怒りを抱く事もなく 貴女に選ばせることもなく 共に過ごす時間が過ぎたのだろう あの日の怒りは消え去り 残っているのは弱さに負けた自己への怒り あの日に戻ることが出来たなら もう少しうまくやれたのだろう そうしたら貴女の隣を指定席にして 一緒に夜を過ごすのだ そうして語り合ううちに この怒りも溶けてなくなってしまうのだ 哀 みず その言葉が死に水だと知ったのは 貴女の口に水を含ませ 別れた後の事だった 立ち会えなかった最期の瞬間 電話で知る別れ やりたかったことも やろうとしていたことも 叶えようとした夢も 全てが崩れて消えていく 思い出を持つ事すら許されず 形見分けも満足にできず ただただ立ち上がる白煙を見つめ 涙する事も出来ずに終わった 帰りたいという願いすら叶えられず 共に生きようと語った言葉は夢のまま どこに行くかもわからない 白い箱になった貴女を抱きしめる 故郷に連れて帰る事の出来ない虚しさと これから二度と会えない現実の辛さを 抱いた腕に全て籠め 黒服を着こなした男に渡す 別れの言葉もろくに出ず 小さくなる後姿を見送って 日常に戻るしかなく 呟いた別れの言葉は風に消された 楽 お土産を渡し花を生ける 語り掛け傍に感じる 参る事の出来ない辛さはいつしか消え どこにでも共に行ける喜びを抱く 写真と共に揺られた電車 故郷の土には還れずとも 故郷の地に帰る事はいつでもできる 最大の孝行を果たす事は無く 後悔が心に巣食っていても 貴女に語り掛け共に飲む酒の旨さは 何一つ変わらない 消える事の無いしこりはあれど 貴女と過ごす新しい日々は 楽しみが増え形は違えど孝行も増えた 悪い事ばかりではない 別離も それに伴ういざこざも 決別さえも こうして時が過ぎれば全ては思い出 思い出話しには事欠かず 苦労の中にあった楽しさが 語り合う家族の笑顔が教えている 貴女に届いていただろうか? 私は貴女が大好きだった いつか貴女と暮らすのだと そう思うくらいには愛していたのだ 不器用で愛情を注ぐことに不慣れな貴女が 注ぎ込んだ愛情は確かに根付き 今なお私の心を照らしている 祖母よ 貴女との生活を思い返すと なんと波乱に満ちて 笑いが絶えずいとしいのだろう 愛している 貴女の孫であった事は 私にとって最高に幸せな事なのだ 幽世では孫の話に花を咲かせ 時に喜び 時に怒り  時に哀しみ 時に楽しみ そうして同じ時を刻もう これからもずっと一緒にいよう
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