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間取り2LDKのマンションの一室。部屋の窓に差し込んだ橙色の光は暖かかった。その優しい温度が、隠していた彼女の本音を吐かせるように背中を押した。
「もう、わからないんです。どういう状態で、ここに居ればいいのか……」
気を紛らす為に飲もうと思っていた缶ビールは、テーブルの上で既にぬるくなっていた。
その隣には、夫のお下がりのパソコン。四分割されている液晶画面の左上には、疲れきった自分の顔。それと、三人の男女の顔が映し出されていた。
家で夫を待つだけの生活が、ずっと苦痛だった。先の見えない暗闇に閉じ込められたような感覚。息の詰まる環境に疲労困憊で、体も重い。
そのまま奥底に沈んでしまいそうだった彼女を、右上に映っていた彼が言葉で引っ張り上げた。
『そこから、出たくないか?』
自分とは距離があると感じていた相手が、動けない自分の背を最初に押してくれた。
優しさに、結んでいた彼女の唇が震える。
我慢していた涙と一緒に、振り絞った想いも小さな声になって溢れた。
「出たい、ですっ」
動き出すまでに時間が掛かったけど、やっと彼女の時が進んだ。
これが帆風翠織の新生活、最初の一歩だった。
─ ─ ─ ────
一年前と同じような時刻。
夕日が照らす住宅街の通りを、翠織は小走りしていた。右手には通勤鞄、左肩にはエコバックを掛けている。
勤めている雑貨店のハンドメイド教室が嬉しい事に好評で、想像していたよりも長引いた。
更に、ちょうど混む時間帯に最寄りのスーパーへ入店。おかげでレジも混んでいて、いつもより長めに並んだ。
予定では、一番早く家に帰っている筈だったのに。今頃、住民全員が既に家に居る頃だろう。
手芸雑貨店で働いて、当番制の家事に負われる毎日。単調な生活をしていた既婚時代では考えられない程、刺激ある日々を彼女は過ごしていた。
家の前に着くと、窓のカーテンが締められている。明かりも微かに漏れていた。
慌てて玄関のドアを開け、翠織は軽く声を張り上げた。
「ただいまー! すみません、遅くなりました!」
急いで靴を脱ぎ、開け放たれていたリビングの戸口を潜る。
カウンターキッチンでは男がフライパンを振り、カウンターでは女がご機嫌そうに手を振った。
「おかえり! 今日忙しかったんだね。今ある材料で、セイがツマミ作ってくれてたよ」
草間麗栄子は、既にほろ酔い状態だった。缶ビール片手に、炒め物を摘まんでいる。
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