第十六話:神楽木雨京

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第十六話:神楽木雨京

「すごいっ! これもゆきちゃんの作!?」  時刻は夜四ツ。  私は布団から体を起こし、紙の束を次々にめくりながら絶え間なく歓呼の声を上げていた。  いま私の手元にある漆塗りの箱の中には、数十枚におよぶ肉筆画が入っている。  これらはすべてゆきちゃんが描いたものだそうだ。 『雨京さんがくるまでの暇潰し』と言いながら見せてくれたものだけど、これはとてもそんな軽い気持ちで眺めていいものじゃない!  どれもそのまま絵草紙屋に並んでいてもおかしくないほどの腕前だ。お金がとれる絵だ。  丁寧に色付けされ、墨と絵具の薫りがかすかにのこる力作の数々を前にして思わず背筋がのびる。 「うち、絵描くの好きやったやろ? 大坂でも習っててな、京に帰ったら天野先生に見てもらうつもりやったんやけど……残念やわ」 「お父さん、生きてたら絶対すごいって誉めてたよ! ゆきちゃんの絵、昔からいっつもよく描けてるって嬉しそうに見てたもん」  そう。実の娘に全く才がなかったぶん、父はゆきちゃんの画才を伸ばしてあげようと張り切っていた。  ゆきちゃんが大坂へ行ったあとは「弟子を失った」と寂しそうにしていたものだ。 「ほんまに!? いや、もうみこちんに誉めてもらえただけでうちは嬉しいよ!」  そう言って照れたように笑うゆきちゃんを見ていると、こちらまで嬉しくなってくる。 「なんだか、強そうな男のひとの絵が多いねぇ。このひとは?」 「それ、二天様。うちの自信作! やっぱこう、一つの道を極めんとする男ってたまらんもんがあるやん! きゅんとするやん!?」 「へぇぇ、ゆきちゃんはこういう強くて男らしいかんじの人が好きなんだぁ」  両の手に刀を握りしめ、槍を振るう相手に鬼の形相で立ち向かう剣豪の絵をまじまじと見つめながら、小さく笑みがもれる。  そういえば、かすみさんも武者絵が好きだと言っていたな。  強くたくましく、まっすぐに生きる男の人の姿は老若男女を魅了するものらしい。 「強い人いうか、何か一つのことを頑張ってる人が好きやな。みこちんは?」 「ん? 私? うーん、そうだなぁ……やっぱり玩具絵が好きかな! 見るだけじゃなくて遊べるしね」 「いや、ちゃうちゃうっ! この流れは完全に男の話やろ! なぁ、みこちん! どんな人が好きなん?」 「え!? いや、そんな別に……」  突然ゆきちゃんの目付きが変わった。  にやにやと笑いながら肘で私の肩をつついてくる。 「田中さんや中岡さんはぁ?」 「ええ!? なんで!? だって私、会ったばっかりだし……」 「うそやん、田中さんめっちゃみこちんのこと心配してたで! 一晩中そばにおったし」 「う、うそっ!? 田中さんが!?」  一晩中、ということは昨日までここにいてくれたの……!? 「田中さんも具合ようなくて念のため一晩ここで休んでもらったんやけど、夜中兄ちゃんが様子見に行ったら布団がもぬけの殻でな……」 「えっ!? それで、まさか……」 「みこちんの布団の横で、あぐらかいて座ったまま寝てはった。朝になって聞いたら、みこちんが目覚めた時に誰もおらんかったら不安やろうと思ってって……」 「そうだったんだ……」  知らなかった。  言葉づかいも気性も荒くて怖い人に見えるけど、田中さんはたまにこうして優しいところを見せてくれる。  もう一日早く、目覚めたかったな。ちゃんとお礼が言いたかった。 「二人ともまた様子見に来る言うてたから、近いうちに会えるよ」 「ほんと? だったら嬉しいな。二人ってことは、大橋さんは来てなかったのかな……?」 「大橋さん……? あ! みこちんおぶって来たでっかい人か! あの人は怪我もしてへんかったからうちはあんまし話してへんなぁ。中岡さんの手当てが終わったら、すぐに二人で出てってしもうたし」  ここまで運んでくれたのは大橋さんなんだ。  なんだか聞けば聞くほど、たくさんの人に心配と迷惑をかけている気がするなぁ。 「そっか、じゃあ中岡さんと大橋さんはすぐに帰って、田中さんと長岡さんがここに残ったんだね。田中さん、もう具合はいいのかな?」 「心配ないで。翌日には元気に庭で水浴びして体動かしとったし、ご飯もあきれるほどおかわりしたし、すっかりようなってたみたいやから夕方には帰したわ。えらい回復力やで、あの人」 「よかったぁ……中岡さんの火傷も、田中さんをそんなに弱らせたのも、ぜんぶ私のせいだから心配で……」  思えば、あの夜水瀬たちをとり逃してしまったことは彼らにとっても相当な痛手だろう。  身をていして炎上する店内を探索したにも関わらず成果はなく、追い詰めたかに思われた犯人探しがすべて振りだしに戻ってしまったのだから。  あと少しだけ、いずみ屋に駆けつけるのが早かったら……後悔ばかりがつのる。 「ダイジョブや、傷はちゃんと治るんやから! 今はあんましいろいろ考えんで、ゆっくり休み」  そう言うとゆきちゃんは私の膝の上の絵箱にそっと蓋をして布団からおろし、ポンポンと優しく肩を叩いてくれた。 「さてと、そろそろ雨京さんが来るころやな。ちょっと様子見てくるわ」 「あ、うん。そうだね……私、どこか変なとこないかな? 髪とか、ぐしゃぐしゃかも……」 「ほんならうちの櫛、貸したるよ。なんや怖いひとらしいけど、力抜いてな」  懐から丸櫛を取り出して私に手渡すと、ゆきちゃんは立ち上がって廊下の向こうへと消えて行った。  雨京さん。  初対面の人はほとんどが厳格で近寄りがたく怖いひとだと感じるそうだけど、私は何度も会っているし、父を交えてよく神楽木家と食事をしたりお芝居を見に行ったりしていたから苦手意識はない。  刻限をきっちりと守る人だから、今夜も約束の時刻より前に顔を見せてくれるはずだ。  それからほとんど間を置かず、四ツ半前に雨京さんは螢静堂へと到着した。  むた兄は雨京さんを私のいる部屋に通すと、『ごゆっくり』と一声かけて障子を閉め、奥へと引っ込んでいった。 5285ae89-21cd-40dc-814e-18048c4581d5 「美湖、大変だったな。いずみ屋の問題に巻き込んでしまい、済まなかった」  布団から半身を起こした状態で出迎える私のかたわらに、雨京さんはそっと腰を下ろして頭を下げる。  こうして会うのは一月ぶりくらいだろうか。  長身で立派な体つきに、ほりの深いきりりとした顔立ち。  その立ち居振舞いからも、高級料亭の主人らしい堂々とした威厳を感じさせる。 「いえ、そんな! いずみ屋の問題は私の問題でもあるんですから……! それであの、かすみさんの行方は……?」 「不明だ。生きているのかすらな」 「そう……ですか……」  自力でかぐら屋まで逃げのびていてくれたら、というかすかな希望は、振り下ろされた刃物のような一言でバッサリと両断された。  私は唇をふるわせて、ぎゅっと布団の端をにぎりしめる。 「かすみに店を任せるのは早すぎた……こうなる前に、無理にでもかぐら屋へ連れ戻すべきだった」  雨京さんは鋭い目をいっそう細め、眉間に皺を寄せる。  そういえば、かすみさんは言っていたな。 『雨京さんからかぐら屋へ戻ってこいと言われている』と。  雨京さんは心底悔やんで自分を責めているようだ。  私が知らないところで、何度も二人でそういったやりとりをしていたんだろう。 「でも、かすみさんは最後までいずみ屋を守ろうとしていました。雨京さんから見ればまだまだだったかもしれませんけど、毎日少しずつ、悩みながら店主らしく成長していたように思います」 「本当の意味で店を守りたいと思っていたならば、こんな事にはならなかったはずだ。この結果はすべて店主の不始末が招いたもの。防ぐことができたはずの事態だ」 「それはもちろん、私たちにも非はあります……でもまさか、お客さんだと思っていた人が実は盗人で、店を利用しようと企んでいたなんて考えもしませんでした……」 「真剣に客と向き合っていれば、そんなことは簡単に分かる。ツケを許すなどそもそも論外、不逞の輩はたとえ千両箱を積まれても追い返すのが神楽木のやり方だ」  きっぱりと迷いなく言ってのける雨京さんの声色は強くまっすぐで、私なんかが反論できる余地などこれっぽっちも見当たらない。 「……雨京さんは、いずみ屋が燃えてしまうまでの経緯を把握されているんですか?」 「新選組が連日話を聞きに来るのでな、あらかた把握している。店内に盗品を隠されていたというのは本当か?」 「本当です、全然気づかなかったんですけど……」 「犯人は常連客だったのだろう? 不審な動きはなかったのか?」 「うーん……店の端に固まって動かない人たちでしたから、特に不審なことは……」  なかったはずだ。  やたらと店に長時間居座ることはあったけれど、席を立つこともほとんどなく、ただただ仲間うちで雑談しながら過ごしていた。  定宿のない浪士さんの時間つぶしとしてはありがちな話だから、それは別におかしな事だとは思わない。 「何か話をしたか?」 「えっと……釣りの話とか、お菓子の話とか、店に飾ってある絵の話とかですね」 「絵についての詮索があったのか?」 「せんさくというほどではないですけど……あ、そういえば水瀬は、お店の中の絵がほとんど肉筆画で貴重だという話をしたらやけに食いついてきて……」 「それは間違いなくいずみ屋の絵を盗むつもりだったのだろう。そう考えると、遅かれ早かれこういった揉め事は起きたはずだな……」  渋い顔で重苦しく息を吐きながらも、何かに納得したような表情を見せる雨京さん。 「あの絵もぜんぶ燃えてしまったのかな……もっと回収を急ぐべきでした」 「そうだな、すべて合わせるとどれほどの値がついたのか、もはや見当もつかん」 「もしかしたらかすみさんが持ち出しているかも……」 「無事でいると思うのか?」  低く冷たい声が、私の言葉をさえぎる。  どくりと、体の奥が脈うった。 「当たり前じゃないですかっ! 見つからないならこれから探しましょう! 雨京さんが一緒だったらきっとすぐに見つけ出せます!!」 「これまでの騒動でかぐら屋にまで悪い噂が飛び火し、連日新選組等の取り調べを受けている。このままでは商売にも影響が出てくるだろう。そんな状況で私たちが何か行動に出ることは難しい。そもそも、何ができるというのだ?」 「だから、探すんです! 私、犯人の情報を知ってる人と知り合いなんです! その人たちに協力してもらいましょう!」 「――それは、石川とかいう浪士か?」  雨京さんの言葉を受けて、一瞬ぴたりと思考が停止する。  聞いたことがない名前だ。 「誰ですか? それ……私が知ってる人とは違います」 「いずみ屋が焼けた日の夜、かぐら屋を訪ねて来た男がいたのだ。黒い外套を肩にかけた浪士風の。連れは確か、橋本と名乗っていた。お前の怪我を知らせに来たのだが、知らんと言うのか?」  黒い外套といえば恐らく中岡さんだ。  橋本というのは、大橋さんが昔名乗っていた名前と一緒……二人はあの日、螢静堂を出たあとかぐら屋へ向かっていたのか。 「その人たちです! そっか、雨京さんも会っていたなら話は早いです」 「美湖、一度浪士に騙されておいてまだ懲りんのか。相手によってころころと名乗りを変えるような人間の何を信用できる? 奴らもいずみ屋を燃やした連中と変わらん、不逞の輩だ」 「そんな……! 違います! 悪い人たちじゃありません!」 「――あくまでそう言い張るのならば仕方がない、ほとぼりが冷めるまでしばらくの間、一切の外出を禁じる。店一つを失ってなお、何一つ学んでいないとは呆れたものだ……」  そう言ってこちらをにらみ付けるようにして立ち上がると、雨京さんは障子に手をかけながら、冷たく刺すような声色でつぶやいた。 「これから、お前を神楽木の家へ連れて帰る」
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