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第十八話:深夜の密会
丑三つ時。
あちこちからかすかに上がる虫の声を聞きながら、私とゆきちゃんは忍び足で塀沿いの道を歩いていた。
「ぼちぼち蔵が見えてくるな、ほんまに田中さんらおるんかな?」
「どうかなぁ、いてほしいけど……」
神楽木家の蔵は二つある。
それらは屋敷とは距離がひらいた場所に隣り合わせに建っているのだけれど、敷地のすみにぽつんと隔離されているので、裏に回ると屋敷からは死角になる。
「――ゆきちゃんは、私が浪士さんと会うの止めないんだね」
ふと疑問に思って、小さく抑えた声で尋ねながらゆきちゃんのほうへと目を向ける。
「まぁな、うちは田中さんとは話したことあるし、陸奥さんにも今日会ったし。べつに悪い人やとは思わんから。むしろ今の京なんて浪士だらけやろ? 診療所にもたまに来るしなぁ」
「そうなんだ……ゆきちゃんはあんまり、そういうの気にしないんだね。よかったぁ」
「浪士さんらは、何かやりたいことがあって故郷を出てきた人がほとんどやろ。うち、なんかそういうの分かる気がするからなぁ。人に迷惑かけてへんかったら、別にええんやないかと思うわ」
「やりたいことかぁ……」
むた兄が京を出て医術を学びに行ったみたいに、それぞれ何かしら目的があるということなのかな。
「ま、何より田中さんも陸奥さんも謙吉さんの仲間やそうやし! 謙吉さんがそう言うんやったら悪い人やないやろ」
「長岡さんのこと、ずいぶん信頼してるんだねぇ、ゆきちゃん」
「そらそうや! 謙吉さんはすごい人やで! 医術の知識も腕も確かで、なんでも知っとるし、優しいし、話もおもろいしな! うち、尊敬してんねん!!」
ゆきちゃんの目はきらきらと輝いている。
これは、かすみさんが絵について語るときと同じだ。
ものすごく心酔してる感じの目だ!
「長岡さん、そんなにすごいんだぁ」
「せやで! すごいで! 今は友達の仕事を手伝っとって、それが忙しいそうやけど、たまにふらっとうちの診療所まで様子見に来てくれたりするんよ。うち、それが楽しみで。いつかはまた医の道に戻ってきてほしいわ! 謙吉さんは絶対ええ医者になるよ!」
熱く語るゆきちゃんに少しばかり圧倒されつつ、長岡さんのことを思い出す。
そんなに優秀なお医者さんなんだ。
次に会った時はもう少しいろんな話を聞かせてもらえたらいいな。
「ついたで」
ゆきちゃんの言葉にはっとして前方に目を向ける。
暗闇の中ひときわ黒く浮かび上がる二階建ての立派な蔵は、間近で見るとすごい迫力だ。
天井が高く広々としたつくりになっているので、屋根の位置は平屋の本邸よりもはるかに上にある。
窓はなく、鉄でできた戸には大きな錠前がいくつか下がり、見た目からもはっきりと分かる厳重な戸締まり。
「盗人が来ても引き返すんやない? これ……」
「そうだね、まだ一度も蔵をやぶられたことはないって。さ、裏に回ろう」
ゆきちゃんの手をひいて、そろりそろりと足音を殺しながら高くそびえ立つ蔵の裏手に回る。
時刻はちょうど丑三つ時。
あたりに人の気配はない。
「こっちは陰になって真っ暗やなぁ、こわ~」
「うん、田中さんたちもいないみたい……」
ふと上を見上げる。
ぐるりと敷地を囲む高塀は足場になりそうな取っかかりもなく、高さもあるのでよじ登って侵入することは難しいはずだ。
正面の門には門番が立っているから、もちろんそこから入るのも無理。
田中さんたちはどうするつもりなんだろう。
「みこちん、何か聞こえへん?」
「うん?」
ゆきちゃんは人差し指を口元に当てて「静かに」とこちらに促す。
耳をすませて周囲の音に意識を集中させると、虫の声に混じって、かすかに話し声のようなものが聞こえてくる。
「……から、……をそうしてよぉ……」
「……」
「……おし……でいくぜ……」
できるかぎり声を絞って会話しているのは伝わってくるものの、片方の声は半分ほど聞きとれる。
おそらく田中さんだろう。
「田中さん、陸奥さん。天野です」
かろうじて塀の向こうまで届くかというくらいの小さな声で、私は二人へと呼びかける。
「天野、陸奥だ。今からそちらに縄を投げるから、近くの木にくくりつけてもらえるか?」
「わかりました」
そう返事をすると、すぐさま塀を越えて丈夫そうな荒縄がこちら側に垂れてきた。
ゆきちゃんと協力して、それを蔵のとなりに立つ木に結びつける。
試しに二人がかりで引っぱってみても、ほどける気配はない。これなら大丈夫だろう。
「準備できました」
二人に声をかけると、壁一枚をへだてた向こう側から声が上がる。
「よっしゃあ、ぺっぺっ」
ささやき声ながら威勢のよさが伝わってくるその一言を聞いて、てっきり田中さんが先に登ってくるんだろうと思いきや……
「――すまない、こんな時分に。久しぶりだな」
すとんと綺麗に着地して、目の前に現れたのは陸奥さんだった。
「お久しぶりです! また会えて嬉しいですっ……!」
静かに袴のすそをはたく陸奥さんに、小走りで駆けよる。
まさかこんなにすんなりと会えるなんて!
思わずその手をとってぶんぶんと上下にふり回すと、陸奥さんはやわらかく苦笑した。
あまり嫌がっている様子は感じない。
きっと、むこうも無事に会えてほっとしているんだろう。
「あれから大変だったみたいだな。あの日、もう少しくわしくお前の話を聞いていれば、助けになれたかもしれなかったんだが……」
「そんな、気にしないでください! 陸奥さんたちまでこっちの問題に巻きこめませんから……!」
予想外の言葉に私は大きく首をふりながら、内心はとても嬉しかった。
「おっしゃ、オレも来たぜ天野!」
するりとこちらに降り立った田中さんは、右手をこちらに差しだしてきた。
「あ、はい! 田中さんもお久しぶりです。お元気でしたか?」
「おうよ、元気だ! そっちの傷の具合はどうだ?」
「順調に回復してます」
心配はいらないと、笑顔で大きく頷いてみせる。
「そいつは良かった! ほれ、手!」
田中さんは、宙に差しだしたまま居心地の悪そうな右手を、私の胸元まで近づけた。
「手ぇ、握ったったら? みこちん」
そばで黙って見ていたゆきちゃんが、笑いをこらえながら私の肩をたたく。
「あ、そういうことなんですか……?」
握ったままでいた陸奥さんの手をほどいて田中さんのほうを見ると、彼はすねたような照れたような、なんとも言えない表情で頬をかいた。
「むっちゃんにやったならオレにもやるだろ、フツー」
「でも田中さん、さっき手に唾をぺっぺってしてました……」
「何だよその、汚物を見るような目はよぉ……!! もういい、ぱぱっと話だけして帰るぜ!」
無意識に声が大きくなる田中さんの脛に陸奥さんが強めに蹴りをいれると、首ねっこをつかまれた猫のような表情で、田中さんはその場に腰をおろした。
それに合わせて残りの三人も小さく向かい合うように座り込む。
「とにかく、無事に会えてよかったです」
「おう、ゆきちゃんにも礼を言っとかねえとな!」
「そうだな、助かった」
田中さんと陸奥さんは、ゆきちゃんに向かって頭を下げる。
「礼なんていりませんって! うちは人が来んか見張っとくから、三人でゆっくり話してな」
そう言い残すとゆきちゃんは私たちから少し距離をおき、蔵からわずかに離れた庭木の茂みに身をかくす。
話がしやすいように気をつかってくれてるのかな。
ありがとう、ゆきちゃん。
「さて、本題に入るか……あれから、かぐら屋にも新選組や見廻り組が出入りするようになったらしいじゃねぇか。おめぇにも会いにきたんじゃねぇの?」
田中さんは小さく咳ばらいをして真面目な顔をつくると、鋭い視線をこちらに向けて口をひらいた。
いつも思うけど、こういう話をする時の田中さんはちょっと怖い。
ピリピリして今にも噛みつきそうな、あぶなっかしい雰囲気だ。
「いえ、私は一度も会ってません」
「となると、毎回かぐら屋の店主がやつらの相手をしているのか? 事件に関することはたいして知らないだろうに」
陸奥さんは首をかしげる。
たしかに、雨京さんは水瀬たちのことについてはほとんど何も知らないはずだ。
というより……
「何か知ってても話さないでしょうね、たぶん雨京さんは独自で人を雇ってかすみさんのことを調べてます」
「マジか、新選組には頼んでねぇのか」
「雨京さん、基本的に浪士さんやよそ者が嫌いですから。ながく京に馴染んでいるもの以外はあんまり信用してないです。奉行所の方が話を聞きに来た場合はちゃんと応じると思うんですけど……」
「なるほど、嫌われているのはおれたちだけじゃないのか。分かりやすくていいな」
陸奥さんのつぶやきに、田中さんも口角を上げてにやりと笑う。
「かぐら屋から余計な情報が漏れるコトはそうそうねぇってわけか、ひとまず安心だぜ。おめぇも、水瀬たちに関する話をヨソに流すなよ。あいつらは、オレ達の手で捕まえなきゃならねぇ」
「分かってます。盗まれたものを取り返さなきゃいけませんしね!」
「おう! 他のヤツに先を越されたらそのへんも回収されちまうだろうしな、とりあえずそこんとこを確認しときたかったんだ」
話し合いながら、うんうんと互いに相づちをうつ。
「いずみ屋の女将さんも、無事でいてくれるといいんだがな……あれからハシさんが熱心に探し回ってるよ」
「大橋さんがですか?」
「ハシさんは女将さんと顔なじみだったしな。オレらの仲間だった連中が騒ぎを起こしたわけだし、少なからず気に病んでるみてぇだ……いや、もちろんオレや中岡さんも心配してるし探してはいるんだがよぉ」
そう話す田中さんは、どこか気まずそうな、申しわけなさそうな複雑な表情で言葉を選んでいる。
「田中さんたちのせいじゃないですよ。かすみさんのことは私が必ず探し出します! 一番責任があるのは私ですから!」
あの晩私は、水瀬たちと対峙するかすみさんを置いて、いずみ屋を出た。
かならず助けに戻ると約束して、それっきりだ。
こうなったのは私のせいなんじゃないかと、あれから何度も頭をよぎる。
約束を果たさなきゃいけないんだ。
のんびり寝てる暇なんて本当はない……!
「お前のせいというわけでもないだろう、あまり気負いすぎて無茶をするのもよくない」
ぐっと唇を噛んで涙をこらえる私を見て陸奥さんは小さくため息をつき、懐から取り出した手ぬぐいをこちらへ放り投げた。
「子供じゃあるまいし、いちいち泣くな」
「むっちゃんのだから遠慮なく使えよ、ズビッと思いっきり鼻かんでいいぞ」
「……ありがとうございます」
膝の上に落ちた手拭いを拾い上げて、涙をぬぐう。
小さく体を丸めてぐすぐすと鼻をすする私を、二人は静かに見守ってくれている。
そういえば、こうして思っていることを素直にぶつけられる相手は、今のところこの人たちくらいしかいない。
だからなのか、なんだか二人といるとすごく安心する。
「水瀬達と女将さんがまだ一緒にいるかは分かんねぇが、あいつらを捕まえりゃ女将さんの行方も分かるだろうしよ、こっちはこれまで通り連中を追うぜ」
「わかりました、私も雨京さんから何か聞けたら田中さんたちに伝えますね」
「とは言っても、手段がな……当分は外に出られないんだろう? また文のやりとりか?」
陸奥さんは思案するように背を丸めて指で膝をトントンとたたく。
その隣で、田中さんが口をひらいた。
「しばらくはあんま出歩かねぇ方がいいと思うぜ、特にいずみ屋周辺は今ちょっと雰囲気悪いしよぉ……あのへん調べて回るのは難しいかもしれねぇ」
「どういうことですか? あの火事、被害は最小限で済んだんですよね……?」
そういえば、そのあたりのことまでは今まで頭が回らなかった。
あの後同じ組の人たちは元通りお店を再開できているのか。
「あのあたり、最近じゃ新選組や見廻り組がしょっちゅううろついてやがるし、いずみ屋は浪士とモメて火付けにあったって噂が広まって、人通りがほとんどねぇんだよ」
「そんな……」
かすみさんの行方ばかりを心配していた自分の無責任さに今頃気づかされる。
思っていた以上に、たくさんの人たちにあの事件の余波が響いているんだ――。
「そのあたりのことについては、かぐら屋の主人に聞いた方が早いと思う。あまり自分ばかりを責めていても仕方がないことだから、今は深く考えるな」
「そうだぜ、何よりまずは女将さんを見つけだすことだ。何か分かったら知らせるから、しばらくはここで大人しくしてろよ」
田中さんは諭すようにこちらを見つめながら、ポンと私の肩を叩いた。
「……わかりました」
結局、私にできることは今のところ何もない。
そう考えると情けなさのあまり胸が張り裂けそうだ。
「それと、釣竿のことなんだが……」
ふと思い出したように口をひらいた陸奥さんにはっとして、にじんできた涙をぬぐう。
「あ、はい。昼間届けにきてくださったんですよね!」
「……ああ。しかし、ここの女中に追い返されて今回は諦めた」
「薙刀の先でちょこっと突かれたからな、怖すぎだろあのねーちゃん! 今夜は持ってこれなかったが、竿はむっちゃんが預かってるからよ」
田中さんは顔をしかめて脇腹のあたりをさすっている。
やえさん、怒らせたら怖そう。私も気をつけなきゃ。
「それじゃ、また今度酢屋さんに……」
言いかけて、口をつぐむ。
『もう酢屋には来るな』と、陸奥さんから言われていたんだった。
「取りに来てくれ、いつでも」
言葉につまった私を見て何か察したのか、いつもの気だるさが抜けたしっかりした声色で、陸奥さんが言った。
「いいんですか……?」
「ああ」
「それじゃ、行きます! 近いうちに必ず!」
「あの事件以来、坂本さんがえらくお前のことを心配しているからな。一度顔を見せにきてやってくれ」
「はいっ……! そうだ、ちなみに田中さんはどこに住んでるんですか?」
きょろきょろと田中さんの姿を探すと、蔵の裏手に積み上げてあった食材運搬用の丈夫な木箱で足場を作り、塀によじ登っているところだった。
「んなもんヒミツだ! 何かあったらまず、むっちゃんとこに行ってくれ」
手際よく塀のてっぺんまでのぼると、田中さんはこちらをふり返って少し意地悪な顔で突っぱねるような返事をする。
「そんなぁ……それじゃ、中岡さんたちはどこに?」
「ヒミツだヒミツ! 京のどっかにはいるから心配すんな。またそのうち会おうぜ!」
「ヒミツばっかりじゃないですかぁ……でも、また会えるなら今は深く聞きません。かならず連絡くださいね!」
「おうよ、約束だ! 長居しちまって悪かったな。そろそろ行かねぇと……雨降ってきそうだ」
私の言葉に笑顔でうなずいてみせると、田中さんはそのまま勢いよく飛び上がり、塀の向こうへと着地した。
言われてみれば雲の流れが早いし、月も隠れがちだ。
それに、吹き抜ける風が湿った雨のにおいを運んでくる。
私は話に夢中で気づかなかったけど、田中さんはちゃんと細かい変化に気を配っていたんだな。
「そろそろおれも行く。おれが向こうへ降りたあと、木にくくっておいた縄をほどいてもらえるか?」
田中さんに続いて、陸奥さんも足場に登って塀をまたぐ準備をはじめる。
「分かりました!」
「頼む」
陸奥さんはそう約束して塀の上へと登り、こちらを一瞥して田中さんの待つ路地へと降り立った。
二人が無事に塀を越えたのを確認して、すぐに足場に使った木箱を元通りに整える。
それから指示どおり、木に結んであった縄をほどきにかかる。
だいぶきつく結んでいたから少し大変だけど……なんとか成功!
「陸奥さん、縄がほどけました。そちらから引っ張ってください」
「了解だ」
するすると静かに縄は巻き取られ、陸奥さんたちの手元へ帰っていった。
「回収できたぜ、ありがとよ!」
「はい、気をつけて帰ってくださいね」
「ああ、またな」
塀越しに声をひそめて、言葉を交わす。
そろりそろりとその場を後にするかすかな二人の足音が聞こえなくなるまで、私は一歩も動かずに彼らを見送った。
「ふぅ……」
はりつめていた糸が切れたように大きく息をつき、私は蔵の壁に背をあずけて、ずるずるとその場に沈んだ。
――まさか、本当に会えちゃうなんて。
一人になって一息ついた今、なぜだか私は笑っていた。
きつい話も聞いたけど、おかげでゆるみそうだった気持ちが引き締まった。
頭の中のモヤが晴れた気分だ。
危険をおかしてまで、わざわざ私に会いにきてくれた二人に感謝しなきゃ。
大橋さんも、かすみさんを探し回ってくれている。
坂本さんも、私のことを心配してくれている。
すごく、嬉しかった。
あの人たちとまた笑って会えるように、失ったものを取り返さなきゃいけない。
そのために、自分にできることを探すんだ。
少しだけ熱の残る真っ暗な蔵の裏手で、私は一人ぎゅっと拳をにぎりしめた。
「さっきは何話してたーん? 長かったなぁ、二人から迫られてたん?」
「何言ってるの、ゆきちゃん! 寝ぼけすぎだよ! さぁ、お布団入ろうね」
あのあと私は、庭木の茂みに突っ伏して爆睡するゆきちゃんを発見し、よろよろと支えながら離れの自室に戻ってきた。
もう、くたくただ。
「みこちん、二人に会えてよかったなぁ~」
「うん! ゆきちゃんが協力してくれたおかげだよ、本当にありがとね」
「くか――……」
またしても寝落ち!
わざわざ一人、離れたところで待ってくれていたんだから、眠くなるのも当たり前か。
気持ちよさそうに寝息を立てるゆきちゃんに向かって、もう一度心の中でありがとうとつぶやく。
なんだか、ほっとする寝顔だな。
冷えないようにちゃんと布団をかけてあげなきゃ。
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