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第二話:出会い
「そうだ、かすみさん! 見せたいものがあったんだ!」
夕餉を済ませて片付けを終え、一息ついたころ。
私は、お茶を飲みながらくつろぐかすみさんに向かって、話を切り出した。
「あら、何かしら?」
「えへへ、すごいよ! 見たら驚くよ~! 川で拾ったんだけどね……」
首をかしげるかすみさんに得意げな笑みを向け、私はもったいぶるような手つきで懐から例の絵を取り出す。
角のほうがじんわりとシミになってしまってはいるものの、絵そのものは色落ちもしていないようでハッキリとした濃淡を保っている。
もう少し乾かせば紙もパリッと元気を取り戻し、絵の中の三人の男ぶりも倍増するだろう。楽しみだ!
「これっ!! すごいでしょ!? こんな本物みたいに描かれた絵、私初めてみたよ!!」
「あら……これは」
興奮気味に差し出したそれを見るなり、かすみさんははっとした様子で手を添える。
「美湖ちゃん……これ、絵じゃないわ。ほとがらよ」
「えっ……!? なにそれ、ほとがら?」
「最近よく聞くようになったかな。何だか妙な名前の……ほとがらだか、ほとからひぃだか言う……からくりみたいな箱を使って、目の前の人や景色をそのまま紙に写し出すことができるそうよ」
驚かせようと胸踊らせて待ち構えていたこちらが目を丸くする。
ほとからひー? 聞いたこともない。
なんてちゃらんぽらんな響きなんだろう。
こんなに繊細で洗練された作品が、そんな間の抜けた名前だなんて……!
「ええっ!? じゃあこれ、誰かが描いたわけじゃないの……? そのまま写し出すって……」
「私も詳しくはないんだけどね……職人さんが道具を使って、パッと見たままの姿を紙に写してくれるんだって。絵みたいに、筆で描写してるわけじゃないみたい」
「そ、それじゃ、誰でも本物みたいに紙の上にうつし出せるってこと!? 私の姿も!?」
「うん、もちろん。寺町通りの方に写場があったと思うから、そこに行けば誰でも写してもらえるんじゃないかな……ただちょっと値が張るかもしれないけどね」
(誰でも、見たままの姿を……)
かすみさんの言葉に、どくどくと胸が高鳴っていくのが分かる。
目の前の景色をそのまま紙の上に再現する――。
多少なりとも絵に携わってきた人間なら、一度は夢見たことがあるはずだ。
見たまま、そのまま、あの綺麗な夕日をこの紙の上に描き出せたらなぁ……なんて、絵師なら誰しも一度は思ったことがあるだろう。
父だって生前、絵道具を片手にぶらぶらと散策しながら、気に入った景色が視界に収まるとそのたびに足を止めてこんな風に言っていた。
『あの鳥、俺が絵を描き終えるまで橋の上でじっとしていてくれたらなぁ』
――もちろん、そのあとすぐに鳥は飛び立った。
それは、仕方がないことだ。
どんな景色だって、生き物をとらえたものなら一瞬で変化してしまうものだから。
だけど、話を聞くかぎり。
ほとがらにはそれができるということなんだろう。
橋の上の鳥が飛び立ってしまう前に、紙の中へ閉じ込めてしまえる。
人もモノも風景も、残しておきたい瞬間をそのまま切り取って持っておけるということ。
それって、それって――!
ちょっともう、世界がひっくり返る勢いの大発明だよ……!!
そんなすごいものがあるのなら、私だって手にしてみたい。
どんな風にして一枚が出来上がるんだろう。
どんな仕組みなんだろう。
道具として使っているという箱も見てみたい。
完成までにどれくらいの時間がかかるのかも気になる。
すごい、すごい、すごい!
頭の中が無数にわいてくる疑問で満たされ、めまいを起こしそうになる。
今すぐにでも教わった写場に行ってみたいと一人そわそわしていると、隣のかすみさんがふいに手を叩いて声をあげた。
「私、この人知ってるわ」
「えええええっ!? う、うそっ!?」
予期せぬ展開の連続に、ぐつぐつに煮詰まっていた私の頭は限界とばかりに湯気を上げた。
かすみさんの視線を追って、私もあわててほとがらを注視する。
私が拾ったほとがらに写っている人は三人。
まず目に入るのは、中央で小さな腰掛けに座る男の人。
外套を肩に掛けて腕を組み、堂々とした雰囲気。
だけれど不思議と親しみを感じるのは、穏やかな笑みをこちらに向けているからだろうか。
そしてその両脇を固めるように立つ二人。
左には、鋭く力のこもった目でこちらを射抜く武士風の男の人。
ピシッとした羽織袴で姿勢がよく、長身だ。
くせのある髪を肩のあたりで束ねて刀の柄に手を置く姿は、古い時代の剣豪のようだ。
右の人は、なんだか少し雰囲気が違う。
ぼさぼさの髪を無理やり撫でつけ、あちこちほつれ破けた着物で中央の腰掛けの背もたれによりかかっている。
見たところ、浪士のような風体だ。
こう言っては何だけど、一人だけ目が死んでいる。
全くもってやる気が感じられない……この人だけむりやり連れて来られたとしか考えられない。
「かすみさんが知ってるのはどの人? まさか、三人とも!?」
「ううん、一人だけ。この人よ」
そう言って指先でトンとつついて示すのは、左端に立つ男の人。
密かに、一番近寄りがたそうだと思っていた人物だ。
「どこで会ったの!? というか本当にいたんだ、この人たち……」
完全に絵の中の人間だと思っていただけに、未だに実感が湧かない。
ほとがらが『目の前のものをそのまま写す』ものである以上、間違いなく今この時を生きる人間であることは間違いないんだけど……。
「意外と三人とも近くにいると思うな。この人は何度かうちのお店に来てくれてたもの。すごくいい人よ」
「え!? いずみ屋のお客さんなの!? いい人なんだ……なんかこう、無礼を働いたらバッサリやられちゃいそうな雰囲気だけど」
「ふふ、そんなことないわ。甘味が好きでね、穏やかでいつもにこにこしてる人だもの」
いつもにこにこ……ほとがらと見比べて首を傾げる。
実際に会話してみないと、人って分からないものなんだな。
「名前は分かる?」
「うん、橋本さんだよ。この人もたぶん浪士さんね」
「橋本さん! わー! 何かあれだね! 名前が分かるとこう、一気に身近に感じるねっ!」
「忘れた頃にふらっと来てくれる人だから、美湖ちゃんもそのうち会えるんじゃないかな。橋本さんに聞けばきっと、あとの二人のことも分かるよ」
「うん……うんっ! 会いたい! 三人の声が聞きたいっ!」
かすみさんは、浮かれる私を見てくすりと笑う。
「ふふ。それに、拾い物なら持ち主にきちんと返してあげなきゃね。もしかしたら、今も探してるかもしれないし」
「そうだね! 手放すのはちょっと寂しいけど、本人に会えたらきっとスッキリすると思うし……ああ、橋本さん早くお店に来ないかなぁ!」
胸の中に閉じ込めるようにして、そっとほとがらを抱きしめながら、鼻歌まじりに部屋の中を歩き回る。
まるで夢物語のようなほとがらの話と、紙の中の三人が実在するという現実に、これ以上ないほど気持ちが昂っていた。
「かすみさん! 明日、写場にも行ってみるよ。寺町通りだっけ? もしかしたらこのほとがらについて何か分かるかもしれないし」
「それがいいわ。美湖ちゃんほとがら自体にも興味津々みたいだしね、いろいろお話聞いておいで」
「うんっ! えへへー、楽しみっ!」
未知のものに触れる、はじけそうにわくわくしたこんな気持ち……成長したらもう味わえないものだと思っていた。
そわそわして、なんだか無性に嬉しくて、自然に口許がゆるむ。
直接見たことも、話したこともない三人。
そのうち二人は名前すら知らない。
私が一方的に、ほとがらを通じて存在を知っているだけ。
それでも、紙の中の彼らが現実にいると知ってしまったら、胸の高鳴りを抑えられない。
(会えるよね、きっと)
――ほのかな期待を抱きながら、私は紙の中の三人に語りかけるように熱い視線を落とした。
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