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第四話:写真の落とし主?
夕刻。
赤い空に紫の帯が交じり、夜が間近に訪れる別れの時間帯。
家路へ急ぐ子供たちが『また明日』と声をかけあいながら、笑顔で別々の路地へと入っていく。
私もそろそろ『また明日』しなければならない時間だ。
ちらりと釣り桶を覗くと、中には酢屋のお兄さんが釣り上げてくれた魚が一匹……。
結局あれから私の竿がしなりを見せることはなく、一匹たりとも釣り上げられずにいた。
さすがにこれでは情けなくて帰れない。
せめて一匹は自力で釣るんだ……!
陽が落ちるまでの続行を決めた私は、決意を新たに強く竿を握りしめる。
お兄さんから聞いたオススメの岩陰に糸を垂らし、魚よかかれとすがるような目付きで水面を見つめていると、前方にかかる橋のそばからふいに叫び声が上がった。
「ちくしょおおおぉぉぉぉっ!!!」
花火が上がる時のような、地響きすら感じる凄まじい咆哮に、一瞬身をすくめて声の方を見る。
――視線を向けてすぐ、見なければ良かったと後悔する。
声の主らしき浪士風の男の人と、思いきり目が合った。
(……勘弁してください)
血走った眼で思いきり睨み付けられ、震えながらすぐさま目をそらす。
周辺を歩く人々も関わり合いになるのを避けたがっているようで、男の人が立っている橋付近は人の流れが断たれ、ぽつんと孤立した島のような状態になっている。
――ばしゃあっ
橋の方で、大きく水が跳ねる音がした。
うつむいて釣り竿を握りしめる私には何が起こっているのか分からないけれど、ただただ嫌な予感がする。
ばしゃばしゃと川の水を乱暴に跳ね上げながら、誰かがこちらに近づいてくる音が聞こえる。
――嫌だな、こっちには来ないでほしいな……
そう思いながら恐る恐る顔を上げると、目の前には先ほど叫んでいた男の人が不機嫌そうな顔で仁王立ちしている。
「おめぇ、いつもここで釣りしてんのか?」
「ひっ……」
下手な怪談よりも肝が冷える展開に、私は真っ青になって身をすくめる。
間近で見るとますます怖い。
短い眉に、たれ目気味の鋭い瞳、よく焼けた褐色の肌。
ツンツンと外に跳ねる髪は、後ろにかきあげるように無造作に撫で付けられがっちりと固められている。
見るからに貧しい浪士といった風情だけれど、腕っぷしは強そうだ。
着物の上からでもよく分かる筋肉質な体つきといい、この、異常に人を追い詰める気迫といい、目の前に立たれただけで顔をそらしたくなるような典型的『怖い人』だ。
「よう、聞いてんのか?」
「はい。えっと、最近はいつもここで釣りしてますけど……」
催促するように再び言葉を投げかける浪士さんの圧力に屈して、私は震える声で返事をする。
「マジか……!? いつもか! んじゃ聞くがよぉ、最近ここいらで何か変わったモン見なかったか!?」
浪士さんはがっちりと私の両肩を掴み、逃れられないよう固定しながらぐっとこちらに顔を近づける。
「変わったもの……?」
心当たりはある。ありすぎる。
写真のことを話すべきだろうか――。
間近にある彼の怖い顔をなるべく視界に入れないよう目線をそらしつつ、どうすべきか考える。
「いや、実は最近大事なもんを落としちまってよぉ……初めて仲間と撮ったほとがらなんだよ……ここいらでなくしたんじゃねぇかと思って探してんだが……」
心底困り果てた様子で相手が吐き捨てたその一言に、ドクンと大きく体の中心が脈打つ。
この人は――
まさか、あの写真に写っていた人物?
はっとして浪士さんを直視する。
じっと、食い入るようにまじまじと見つめ返す。
「おいおい、何だよ……」
私の反応が予想外だったのか、若干口元を引きつらせながら彼は一歩後退した。
(似てない……)
写真の中の三人と目の前の顔を照らし合わせてみるものの、どうにも合致しない。
一番近いのは、右端に写っていたやる気のなさそうなお兄さんで、髪の感じやほつれた着物の具合など類似点はいくつか挙げられるものの、何かが決定的に違う気がするのだ。
「ちなみにどんな仲間と、いつ、何人で撮った写真ですか?」
「はぁん? 何だよ、聞いてどうすんだよ」
「いえ、ちょっと参考にと思って……」
相手は私からの質問を受け、いぶかしげな顔で首を捻っている。
確かにちょっと直接的すぎる問いかけだったかもしれない……。
「おめぇ、もしかして何か知ってんじゃねぇの? なぁ……」
「じゃあ、何人で撮ったのかだけ教えてくださいっ!」
的を射ない問答に苛立ちを隠さない相手の言葉を遮るように、私は切羽詰まった声でもう一押しする。
もし答えてくれて、そしてそれが私の持つ写真と同じ数字だったら――正直に話そう。
「……三人だよ。それがどうかしたかよ?」
「三人……!!」
――同じだ。
私は、未だ整理がつかずにぐちゃぐちゃと混乱したままの頭の中を一旦白紙にすべく深く息を吸い込むと、覚悟を決めて懐から例の写真を取りだした。
「もしかして、これですか?」
差しだした写真に視線を向けるなり、浪士さんは大きく目を見開いて声を上げる。
「うおおおおおっ!! これだっ! これ……!! てかおめぇ、持ってんじゃねぇかっ!! 早く出しやがれバカヤローッ!」
悪態をつきながらも内心は安堵する気持ちが勝っているようで、浪士さんの表情からはみるみる怒りの色が消えていく。
よほどあちこち探し回っていたのだろう。
その感動たるや並のものではないらしく、じわりと目に涙まで浮かべている。
――こうして見ると、少しは怖さも和らぐな。
「ごめんなさい。昨日そこの橋の近くで拾ったんですが、落とし主さんに直接返したいと思ってて……」
「おお、そっか……とりあえず、拾ってくれた礼は言っとくぜ。ありがとよ! んじゃ、持ち主んとこに返してくれや」
ぐっと写真を引っ張り、私の手から引き取ろうとする彼を片手で制止し、言葉を返す。
「待ってください。あの、お兄さんは本当に落とし主さんですか?……写真には写ってないですよね?」
「はあぁぁぁぁん!?」
「いえ、ほら……誰にも似てないじゃないですか」
写真には、こんなに怖い人は写っていないのだ。
疑うなと言われても無理がある。
「写ってんだろーがっ! よく見やがれコラ! 右端がオレだよ!! 目ん玉かっぽじってよく見やがれ!!」
「かっぽじるのは普通耳の穴ですよね」
「んなこたどーーっでもいいんだよッッ!! オラ、これがオレだよ! 見りゃ分かんだろーが!!」
写真の右――例の、目が死んでいる人物を指して浪士さんは物凄い剣幕でオレだオレだと主張している。
……けれど、私には詐欺にしか見えない。
「あなたとこの人は、顔つきが全然違う気がするんですよ……なんというか、あなたの方がすごく元気で強そうな感じがするんです」
「強そう……? そっか?」
(あ、ちょっと嬉しそう)
浪士さんが少しだけ表情をゆるめるのを見逃さなかった私は、続けざまにいくつか『浪士さんと写真の人物の似ていない点』を挙げてみせる。
もちろん、目の前の相手を立てる方向で話をすすめ、出来る限り不快な思いをさせないよう配慮する。
「もし同一人物だったら、私ちょっと信じられないです。そのくらい、別人みたいな差がありますから」
「……マジで、そう思うか?」
反論することもなく静かに私の力説を聞き終えた彼は、ふぅと長いため息をつくと、いかつい顔をギロリとこちらに向けて一言、刺すような口調で問うた。
「失礼かもしれませんけど……そう思います」
もし本当にご本人だったなら、こんなに無礼なことはない。
殴られてもおかしくはない。
――それでも、私は嘘はつきたくない。
相手の目を正面から見据え、断言しながら頷いてみせた。
「……だよな……」
「へっ?」
「……だよなぁっ!? やっぱそうだよなぁっ!?」
「……えええっ!?」
急にギラギラと目を輝かせ、再び私の肩を強く掴んだ浪士さんは、物凄い勢いでがくがくと私を揺さぶりながら叫ぶ。
「オレずっと気にしてたんだよ! ほとがら撮るといっつもこうでよぉ! なんか魂抜かれちまったみてぇに腑抜けた顔になっちまって……! こんなんオレじゃねぇ! なんでこうなっちまうんだって内心ガッカリしててよおぉぉぉ!!」
『それでな、それでな! 聞いてくれよ!』と、まるで溜まっていた鬱憤を一気に吐き出すかのように話は止まらない。
このままでは頭を揺さぶられすぎて意識が飛びそうだと危機を感じた私は、ふらつきながらも、どうどうと相手をなだめる。
「ええっと、あの……落ち着いてください!」
「オレ、こんな覇気のねぇ顔してねぇだろ? な、どうよ? ほとがらと比べて……」
私の両肩からようやく手を離した浪士さんは、写真の右端を憎らしそうに指差しながら、口を尖らせてこちらを見る。
「なんというかその、写真よりずっと元気そうで……生き生きしてるというか」
元気すぎて怖いくらいだけど……。
でも、私の言葉を聞いてうんうんと満足そうにうなずいている浪士さんを見ていたら、なんだか無性に可笑しくて自然に頬がゆるんでしまう。
彼の言う通り本当に、写真の中の人と同一人物なのかもしれないと、そんな思いが湧いてくる。
「……いや、なんかちょっと嬉しいぜ。今までほとがらに写った自分がどうにも気に入らなくてよ。けど、誰に聞いても『こんなもんだろう』なんて返されちまってな……」
「それは、落ち込んじゃいますね。こんなに違うのに」
「だよなぁ。やっぱ違うんだよ! なんかオレ、ほとがら向いてねぇんだよ!」
いつの間にか二人して堀の上に腰掛け、足をぷらぷらさせながらまったりと会話している。
……何か、いつの間にか馴染んじゃったな。
当初抱いていた怖い印象は、もうすっかり薄れてしまっている。不思議なものだ。
「写真の写り方にも向き不向きがあるとは、初耳です」
「いや、あるね。間違いなくある! 中岡さんなんてほとんど見たまんまに撮れてるもんなぁ……」
そう言って浪士さんが視線を落とす先は――写真の中心にいる人物。
「なかおかさん……?」
「うおっ! やべっ……」
きょとんとする私を見て、しまったという顔をしながら浪士さんは両手で自分の口をふさぐ。
「この、真ん中の人の名前ですか!? 中岡さんって言うんですね……!」
「うああ、口がすべった……」
「別に、いいじゃないですかお名前くらい。左の方が橋本さんで、真ん中が中岡さんで……と」
今のところ何の情報も得ていない真ん中のお方の名前がついに判明……!
私は嬉しさのあまりぐっと拳を握った。
「おいコラ、なんでハシさんのこと知ってんだよ」
「え……? 橋本さんですか? 橋本さんは私がお世話になってるいずみ屋のお客さんだそうで、店主のかすみさんから教えてもらったんです!」
困惑している様子の彼に、昨夜のかすみさんとの会話の流れをかいつまんで話す。
ふぅんと、まだ少し釈然としない表情で腕を組み、こちらをじっと見つめてくる。
「まぁ、いいや。そんで、そのほとがらなんだが……」
――ぼっしゃあぁぁ!!
浪士さんの言葉を遮るように、竿のはるか先――釣糸が沈む水面から大きな水音が上がる。
ぐいぐいと、ゆるめていた手のひらに伝わる強い引き。
「わっ! 魚っ……!!」
釣りをしていたことなんてすっかり忘れていた。
会話を中断して、竿を握りしめ私は立ち上がる。
「何だよ、話の途中だぜ!? 早く釣り上げちまえっ!」
「はいっ! ちょっとだけ待っててくださいっ……!!」
不満をもらしながらも立ち上がって釣り桶を構え、手助けしてくれる様子の浪士さんを一瞥し、暴れ回る魚を引き上げるべく慎重に竿を動かす。
――この機会を逃すわけにはいかないっ! 絶対に釣り上げるっ!!
水面下でのじりじりとした攻防の末にいくらか力をなくした魚を、私は一気に引き上げる。
跳ね上がった水しぶきは玉のように空中で弾け、弧を描く糸の流れに沿って釣り上げられた獲物が踊る。
「おっしゃ! いいじゃねぇか。でけぇし、活きもいい!」
浪士さんはすかさず釣糸の先を掴み、そっと魚を桶の中へと落とす。
「あ、ありがとうございます……!」
釣り桶の中でぴちぴちと威勢よく跳ねる魚を掴み、丁寧に針をはずす浪士さんを見ながら、やたらとサマになっている一連の動作に感心して頭を下げる。
(そっか、こんな風にやるんだ……)
昨日、竿先を折って無惨に獲物を逃してしまったことを思い出す。
こうして、魚がかかったらすぐに手元に引き寄せてがっちりと捕まえなきゃいけないんだな。
そういえば酢屋のお兄さんも、そのあたりの手際はすごく良かったように思う。
「嬉しいです。初めて釣れましたっ……!」
桶の中で窮屈そうに身を丸めて泳ぐ魚たちを覗き込みながら、達成感に涙ぐむ。
「初めて? 二匹釣れてんじゃねぇか」
私の喜びようを大げさだと軽く笑い飛ばしながら、浪士さんは首を傾げてこちらを見る。
「もう一匹は、私が釣ったんじゃないんです。知り合いが見本に釣り上げてくれたもので……」
「ふーん……そっか。んじゃあ、マジで初めてかよ。そいつはおめでとさん!」
「はいっ! お兄さんが最後手伝ってくれたおかげです! ありがとうございました!!」
桶を挟んで向かい合うように座る私たちは、互いに表情をくずしてほっと一息つく。
浪士さんは、私がしきりに感謝を述べるのでなんだかこそばゆいような、照れたような笑みを浮かべ、頬を掻いた。
「もう陽も落ちて、そろそろ夜だし……アレだな」
「あ、そうですね」
そろそろ本題に話をつけて、帰路につきたい時間帯だ。
中断していた会話を再開しようと私が口を開こうとしたその時、大きな水しぶきと共に浪士さんが川へと飛び込んだ。
「ちょっと待ってろよ!」
そう言い残すと、ざぶざぶと音を立てて橋の方へ突き進んでいく。
まだかすかに空の端に色が残ってはいるものの、あたりはすっかり夜の闇に塗りつぶされようとしている。
みるみる遠ざかる浪士さんの背中は、まるで影絵のように薄闇の中に浮かび上がっている。
「……魚、釣りに行ったのかな?」
けれど、竿はここに置いたままだ。一体何をするつもりだろう。
――ばっしゃあっ
彼が立っているあたりの場所から、勢いよく水音が上がる。
「おーーいっ! 桶持って来てくれっ!!」
全身黒い縁取りで表情も見えない浪士さんが、声を上げる。
静かに流れる夜の川と、さらりと柳を揺らす冷たい風に少しばかり寒気を覚えつつ、私は釣り桶を抱えて声の方へと駆け出した。
浪士さんの目の前まで来ると、ようやく状況が把握できた。
大きな岩を少しだけ持ち上げ、川底との間に隙間を作るように足で固定している。
――そして、両手で力強く握りしめているのは、うねうねともがくようにその身を動かす……
「……うなぎ、ですか?」
「おうよ。このあたり、結構とれるって聞いてたからよ」
得意げに胸を張ると、浪士さんは私が持って来た桶の中に、そっとうなぎを放した。
「すごいですっ! 手づかみなんて……! すごい、すごいっ!!」
そのまま料理してお店で出せそうなほどに立派に太った鰻を見て、桶をぎゅっと抱え込みながら浪士さんに尊敬のまなざしを向ける。
「まぁ、慣れりゃあ簡単なもんだぜ。そいつはおめぇにやるよ。蒲焼きにでもして食ってくれ」
「えっ!? いいんですか……!?」
「おうよ。そのかわりと言っちゃなんだが、アレだ。ほとがらだ」
「あ、はい……そうですよね。返さなきゃいけないですよね」
これまでの会話から、この人が写真の持ち主だと半ば確信はしている。
……何より悪い人ではなさそうだし、これ以上疑ってかかるのも忍びない。
「――いや、ちょっと待ってくれ。もちろん返してもらうつもりなんだがよぉ……おめぇ、正直まだ疑ってんな?」
「いえ……! あの、話を聞いてたら本当に写真の人かもって……」
慌てて首を振り、取り繕う私を見て、浪士さんはからからと笑ってみせる。
「いや、そんなビビんなって! 疑ってもらって実は結構嬉しかったりするしな……だからよぉ、確かに本人だって証拠に、明日またここに来るわ。仲間連れて」
「仲間……?」
「中岡さんは忙しいだろうから、まぁハシさんかな。二人でまた来るからよ。そしたらさすがに信じるな?」
思わぬ提案に、私は胸を高鳴らせながらこくこくと大きくうなずく。
「し、信じます! あの、橋本さんが写真通りのお顔なら……!」
「安心しろ! ハシさんはほとがらそのまんまだ! 一発で本人と分かる!」
くすりと小さく笑ったあと、自信ありげにぐっと握った拳を突き出す浪士さんを見て、私も静かに笑みを返す。
「そういうことなら、分かりました。また明日もここに来ますね!」
「おうよ。明日の夕方ごろ会おうぜ!……ちなみに、おめぇ名は?」
「天野美湖です!」
並んで川の中を歩きながら、心なしかどちらもはずんだ口調で言葉を交わす。
すっかりあたりは暗くなり、足元もよく見えない。
先ほど腰かけていた場所まで戻って川岸に上がると、一仕事終えた達成感からか、二人して大きく息をついた。
「そんじゃ、また明日な」
一通り話がついて互いに言葉少なになると、通り抜ける風の冷たさに小さく身震いをして、浪士さんは軽く手を振りその場をあとにしようとする。
まだ聞きたいことが残っている私は、きびすを返した彼の着物の裾を掴んで、あわてて引き止める。
「待ってください! まだあなたのお名前聞いてないです……!」
「おお、やっぱ名乗っといた方がいいか?」
若干面倒くさそうに頭を掻くと、浪士さんは明らかに気乗りしない様子で苦笑する。
「それはそうですよ! 教えてくださいっ」
「まぁ、ハシさんや中岡さんの名も知られちまってるし、いいか……田中だ、ヨロシクな」
「田中さん……! はいっ! 明日もここで釣りしてますから、またお会いしましょう!」
「おう。んじゃな、暗いから気ぃつけて帰れよな!」
「はいっ!」
はじめは怖くて仕方がなかったけれど、話をしてみると田中さんは悪い人ではない。
(むしろ、優しい人なのかも……)
振り返ることなく暗い路地の奥へと駆けて行く田中さんの背中を見送って、桶の中へと視線を落とす。
鰻までもらっちゃったし、明日会う時は何か私もお礼した方がいいかな……。
『また明日』なんて約束をしたのは幼い時分以来で、なんだか不思議な高揚感がある。
――明日が待ち遠しいな。
三人全員の名前も分かったことだし、今日はずいぶんと収穫が多かった。
スッキリと晴れやかな気持ちで、釣り竿と桶を持って帰路につく。
いつもなら怖くて避けて通る柳の下をすいすいと走り抜け、鼻唄まじりで夜空を見上げる。
明日は、橋本さんに会えるな――。
一体彼はどんな人なんだろう?
もし時間があるようなら、田中さんと一緒にいずみ屋に招待したいな。
かすみさんにも会わせてあげたいし。
あれこれと思いを巡らせながら、入りくんだ路地を小走りで抜けて行く。
私の勝手な言い分ですぐに写真を返せなかったのは少しだけ申し訳ないけれど、明日にはこの持ち主探しにも決着がつけられそうだ――。
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