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三.第三試合開始
女はそんな二人を甘い笑顔で包み込みながら、
「ふぅーん、そうなんだぁ。
今日は残業もせずに並んで帰って行ったと思ったら、一緒に遊ぶためだったんだねぇ、仲いいねぇ」
と、ゆるふわウェーブの長い栗色の髪をかき上げる。
「いや、そんなことねぇって、全然。
こいつなんか野球もわかんねぇ、日本の魂も持ってねぇ、とんだ甘ちゃんで」
「葛西の方こそ、野球で全てを語ろうとするただの野蛮人ですよ。
っていうか高宮さんは今やっと仕事終わった感じですか?
この時期経理は大変ですよね!」
「まぁねぇ、どうしても年度末は残業増えるよねぇ」
女が葛西よりも自分の言葉の方に返答したことに八重木は眼鏡の奥でほくそ笑みながら、
「僕も前の仕事では事務やってましたからわかりますよ。
現場のやつらは何もわかってないからすぐに事務に文句ばっかり言いますけどね。
ほんと、なんにもわかってないくせに」
と葛西をちらりと横目で見やる。
「あ?なんだよ、俺のこと言ってんのか?
お前はそんな知った顔するよりも先にまともに現場もできてねぇじゃねぇか。
聞いてよ、サオリちゃーん。
こいつ全然体力無いからさぁ、こないだなんか現場で急に座り込んじゃって、『ちょっと今日はもう無理っス』とか工場長に泣きついちゃってさぁ。
作業始まってたったの二時間しか経って無いってのにな、ははは」
「そうなのぉ?
まぁ八重木君は文系だもんねぇ。
葛西君はもろ体育会系って感じだけどぉ」
「そうそう、なんでこの仕事やってんだよって感じでね!
無理なら早く辞めた方がいいんじゃねぇのか?
お前がいなくても俺がその分ぐらい余裕でカバーできるぜ?」
イニシアチヴは取り返したといったしたり顔の葛西が、ボールを手のひらで弄びながら足早に女の元へと辿り着くが、
「あぁ、そうだな、そしたら汗水たらした肉体労働はお前みたいなのにまかせて、俺は上に頼んで事務に異動させてもらおうかな。
そしたら高宮さんの手伝いもできますね。
僕けっこう仕事早い方ですよ。
あいつなんか全然事務仕事なんてできませんしね。
今どきパソコンの使い方もわかんないって、有り得ないですよね。
なんか知らないカタカナが出てくるとパニックになるんですって、あははは」
八重木が畳み掛けて制する。
「あははぁ、わかるぅ。
あたしも未だにわかんないこと多いよぉ。
でも今はもう事務はパソコンばっかりだからねぇ」
「良かったら今度教えてあげますよ。
僕は子供の頃から使ってますから」
「そうなんだぁ、あたしはパソコンなんて学校の授業でしか触ったこと無かったからなぁ。
それなら今度お願い……」
「それよりさぁ!」
女の危うい台詞を遮って葛西が大声を上げ、
「今度野球観に行かない?
知り合いに頼めば超いい席のチケット手に入るんだよ、ほんとほんと」
と続けた。
「高宮さんが野球なんか観るわけねぇだろ!
夢見てんじゃねぇよ!」
「お前が観るんじゃねぇんだから関係ねぇだろ!
ね?
どう?」
「うぅーん、野球かぁ。
まぁたまにはそういうのもアリかなぁ。
でも……」
「ほら!
ほら!!
観るって言ってんじゃねぇか!!」
「高宮さんの言葉を中断するんじゃねぇよ!
まだ『でも』っつってただろ!?
結局行かねぇよ!」
「お前がなんで決め付けてん……」
「なんだ、終業後にも仲いいな、お前ら」
野球から高宮サオリを巡る口論へと発展し始めた二人の争いに、ふいに年配男性の声が割り込んできたが、すっかりヒートアップしていた葛西は、夕闇の中にも目立つ男性の頭頂部のみを視界に捉えた瞬間、
「あ!?っせぇぞハゲ、てめぇには関係ねぇだろうが!」
と反射的に声を荒げた。
が、
「あぁ、三波専務、お疲れ様です!」
深々と一礼する八重木の言葉に我に返ると、
「な……!?
せ、専務!?
なんでこんなところに!?」
とうろたえ、慌てて自分も踵を揃えて深く頭を下げた。
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