ねんねしな

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四角い段ボールに詰められている。 広くもない、面白味もないペラペラの四畳半。家賃は六万ちょっとの段ボール。 目障りなネオンが目を焼くもんで、部屋に明かりは点けていない。 からころからころ、ちゃぷちゃぷ 何をするでもなくグラスの氷を回す。 最近どんなにキツいアルコールを喉に流しても酔わない、焼けない。 それじゃあどうしたら私は眠れるの? きょう子は詩を詠んではフローリングに直に触れる靴下をそうっと撫でる。 目の下には濃い隈が縁取り、瞳に生気はない。 白魚のような指の付け根はどす黒く染まっている。 20代とは思えないほど老け込んでいて髪はボサボサ、メイク落としも半端でピンクのレース付きパジャマが驚くほど似合ってない。 時折、噛んだ下唇の隙間から刺激物を流し込んでは小声で悪態をつく。 カツラハゲ上司のやつ…大嫌い。 恨みを込めてぶつぶつ呟いていた。 「こっちの書類を捌いておけ。」「まだ終わってないのか、いつまで新人気取りのつもりだ?」「自分が可愛いと思ってるのか?お姫さま気取ってないで仕事しろ仕事!馬鹿が!」「まーだー終わってないのか!手を動かせ馬鹿!はーやーくーしろー!」 唾と怒号が毎日、私に浴びせられる。 机をバンバン叩かれて脂汗を肩につけられる。 スポンジのように柔な私の体は暴言を受け流すこともできず、吸収するばかりで泣きながらノルマ以上の仕事を押し付けられては残業の日々。 庇えば自分にターゲットが向くからって、誰も助けちゃくれない。そんなもんよね、人間ってさ。逆の立場なら私もそうしたいわ。 私だって、人並みの楽しい人生送りたい。 だから忘れたいの、酔いたいの。 だけどもう、この程度じゃ酔えない。 あいつの金切り声が耳から離れなくて… とても、眠れない。 「どうしてこうなっちゃったんだろ…。」 分かんないよ…。 私は頑張っているのに…。 努力してるのに…。 虚しい自問自答を繰り返す。 息の仕方も忘れて、体を丸めた膝の上に突っ伏す。 「………。」 ぷるっと体が勝手に震えた。 背筋に氷を流し込まれたような心地。 「さっむ…。」 鳥肌の立つ二の腕を擦る。 眠れなくたっていい。 寒いから横になろう。 暗闇に慣れた視界を頼りにベッドへ向かう。 ゴミと雑誌で自然に作られた険しい道だ。 ばさばさ、重たい掛け布団をまさぐって敷き布団との間に滑り込む。 具合の悪い枕の上によいしょと頭を乗せる。 キーーーーーン… しん、とした静寂が耳について五月蝿い。 布団を体に巻き付けて右に左に寝返り打つ。 丁度いい位置なんてどこにもない。 いつだって宙ぶらりんな私。 もがいてる姿はさぞかしケラケラ滑稽ね。 沁みる瞳をパチパチ瞬き繰り返す。 半端に焼けた喉がひゅうと渇く。 何でもいいや、何にも考えない。 広いシーツの上でぎゅうぎゅうに体を小さく丸めて、頭を抱えて今日も横になる。 こんこんこん… ぽつぽつぽつ… みーーーーん… 家電製品うるさ…。 時々謎の音も聞こえるし、寝らんない。 寝らんない、馬鹿みたい。馬鹿じゃん。 きょう子は指の付け根をつねる。 嫌なことがあったり、ムカついてると勝手にやってしまう。そのせいでいつも親指の下は黒ずむ。 おやすみ、おやすみおやすみ。 効かないおまじないをにゃむにゃむ唱える。 何どきだろうか? 随分しんしんと夜も更けたようだ。 「…………ら」 「…?」 「…………ら」 ら、って何? 家電製品の運動会にしては明確な発音だ。 人の声に近い「ら」に不信感を抱く。 頭を浮かせたせいか、三半規管が狂いゆらゆら揺れてる心地になる。アルコールのせいかも。 「………。」 息を潜め、目をぱっちり開く。 四畳半の隅々にまで聴覚を向けた。 「…りら」 「…りら」 増えたような…? 意識したせいでちゃんと聞き取れているだけかもしれない。 機械音声のような不気味さを感じる。 何で聞こえるの?私…おかしいの? 枕に平べったい耳介を押し付けて目を…と思ったが、枕が…ない。 「…!?」 心臓が飛び上がり、その衝撃で上を向く。 見えない、見えない何かがソコにいる。 暗い闇が立体化している。 「ら……」 「ら……」 「何…何なのよ…!?」 どこまで私の心を潰せば気が済むのよ…! どういうわけか、その存在にひどく憎しみを 感じた。 上司の姿に似ているのだろうか? 「寄らないでよ!出てって!!」 強い口調で怒鳴りつけた。 自然と暴言が出る。 私は前にも…こういうことをした? 闇は奇妙なことに、口裂と腕のような影だけは、はっきりと見えていた。 そしてもにょもにょと口元を動かす。 るりら るりら るりら 「……?」 影が歌っている? ちゃんちゃら可笑しいことにそいつはリズムを刻んで歌っている。 何なのそれは、子守唄か何か? るーりーら るーりーら 「………。」 枕は暗闇が掴んでいた。 私の頭を載せて左右にゆらゆら揺らしてる。 るーりーら るーりーら 意外と歌、うまいじゃん。 優しい声してると思うよ。 るーりーら るーりーら 「………、」 心地いい歌声にトントン眠気を誘われる。 体がお湯に浮かんでるみたい。 赤、ピンク、黄色の花弁が浮かんだ香りのいいミルク風呂。 川のせせらぎや鳥の声を幻聴して私は…リラックスしている。 るーりーら るーりーら 可笑しいくらい影は同じことしか言わないのに酩酊した私はまたまた幻聴が耳に入ってくる。 お疲れさま 頑張ったけんね きょう子は偉いけんね きょう子は強い子やけんね でも頑張りすぎはいけんとよ だいじさん、かわいいだいじさん こらえとるって分かっとうよ お酒ば呑まんと、泣いてもいいとよ 「あ…あ…」 きょう子は見開いた両目をプルプル震わせ… 気づけば大粒の涙がボロボロ零れていた。 「かあ…さん。」 乾いた唇から音が漏れた。 そうだった、そうだった。 どうしてカラカラ、忘れていたの? 昔から私が癇癪を起こして布団に潜り込むと決まって母さんが寄り添って… るりら るりら 分からない言葉で歌っていた。 枕を揺らすもんですごく嫌だった。 時々暴言で突き放したりしたけれど絶対母さんは離れてくれなかった。 癖で指をつねる私の手を何時間もさすってくれた。 「ごめん、なさい…。」 そうして最後には必ず、私から謝った。 泣きながらぽろり呟くと枕が動かなくなる。 影なんてどこにもいなくなる。 こんこんこん… ぽつぽつぽつ… みいいいいい… 再び、家電製品の運動会が始まった。 その音を聞きながらいつの間にか…私は眠っていた。 久しぶりに何時間も何時間も、眠った。 頭がすう、として 背筋がぐん、とのびて ぱちぱち眩しい朝日に微笑んだ。 床に捨ててあったスマホには不在連絡が 何十件も入ってる。 全部、無視した。 無視して一つだけ、番号を掛けた。 とるるるる とるるるる がちゃ 「ええと…はいはいはい、もしもしもし?」 「あ…、お父さん、私、私。」 「きょう子…!?ど、どげんしたとね? 仕事が忙しいちゅうて、全然掛けちゃくれんかってん…いや、嬉しかよ。なんや、なんばあったとねや?」 久しぶりに聞く声はわちゃわちゃ騒いでは嬉しそうに弾んでる。 「聞きたいこつのあるとよ。」 「なんねや?」 「母さん、私が小さい頃…なんて呼んどったっけ?」 「懐かしいこつやん。ばってん覚えとうよ。 『ままの大事さん。お腹を痛めても構わない、可愛い可愛いままの大事さん』やん? 急にどげんしたと…どげんした!?きょう子?きょう子…泣いとるとね!?」 泣いてないよ、ばーか。 昔から私が泣くと弱い父さん。 だから心配、掛けたくなかったんだけどな。 「あんね…父さん、私、そっち帰るわ…。 頑張ったけどな、無理やってん。 私なりに努力したけど、あかんかってん。」 「そうか、そうか。ええんやて。 帰っておいで、ぱぱ洗濯苦手やねん。」 「靴下、臭いからやろ?」 「せやせや、きょう子ちゃんお願いよ。」 「くさいの移るのやだ…。でも、しゃあないから私のと別にして洗っちゃるけん。」 「あんがと~。」 電話を切ったら、気持ちスッとした。 身軽、気分が良い。うんと伸びをした。 でもいかん、今日から忙しくなるぞ。 引っ越し手続きして、役場連絡して…あれこれあれこれ、ああ忙しい。 お土産も沢山、()うていこ。 実家に帰ったら一番に、お花あげたいし。 その日以来、不思議ときょう子の不眠はぴたと治っていた。 代わりに歌も二度と聞こえなくなっていた。 父と二人暮らし、楽しく過ごしたとよ。
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