夢守人黒姫 Love in a mist

4-2 決して交わらぬ桜と青

　捻じ曲げられた空間の先は、白昼夢(はくちゅうむ)だった。上から落ちる形になった私は、受身を取って着地する。
　顔を上げれば、日傘を丁寧に閉じる青子の姿が見える。満面の笑みを浮かべてこちらを見る彼女の頬は、紅(あか)く上気している。
「はじめましょう」
　うっとりと吐き出された蠱惑(こわく)的な声に、自分が中(あ)てられないよう、私はサクラバナを構える。選択肢は限られていた。相手を撤退させる為に戦う。青子の思う壺なのは解っていても、私にはそうする他無かった。
　気づけば青子の手には、鈍く銀色に光る拳銃の姿があった。細身の銃身、豪奢な文様、優雅だが幼い少女に似つかわしくない銃。見るだけで心を逆撫でする、悪魔の銃。

　ファントム・ブルー。夢花の種子を植えつける魔銃の名であった。

　青子は、慣れた手つきでトグルを後ろに持ち上げるようにして引き離し、銃を構える。弾である種子は勝手に装填されるので、自分で弾倉を装填する必要はない。そもそも、空想・妄想で出来た夢の世界の物は、使用者の想像力だけで動かすことが出来る。だから本来であれば、第一弾の装填すら必要もなく、引き金を引くだけで弾丸は発射されるが、彼女はトグルアクションをわざわざ再現することに拘(こだわ)りを持っている。
「今日はせっかく黒姫に会えたから、青子、頑張っちゃおうかな」
　ファントム・ブルーのグリップ部分に軽く口付けると、左手に同じものが現れる。あは、と笑いながら、青子は両手のファントム・ブルーを私に向けて構えた。銃全体が、仄かに青く発光するのが見えた。
　青子が引き金を引くのと、私が防御のためにオモイバナを乱舞させるのは、ほぼ同時だった。距離が開いていたためか、それとも誘いの一発だったのか、弾丸は当たることはなかった。
　私は青子に向かって走り、サクラバナを煌(きら)めかせる。同じく私に向かって走ってきた青子に、集中してオモイバナを投げ、動きを一瞬鈍らせる。青子の身体がよろけ、背中が見えた瞬間を狙って刃を振り下ろす。
しかし、すばやく身を翻した青子は、左手のファントム・ブルーの銃身で刃を受け止め、金属音を響かせた。ファントム・ブルーの銃口から弾が発射され、私の頬すれすれに弾がかする。銃を叩き落とす勢いで力を入れるが、青子はその細腕からは想像できぬ力で持ちこたえた。
　どちらともなく離れ、青子が弾を撃ち、私がわき腹めがけて刃を振るう。放たれた弾丸が私の服の端を抉(えぐ)ると同時に、刃の切っ先が青いワンピースを彩るリボンを裂いた。
　お互いの身のこなしは俊敏(しゅんびん)で機敏(きびん)、ほぼ互角だった。命のやり取りでもあったし、私が彼女に抗(あらが)う答えでもあったし、そして彼女の感情の、表現方法でもあった。
　私たち二人が力を振るうごとに、青と桜色の花びらが舞い散って、白昼夢を染め上げる。
「久しぶりね！　こうして貴方と向き合えるのは！　夢花が無くなってしまったのは残念だけど、こうして貴方に会えた！　青子、胸がいっぱいなの！」
　合いの手のように、ファントム・ブルーの銃声が響きわたる。どれもこれも弄(もてあそ)んでいるのか、私を狙ってはいない。　
「戯(ざれ)れ言(ごと)を……！」
「ねえ覚えてる？　初めて出会った時の事を。青子、ずっと忘れたことはないの。真っ白な白昼夢で、独りぼっちだった青子を見つけてくれたのは、貴方だから！」
「黙れ」
　サクラバナを振るい、近づいたり離れたりする中でも、青子の上ずった声音は変わることはない。過去のことを今更思い出して、何になるというのだ。
　ファントム・ブルーの銃声が遊ぶように鳴り、私の服や髪を抉っていく。

「ううん黙らない。だって青子、貴方のこと、大好きだもの！」

　さらりと出た愛の言葉に、私は内臓をかき回されるような居心地の悪さを感じる。
　そう、この夢魔の姫……青子は、私に向かって愛を囁く。
　普通ならば、夢を荒らす夢魔が、夢の秩序を守る夢守人に懸想(けそう)するなど、そもそもありえない。夢守人は夢を見られない故に、夢を糧(かて)とする夢花を咲かすことは出来ない。だからこそ夢魔に対抗しうる存在なのだ。　
「貴様の事など、もう私は……！」
　私の言葉にかぶせるように、青子は口を開く。
「貴方には青子しか居ない。ずっとそう思ってたのに、人間の男が、貴方を誑(たぶら)かすから！」
「貴様ッ！」
　人間の男。私にとって禁忌(きんき)に近いその言葉に、私は反射的に怒鳴り声を上げ、サクラバナを大きく振り落とす。
「護(まもる)のことを、貴様が口に出す資格は無い！」
　遠い昔、青子の策略によって陰獣に喰われた恋人を思い出し、私は髪の毛が逆立つような怒りを覚える。
「あんな男より、青子は、貴方のこと……」
　私の振るったサクラバナの切っ先を避け、青子は軽い身のこなしで跳躍し、私を飛び越える。すぐに私も身を捩(よじ)り、ファントム・ブルーを払い落とす。ガチャリと硬質な音を立てて、左の手からファントム・ブルーを離し、消滅させることに成功した。しかし、右手も同じように払おうとした瞬間、踏み込んだ左足を滑らせてしまった。花びらが私の足を掬(すく)ったのだ。
「!?」
「捕まえた……！」
　喜びに震えた、青子の声が聞こえる。
　怯んだ私の肩を青子が押し倒し、青と桜色の花吹雪の中、二人まとめて地面へ倒れる。右手は自然にサクラバナを逆手持ちにし、青子の喉元に突きつけると同時に、一瞬目を見開いた青子が、ファントム・ブルーを私の胸に突きつけた瞬間、時が止まったように私たちは静止した。
　青子は私を押し倒した格好のまま動かない。青子は顔を上気させ、眼を見開いたまま私を見つめている。いつでも引き金を引ける――切っ先を押し当てている。お互いの命を握っているのだと脅し脅されている状態に、私は呼吸を細め、心を落ち着けるよう努めた。
　青子の目が私のサクラバナをちらりと見やる。そして、薄い笑みを浮かべた。
「そういう、仕事熱心で真面目な所も好きよ……サクラ」
「その名で、呼ぶな……！」
　サクラ――桜(さくら)姫(ひめ)。遠い昔に捨てた、かつての名を呼ばれ、肌が粟立つ。勢いでサクラバナを、青子の白い喉へ押し付けそうになる。
「酷いわ、青子があげた名前を、貴方は捨ててしまったのだもの」
「……」
「華やかな桜(サクラ)を捨て、喪の〝黒〟に変えて、あの男への操(みさお)を立てているのね」　
　これ以上、挑発に乗るつもりは無かった。しかし怒気を抑えることは出来ず、キッと睨みつける。
「でも、いいの。それでも青子は、貴方のことを、」
　青子は急に眼を細めると、更に私に顔を近づけた。次いで足を絡められ、ねっとりとした執着や未練が詰まった視線を注がれる。そらしたくなる衝動に駆られるが、今ここで安易に動けば、私に勝機が無いのは明らかだ。
　サクラバナを祈るように握り締め、好機を待つ。
　その時だった。

「愛してる」

　突然囁かれた言葉の意味を考える暇もなく、青子が私の唇を塞いだ。柔らかく、小さな唇が、貪欲(どんよく)に私を求め、深く深く、それこそ痕を残さんとばかりに、強く。
「――っ！」
　悲痛で独りよがりなその口付けに、私は訳の分らない怒りがこみ上げる。それは、恋人にしか許さなかった唇を奪われたという怒りなのか、一方的にぶつけられる想いへの怒りなのか、それとも両方か。私は抵抗するように、微かにサクラバナを握る手に力を込め、身体を捩(よじ)る。それを感知した青子も唇を離し、ファントム・ブルーの引き金に指をかけた。
　私は何もかもを薙(な)ぎ払いたくて、サクラバナを無我夢中で振るう。そしてその切っ先は、青子の右目を下から上に斬りつけていた。青と桜の花びらに混じって、鮮血が迸(ほとばし)る。
　ひぃ、と青子には珍しい悲鳴を上げる。しかし悲鳴を上げながらも、ファントム・ブルーの引き金は引かれていて、バン！　と銃声が響いた刹那、私の右肩に熱い衝撃が走った。
　一瞬の出来事だった。
「くっ……！」
　お互いが仰向けに倒れそうになったが、それでもやはりお互い足を踏ん張り、倒れることは無かった。
「あ……あ……」
　どくどくと赤い血が流れる右目を抑えながら、青子は魚のように口をぱくぱくさせている。
　次第に血がぽたり、ぽたりと青子の服に滲み、白い部分がじわりと赤く染まっていく。青の中に紅(あか)い花を咲かせていく様を、言葉も無く眺めていた、その刹那だった。
「あ……あはっ、あはははっ！」
　突然の嬌声(きょうせい)に、私はずきずきと痛む傷を押さえながら、同じく傷口を押さえて笑い狂う青子を見た。

「く、黒姫が、あ、青子に、傷をくれた……！」

　喜びに溢れた声に、私は思わず、ぞくりと背筋が凍るような感触を覚えた。傷つけられた癖に、何を喜んでいるのか。私には理解しがたい言葉であり、表情だった。しかしそれを遥かに上回る言葉が、青子の口から飛び出した。

「……ね、え、もっと……もっと、ちょうだい……！」

　青子の紅(あか)い眼が見開かれ、こちらを凝視した。傷口を押さえていない青子の手が、求めるように差し出される。
　――何を求めているのかを理解した瞬間、恐怖と嫌悪感が湧き上がり、思わず後ずさる。罵倒する言葉さえ、出なかった。
「あ、ああ……」
　身を引いた私を見ると、青子は息を飲み、まるで粗相(そそう)をした子供のような顔をした。すぐに我に返った表情になると、いつもの微笑を浮かべようとする。
「あ……ご、ごめんなさい。青子、はしたなかったわ……。でも、ああ……っ……青子、すごく嬉しくって、欲しがっちゃったの……許して……？」
　青子の言葉に、動揺が滲んでいる。足元をふらふらさせ、ああ、という感嘆を漏らし続ける青子。そして、ぐらりと、その場に膝をつく。荒い息遣いの中、はたと気がついた顔になると、手元に日傘を出現させた。
「ご、めんなさい、もっと、貴方とこうして、いたいけど……もう、限界、みたい……。顔が、良く見えない、の」
　たとえ夢魔とて、眼部の損傷は痛手なのだろう。立ち上がり、日傘をゆっくりと惜しむように開くと、青子は一息ついて、私を見据(みす)えた。紅(あか)い瞳の中に秘めた感情が、行き場を無くしたように揺らめくのが見える。
「じゃあ、またね、黒姫……愛してるわ、本当よ」
　日傘が回転し始めると、青い花びらに包まれ、青子の姿は消えた。
　私は肩を抑えたまま、青子が消えた後を眺めるだけだった。