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出ると、廊下の右手に九つの雑居房が見えた。その中には、ガリイとおなじ軍服姿の男たちが押し込められていて、頑丈そうな鉄格子の向こう側から皆一様に眼光するどくヒサトを睨めつけてきた。
その中の一人、赤毛の若い軍服が「裏切り者……」と、ボソリと呟く。ムラトはその若者に一瞥もくれずに九つ目の雑居房の前まで悠然と歩をすすめた。
他とは打って変わり、そこには一人の男だけがいた。男は奥の壁際に置かれた白いパイプ作りの簡易ベッドに腰掛け、指を組んだまま視線を薄緑色のリノリウムの床へと落としている。
「理由だけでもお訊きかせ願えますか、代表」
言って、男が顔を上げる。
その異様な相貌に、背筋にヒヤリとしたものをハナコは感じた。
まだ三十路を迎えたばかりにしか見えない筋肉質の男には、右の眉がなく、額から三本の長い古傷がその部分を抜けて頬までのび、反対の左の頬にはかつて拷問で穴を空けられたのか、いびつな円形の古傷が五つあった。頭の左半分には髪がなく、それを隠すかのように夥しい古傷が縦横無尽にのびている。右に残る五分刈りにした毛髪はすっかり白くなり果て、それが男の壮絶な半生を物語っていた。
ムラトが男に言う。
「当初から言っているとおり、わたしは、われわれだけの力でクニオ・ヒグチの首級を獲るべきだと思っている。悪魔がつくらせた非道きわまりない力を利用してしまえば、我々もまた、やつと同じ領域に足を踏み入れてしまうことになるからな」
「忠言したでしょう、綺麗事を言っておられる事態ではないと」
「力を手にした者が暴走するのは世の常だ。わたしは、クニオ・ヒグチにそれをさせないために、アリスと〈マッド・ハッター〉、そして、良心の呵責に耐えきれずこちら側についたメンゲレ博士を手元に置いていたのだ」
「そのことは重々承知のうえですが、その力を使うことに賛同する者は今や多数派ですよ。その意思を尊重しない身勝手な行動はもはや独裁だ。すでにクニオ・ヒグチと同じ領域に足を踏み入れたと言っても過言ではありませんな。組織を率いる人間が犯してはならない最たる愚行だ」
「百も承知だよ、カオル・スズキ実戦総隊長」
男――カオル・スズキが口の端を緩める。
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