不倫女(円香)

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不倫女(円香)

 雅人は実際の年齢より若く見える。 窓ガラス越しにビジネスホテルに向かってくる彼を見ながら、私は冷めたコーヒーを口に運んだ。ラウンジに流れる音楽は、人々の会話を邪魔しない音量でひっそりと流れている。  朝十時を過ぎた土曜日。 ホテルのフロントではビジネスマンと、観光地が近いため何組かの家族連れがチェックアウト目的でカードキーを持ち、列を作っていた。  コーヒーカップをソーサーに戻す。口紅がカップの縁にうっすら残った。ガラス越しに雅人と目があった。彼は軽く手を挙げ、駆け足でホテルの入り口に向かった。軽やかな走り。  出会ってから、二十年近くの月日を感じさせず、とても五十代には見えない。見た目だけでなく身体能力自体も衰えを感じさせない。それはベッドでも同じ。  成人した息子がいるのにも関わらず、男として全く草臥(くたび)れておらず、プライドも高い。会社でもエリアマネージャーという責任のあるポジション。人の上に立ち、頼りにされる事を生き甲斐に感じており、若々しい見た目を保つ理由になっているのだろう。  それに、加えて。 妻帯者であるのにも関わらず、土曜の昼間から仕事のふりをして、ビジネスホテルで妻以外の女性と関係を持とうとしているのも理由の一つになっていると思う。  色々な事柄に対して意欲的だから不倫をするのか、妻以外の女を抱くから、仕事にも意欲的に取り組めるのか彼の思考回路は分からないが、私にとってそんな事はどうでもよかった。 彼が私にお金を注いでくれるのであればそれ以外の事はどうだっていい。   大事なのは、お金。 ただ、それだけだった。  向かってくるシワひとつないシャドーストライプスーツと白無地のシャツを見つめた。整えられた清潔感溢れる身なり。髪は白髪が混じってはいるが、量もあり上品に纏められている。ロマンスグレー。濃紺の小紋柄のネクタイを見て思わず口角が上がってしまった。いい趣味。流石(さすが)私のもの。見ていて誇らしくなる。 「ごめん、待った? 沙織に仕事だって言ったら、シャツにアイロンを掛けるから待てって言われて。商談って説明したから断るのも怪しいからさ。それで、遅れた」 バリトンボイスに妖しさと色気を感じる。  浮気相手に逐一、説明をする彼の姿勢は真っ直ぐ。今から二人で行う行為はモラルに反し、歪んでいる。のに、正反対の事柄に期待してゾクゾクしてしまう。 「そんなに待ってないから大丈夫。沙織には私達の関係は気付かれてないよね?」 私が見上げると片眉を上げた。まさか、という表情。 「沙織が気が付くわけない。炊飯器のスイッチを入れ忘れ、掃除をしても部屋の隅は埃だらけ。しょっちゅう家の洗剤のストックを切らす、ぼーっとした女だ。浮気どころか雨が降ってても気付かないような鈍感女。俺が仕事って言っても何一つ疑わないし、文句も言わない」 その返事を聞いて安心した。 「良かった。じゃあ、行こう」  私は立ち上がり、彼の腕に手を回した。  シャドーストライプスーツは肌触りが良く、私の腕は滑らかに彼の腕に絡まった。雅人からねっとりとした視線を胸元に注がれた。その視線を身体で受け止めて、絡めた腕を強く自分の胸に寄せた。嗅ぎ慣れた柔軟剤の匂いを吸い込んで、幸福感に包まれる。  狂っていようが、なんと言われようが女の価値を認められる、この幸せは他に代え難いものがある。ラウンジで給仕をしている従業員と一瞬だけ目が合ったが、すぐに逸らされた。
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