お似合いですよ

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 駅に程近いところにある美容室、 そこで仕事の準備をする一人の女性がいた。 彼女の名前は吉岡和美。 この美容室のスタッフだ。 腕は確かでお客様からの評判も上々。 なによりセットが終わった後の 「お似合いですよ」 という言葉の後の笑顔が好評だ。  そんなある日、初めて利用するお客様の予約が入り、 和美が担当することになった。 来店したのはロングヘアの明るい服を着た女性で、 オーダーを受け付けると鏡に向き合って席に座った。 話好きな性格らしく会話が弾んだ。 「私、もうすぐ結婚式なんですよ。 ネットでこちらの評判を見て、セットして頂こうと思って」 慶事を控えた女性の声はどこまでも晴れがましい。 「うわー。それはおめでとうございます。本当に良かったですね! ネットで当店のことを知って、 わざわざお越しくださり本当にありがとうございます」 和美は笑顔で祝福した。 「彼と出会ったのはコンサート会場で、 誰かの紹介とかじゃなく、まったくの偶然なんです。 知り合いが行けなくなったチケットをもらって、 そこで隣の席に来たのが彼だったんですよ」 「え~そうなんですか。 いいですね。ほんとこういうのは巡り合わせですね」 相槌を打つ。 その間も休みなく手を動かし続ける。 チョキ、チョキ、チョキ… 「彼の趣味は登山なんです。 すっごく高い山に登るんですよ。 私は登らないから、彼が遭難したりしないか凄く不安で~」  「あー。それは心配になりますよね」 和美は返事をしながら、ふと過ぎ去った過去を思い出した。 だがすぐ打ち消すと仕事に集中した。 「音楽はジャズが好きなんです。 私は普段洋楽とか聴かない人なんですけど、 最近彼と一緒に聴くようになったんです。」 「ヘー。いいですね」  基本的に邦楽ばかりだった和美が、 有名なジャズプレイヤーの名前を覚えて、 名演を聴くようになったのはいつの頃だったか。 「彼、今年で30歳になるんですよ~」  和美の胸中に数年前別れた元カレの顔が思い浮かんだ。 打ち消そうとしたが打ち消せなかった。 嫌いあったというよりも、 お互い多忙で人生の中において ウェイトを置くものが違った、としか言えない二人だ。 「あーそうだ。私もうすぐ苗字が変わるんだ。 今度来る時はメンバーズカードの名前も変更しないといけないですよね。 夫の苗字は「水野」って言うんですよ」 確信した。 カットが終わった。 「お疲れ様でした。どうぞ鏡でお確かめください」 お客の女性は鏡で仕上がった髪型を確認した。 何も知らない彼女は無邪気な口調で 「どうです、似合います?」 と尋ねた。 和美はこみ上げてくる複雑な感情を押し殺して、笑顔で答えた。 「お似合いですよ」
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