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土曜日ということもあってか、車内はかなり混雑していた。隣に座る美由紀は化粧をしっかりと整えている。真っ赤なワンピースには百合の花弁が散りばめられている。胸元までさがる黒髪は艶を放っている。セックスレスになっても彼女は自慢の妻だった。
今回のデートは美由紀からの提案だった。一番最初のデートをもう一度やってみようという話になったのだ。もしかしたらあの頃の情熱を取り戻せるかもしれない。しかし誠一は前回の擬似性行為から、徐々に塞ぎ込むようになってしまっていた。元通りになってはまずい、そう何度も言い聞かせていた。
白の無地Tシャツに水縹色のダメージジーンズ、薄いベージュのパーカーはブランド物で、自分の誕生日に美由紀がプレゼントしてくれたものだった。
電車を乗り継ぎ新宿駅で降りる。車内から堰き止められていたように人が流れ出ていった。2人も身を任せてホームに降り立ち、人並みをかき分けて改札を出た。2人は今でも初デートを記憶していた。
複合商業施設で互いの趣味にあった買い物を行う。美由紀は服や雑貨、誠一はスニーカー。そして2人の共通の趣味であるロックバンドの新譜を見にCDショップへ。最上階にあるイタリアンレストランは少し背伸びをした2人にとって思い入れの強い場所だった。誠一はミートソースパスタ、美由紀はホワイトソースのかかったオムライス。数年経っても美由紀はオムライスを全て食べ切れず、誠一に差し出していた。ごめんねと笑いながら言う彼女の笑顔は、今も眩かった。
それから2人はTOHOシネマズ新宿に向かった。買い物をして昼食をとり、映画を見る。このオーソドックスなデートプランは2人で話し合って決めたものだった。
今回2人が選んだのは流行中の恋愛映画だった。濃厚な濡れ場もあるという話もあり、美由紀が強く薦めたものだ。こういった配慮に似たものも美由紀らしい気の遣い方だった。
夕方から見た映画は、正直在り来たりなストーリーだった。記憶をなくした男が交際中の彼女と徐々に記憶を取り戻していく、しかしその最中のセックスは、秘部こそ写っていないものの、かなり濃厚だった。隣の席で美由紀は度々足をくねらせていた、それすらもプレッシャーに感じてしまうのは、誠一の悪い癖だ。
すっかり夜になり、映画館を出た2人は歌舞伎町に出向いた。地方に住んでいた誠一は歌舞伎町と聞くと暴力団のイメージが強かったが、実際に来てみると大したことはなかった。少々しつこいキャッチセールスがいる程度だ。むしろ暴力団が堅気の人間に対して簡単に手を出すなんてことは有り得ないのだ。
大衆居酒屋へ向かい、2人は晩飯を済ませた。がっつりとした脂身の肉、香ばしいつまみにお酒。久しく来たために普通のビールすら懐かしく味わえた。
1時間ほどの飲食を済ませ、2人は店を出た。お互い酒の効果で体と気分が熱くなっているのか、美由紀は誠一に身を委ねた。
「じゃあ、行こっか。」
手に絡みつく彼女の指はねっとりとした感触で、外気のせいでひんやりとしている。
「そうだな。あそこでいいよね?」
こくりと頷く美由紀の腕が絡み、2人はネオンで煌めく街中を歩き始めた。体を預けてくる美由紀の乳房が誠一の腕に触れる。最初のデートでもこんなシーンがあったはずだった。当時はたったこれだけで恥ずかしげもなく勃起してしまっていたが、今日は何の反応もなかった。
歌舞伎町は眠らない街だと言われているが、その眩さは一部だけだ。少し道を外れてしまえばラブホテル街に入る。ねっとりとした光が道を照らして、すれ違う人の表情は分からない、そんな官能的な雰囲気を放っていた。
2人は迷わず歩を進め、ホテルラビットに辿り着く。十字路の角で薄く白い光を放っている。仕切られた出入り口へ吸い込まれていくように2人はラブホテルに入った。
偶然にも最初に訪れた203号室が空いており、迷わず選んだ。
最近じゃどのラブホテルも洗練された空間を売っており、比較的安価でも大人な雰囲気が部屋に漂っている。203号室は少し部屋が狭いものの、ウェルカムドリンクサービスとしてシャンパンがあり、ベージュのソファーは吸い込まれるほど柔らかい。なめらかな木目調の壁の隅に構える大きなベッドの端にパーカーを脱ぎ捨て、2人はソファーに腰掛けた。小さなクラシック音楽が流れており、目の前に聳える薄いテレビにはメニュー画面が表示されていた。ガラス張りのテーブルに荷物を置き、美由紀はリモコンを手に取った。
「私が好きなジャンルでもいいかな?」
誠一は頷いた。これも最初のデートと同じだった。ラブホテルのテレビの中には100を超えるアダルトビデオが内蔵されており、何気なく見始めて徐々に興奮した2人はすぐさま風呂場へ向かい、シャワーに当たりながら初めて繋がったのだった。
ボタンを押していき、美由紀が選んだのは有名な女優の最新作だった。
豊満なバストに彫刻のようなくびれ、西瓜を内蔵しているような尻、美術館を支える柱のような長い足が何の邪魔もない、作品のようだった。
「綺麗だなぁ…。」
そう呟く美由紀だったが、誠一は昔からこういった女性にあまり性的興奮を覚えなかった。どこか抜け目があったり、肉付きが良い方がいい。昔からそう思っているにも関わらず、未だ4年間、勃起はしていない。
カメラに向かってランジェリーをゆっくりと脱いでいく女性が裸になり、フレーム外から男性が入ってきた。男性の方はもう既に裸の状態で、すぐに女性を抱きしめて唇を重ねた。口元がこれでもかとアップで映され、舌と唾液がはっきりと見える。ここまで鮮明に映す必要はあるのだろうか。誠一は映像技術の観点から疑問を抱いしてしまった。アダルトビデオに対してこういった冷めた見方をするところも、この現状を加速させてしまう要因になってしまっているかもしれない。だからこそ誠一は音に注目した。
粘液が混ざり合う音、乳房を揉んで乳頭を刺激する際に漏れる女性の小さな喘ぎ声、肌を撫でた時些細に聞こえる微かな音すらも誠一は聞き取ろうとしていた。
「随分大きいねあの人…。」
美由紀はソファーに深く腰掛けて言った。男性の下腹部から伸びるモザイクの範囲はかなり大きい。おそらく誠一自身はあれほどの大きさはないだろうが、自分の勃起したペニスがどれほどの大きさだったかを覚えていないために比較のしようがなかった。
真っ白な撮影現場のため、男女の後ろにベッドがあるとは思わなかった。女性を抱いて真っ白なベッドにゆっくりと倒し、長く柱のような両足が開いた。小さなモザイクが露わになり、男性は顔を近付けていった。そこから1分ほど濃厚なクンニリングスが展開されていく。カメラワークを変えてモザイクのアップや女性の反応、全体を捉えて、様々な手法で愛撫が映されていった。
「エロいなぁ。」
ぼそっとこぼした彼女の一言は既に媚を含んでいた。もう興奮しているのだろう、もちろん付き合った当初は自分もこの時点で勃起していたが、未だに肉としての反応はない。
ムラムラと表記される、性的興奮を覚える言葉は不思議なものだった。下腹部がむず痒くなるような感覚に、徐々に呼吸が深くなる。あの感覚をもう一度味わいたい、誠一は座ったまま肛門を閉めた。アナルを閉ざすとペニスにも少々刺激が加わる、男にとっては当たり前の感覚だが、改めて思うと人間は不思議な構造をしているなと感じた。
いつしか誠一は自分の下半身に集中してしまっていた。気付けばテレビの中で男女が合体していた。造形美のような女性の体が反り返り、腰が打ち付けられていく。甲高い喘ぎ声がこれでもかと響き、正直誠一にとって耳障りだった。心の中でうるさいなと呟いてしまう。
体位を変えて女性が上になった。バランスボールのように大きな乳房が突き上げられると同時に、千切れるかと思うほど跳ねる。ただ男女が繋がっている、それだけの感情しか出て来ない事実がとても辛かった。
「あなた、もう…。」
真っ赤なワンピースの中で妻の両足が蠢いていた。美由紀の性欲はおそらく他の女性よりも強い。もちろん付き合った当初はそれが嬉しく感じ、誠一は理性を失った獣のように彼女の体を求めたものだった。
「じゃあ、風呂行く?」
少し呼吸を乱した美由紀は胸に顎の先を沈めた。
風呂場の前で2人は同時に衣服を脱いだ。真っ赤なワンピースから彼女の白い肌と薄い桃色の下着が露わになる。ホックを外すと、先ほど見ていた女性より少し控えめで、それでいてふくよかな乳房が顔を見せた。パンティーを下ろすと、クロッチと膣の間に透明な糸が見える。何故こんなにも恵まれた空間にいるにも関わらず自分は勃起しないのか。Tシャツとダメージジーンズを脱ぎ、ボクサーパンツを下ろした。項垂れたままのペニスは力なく、先端がタイル張りの床を眺めている。そこには何も無いというのに。
風呂場に入り、先に美由紀がシャワーで体を洗い始めた。全身を濡らし、乳白色の肌の上に水滴が集団となって走り回る。全校生徒が一斉に駆け出すほどの勢いが彼女の肌を駆けて排水溝に流れていった。
「はい、あなた。」
シャワーヘッドを自分に向け、この日の汚れを洗い流していく。お湯というものは不思議なものだ。体にかけていくだけで脱力感に襲われてしまう。
フックにホースをかけ、お湯を吐き出しながら2人は抱き合った。彼女の乳房が誠一の胸元で押し潰されたような感触が伝わる。もう美由紀の乳頭は硬くなっていた。
「触ってもいい?」
ゆっくりと誠一は頷いた。あれからというものの、誠一は彼女の喘ぐ表情から目を逸らすようになってしまっていた。しかしここはハードルを越えていかないといけない。誠一は彼女の乳房を手で覆った。お湯で濡れているからか、粘液がたっぷりと入った風船を揉んでいるような感覚が指先から伝わる。
彼女の細い指がペニスに絡みついた。改めて妻に触ってもらうのは4年ぶりだと懐かしむも、膨張する気配はない。
「あっ、気持ちいい…。」
乳頭を手のひらで潰すようにすると、美由紀は切ない声を漏らした。どんどんとペニスを扱く速度が早まる。誠一は幼少期に飼っていた猫を思い出していた。ワイパーのように動く尻尾をつかんでは手から逃げられていく、今自分のペニスはそれと似ているのかもしれない。大きくもならず、これ以上小さくもならない。それでいて彼女の手から逃げ出したくなる、申し訳なさだけが誠一の脳内を満たしていた。
しばらく愛撫が続く。誠一の乳頭を舐めたり、首筋に舌を這わせたり、色々な手法が続くものの、ペニスはシャワーから垂れるお湯を排水溝へ送り届けるパイプのような役割を果たしているのみだった。見兼ねた美由紀はペニスから手を離し、誠一を見上げた。かなりスタイルの良い彼女だが、身長は160cm程度。170cm後半に近い誠一にとっては彼女の上目遣いが非常に可愛らしく感じていた。
「ねぇ、口でやってもいい?」
濡れた髪の毛が束になって誠一の視界を塞ぐ。ゆっくりと頷くと、彼女はそのまましゃがみこんだ。
目を瞑り、誠一は思い出していた。美由紀は彼のペニスを口にしながら自分で膣に触れる行為が好きだったのだ。血管に舌先を這わせ、自分の2本指を膣内に滑り込ませて掻き乱す、美由紀は性奴隷になったような気分がして結構興奮すると語っていた。
彼女の口内に柔らかなペニスがスペースを余したまま滑り込む。亀頭を舌先で転がし、唾液がペニスの全長を濡らしていく。見下ろすと、彼女は既に自分の膣を刺激しているようだった。シャワーの規則的な水音と、激しい粘液の音。美由紀のフェラチオは確かに心地よかった。しかし今はもう、何も感じない。ここまでしてもらって何も目覚めない、目と脳の間から熱いものがじんわりと、液体になって溢れていった。
「美由紀…もう、いいよ。ありがとう。」
振り絞った言葉がシャワーの音に染みていく、それと同時に美由紀は愛撫をやめた。口からペニスが解放され、一瞬で彼女の唾液がお湯で流れていく。ぺたんと座り込む美由紀は項垂れていた。ゆっくりと目の前にしゃがみ込み、誠一は言った。
「俺は怖いんだ。もう美由紀を抱けないかもしれない、頭の片隅でそんな思いが顔を覗かせてくるんだ。もちろん、美由紀は魅力的だよ。それでも、反応しないんだ。自分でも分からないんだ。今まで何度も、会社を早めに切り上げて病院に行ったりしたんだ。ED治療だって、薬だって飲んだ。自分でも触ってみたり、わざとアダルトビデオを見続けたりした。それでも、ダメだった…他の女優にも、何にも興奮しない、自分が怖い…。俺はもう…。」
はちきれたように、誠一は大声をあげて泣き始めた。思いを吐き出してしまえば止まることはない、落涙は射精に似ているのかもしれない。
美由紀はゆっくりと誠一を抱きしめた。お湯を放ち続けるシャワーは2人を濡らしていき、彼女の愛液も、柔らかいペニスの先端から垂れる透明な液体も、涙も、全てが一緒になって排水溝へ消えていった。
「それで?ダメだったの?」
薄い茶色のテーブルで白のマグカップに注がれたコーヒーが湯気を漂わせている。真ん中に置いてある花瓶から、ラベンダーが頭を垂れていた。湯気の向こうで優里が首を傾げていた。
「うん…やっぱり私が悪いのかもね。」
美由紀は3日前の出来事を思い出していた。一番最初のデートでラブホテルに行ったものの、誠一の熱は冷め切ったままだった。あれだけ感情を剥き出しにして泣き叫ぶ誠一は、義母の順子が亡くなった時以来で、ただ抱きしめることしかできなかった。自分を思って流す彼の涙が、より美由紀を悲しくさせた。
「うーん、私の作戦は全部ダメだったってことか。」
誠一の前で自慰行為を見せるのも、一番最初のデートをしてラブホテルに行くのも、アダルトビデオを見てから風呂に入るのも、全て優里の作戦だったのだ。マグカップの淵に口紅の痕を付け、コーヒーを啜って美由紀は言った。
「優里、ありがとうね。私はもういいかなって。今回のことがあって、思っているよりも誠一さんが私のことを思ってくれているって知ったの。だからもう、その思いだけでお腹いっぱいだよ。」
茶化してそう言ったが、それは本心だった。彼が勃起不全の治療をしていたことも、薬を飲んでいたことも知らなかったのだ。だからこそ、これ以上彼を求めてしまうのは、かつてないプレッシャーになってしまう。もうここが潮時だ、そう感じていた。
「まさかさ、お姉ちゃん離婚しないよね。」
スプーンでマグカップの中身を混ぜ、美由紀は少し笑った。
「それはないよ。もちろんこれからも誠一さんの生活を支えていくし、それ以前に私はあの人のことを愛しているの。それがここ数週間で分かった。なんだろう、お互いの気持ちを再確認できた、ちゃんちゃんって感じかな?」
いつの間にか中身がなくなったマグカップを持って、美由紀はキッチンに向かった。
正直、美由紀は全く満足はしていない。勿論の事、未だに彼に抱かれたい、その気持ちは変わらない。ただこれ以上行き着くとこの感情はわがままになってしまう。だからこそ、美由紀は諦める選択肢をとったのだった。
「お姉ちゃん。それでいいの?」
開けたキッチン越しに優里が言った。いつも見る表情ではなく、真剣な眼差しだ。返事に困っている美由紀に、優里は続ける。
「まだお姉ちゃんが誠一さんと付き合っている時、色々な話をしてくれたじゃん。聞いてもないのにエッチのこと自慢してきてさ、私はそれを聞いてお姉ちゃんに憧れたんだよ。好きな男に抱かれて、それを話すお姉ちゃんが誰よりも綺麗だった。だから、またあの綺麗なお姉ちゃんを見たいの。私にもっと自慢してきてよ、4年間もあの自慢を聞けてないんだよ?」
優里の言葉に、美由紀は目頭を熱くさせた。涙腺がちぎれそうになり、美由紀は過去を思い出していた。彼とのデートから帰宅し、優里の部屋に行っては誠一の魅力を語っていたものだった。
「だからさ、最後に賭けない?」
実家を思い出しているうちに、キッチンの入り口に立った優里は言った。
「賭け…?どういうこと?」
空になったマグカップを置き、優里は美由紀の目をまっすぐ見る。
「これはもしかしたら最悪の結末を招くかもしれない。でも、もしかしたら、今までの4年間を晴らすことができるかもしれない。また元に戻れるかもしれない。だからさ、もう一度だけ私の作戦に付き合ってくれない?」
最悪の結末、それを聞いて美由紀はたじろいだ。本来ならすぐに断るだろうが、元に戻れるかもしれないという言葉に、美由紀は惹かれた。
ゆっくりと顎の先を落とし、優里が提案した”最後の作戦”を聞いた。
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