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四月一日 エイプリルフール
私は、さくらを見ていた。
その可憐な色の花びらたちは、この場を埋め尽くし、その姿はこの場所の静寂の中に華やかさを添える。
この場所は静かに、私の心に優しく語り掛けてくれる。
『おめでとう』
と、だから私は答える。
「ありがとう」
そんな私の紡いだ言葉は、静けさの中にあるこの空間に、音の響きだけを残す。
今日は、エイプリルフール。
学校はまだ始まらないけど、今日からはもう私も高校生になる。
私たちが中学生だった日々は、昨日で終わりを告げて、その過ぎ去った日常は、既に春のお休みの始まりと共に、卒業式として締めくくられている。
私は、左手を差し出す。
「同じ学校で良かったけれども、高校生になったら、少しは何かが変わるかな」
『大丈夫、きっと何かが変わるよ』
その春を纏う花の色は、とても暖かく、優しいから、そんな言葉を私に返してくれる。
一片の花びらが、差し出した私の手の平に舞い降りた。
「佐倉さん?」
不意に私を呼ぶその、思いがけず聞こえて来た何時もの声と共に、吹き抜けた強い風が、私の髪とスカートの裾を、舞い上がる淡紅色へと舞い踊らせた。
振り返ると、そこには他ならぬ桜さん、昨日までのクラスメート、波野桜さんだった。
肩ぐらいまでの、その艶のある黒髪を風になびかせながら、私が何時も眺めていた、その柔らかな微笑みを私に向けていた。
「こんな所で会うなんて不思議な偶然。このお寺始めて来たよ~こんなに桜が奇麗なんだねえ。近くの公園も桜が綺麗だったけれども、ここはもっと凄いね。密度が濃い。素敵な場所」
くるくると、このお寺の庭を見回しながら、両手を後ろ手に組んで、私の方に歩いて来る桜さん。
緑色のセーターを中に着て、茶色のカーディガンを羽織り、黒と茶色の厚手のチェックのスカートで飾った桜さんは、いつも以上の大人っぽさを感じさせて、私の心の高鳴りが目の前まで近付いた桜さんに聞こえない事を願った。
「波野さん、久しぶりだね。春休み前の、卒業式以来」
今日の私は、桜さんから見て、変な格好じゃないかな。
強い風が何度も吹いたけど、髪形変になっていないかな。
不意にこんな距離で一対一になってしまうと、正直にどうして良いか分からなくなってしまう。
「そうだねえ、でも高校も同じになれたから、あんまり寂しい気持ちは無かったかなあ」
波野さんは、嬉しくもそんな私の心の揺れ動きにいつも通りに気付く事なく、そのいつもの声で、嬉しい言葉を聞かせてくれる。
「佐倉さん、髪に桜の花びら付いてる。取ってあげる」
波野さんはその柔らかな微笑みを崩さずにそう言うと、不意打ちにその手を伸ばして、私の髪に乗っていた桜の花びらを、その細くて長い指先に取り上げた。
波野さんの元へと戻って行くその右手は、桜の花びらの淡紅色以上の、薄紅色に染まっていた。
「佐倉さん、髪の毛凄い奇麗だね。桜の花びらが似合っていたから、そのまま残しておいても良かったかも」
そんなことを言われてしまうと、何て答えたら良いのか、より一層解らなくなってしまう。
「そ、そんな波野さんだって、とっても綺麗な髪だよ。私いつも素敵だなって、想っているもの」
ああ、こんなこと言ってしまったら、いつもの行動がばればれになっちゃう。
「そう?ありがとう。でも、前からもう少し長さが欲しくってさあ。伸ばそうかなって思ってたの」
波野さんは、そんな私の言葉と心の焦りを気にする様子もなく、自分の肩に乗っている髪先を弄っている。
「良いと思う、波野さんきっと長いのも似合うと思うよ」
私は、その言葉には素直に思いを告げる事が出来た。
「本当?よし、暫く頑張ってみようかな」
波野さんは、その微笑みを更に決意の意思と、多少の喜びで染めて、一層の花を咲かせた。
「佐倉さん、明日もここ来るかな?まだ暫くは桜も咲いているよね。お花見しようよ、二人で!」
そんな願っても無い申し出に、私はもう心の底から動揺してしまって。
「ええっと、そそんな私は嬉しいけれども波野さんも良いの?」
動揺しすぎて、無闇に半信半疑で聞き返してしまった。
「もちろん!私が誘ったんだから良いに決まってるでしょ?今日と同じぐらいの時間でどうかな?良いよね?よし楽しみ~じゃあね今日は帰るね。佐倉さんは、もう少し桜見ているよね、さっき佐倉さん桜に集中しすぎていてまるで桜の花びらの中に溶けて行っちゃうような感じがしたよ。何かね、桜と心が通じ合っていて、桜に連れていかれちゃいそうな気がして、だから声掛けたんだ」
そう言い残しながら、波野さんは足早に先程入って来た入り口の方に向かって行った。
「じゃあね、また明日~」
ひらひらと振るその波野さんの手の平は、私と波野さんの間に振り落ちて行くどの花びらよりも、しなやかな薄紅色を増していた。
後には、私と桜だけが残される。
「あなたのお陰かな、ありがとう」
『どういたしまして』
桜は風に合わせて、今日の暖かな陽気に喜びを酔わす様に、その鈴の音の様な声を鳴らした。
そして、波野さんが来る前と同じ様に、その花びらの重なりを見上げた。
私は、またさくらを観ている。
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