桃色少女

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桃色少女

 花月、草木いよいよ生い茂るはずの月。一日毎に、温度は僅かながら上がっていき、道端の草木も少しずつ鮮やかさを取り戻す。 とは言え、まだこの時期特有の、時々暖かい陽と大多数の程々に寒い日の、気まぐれを繰り返し、空気は草木のお色直しを待つ私達を、焦れさせる。  春は、まだまだ遠いかな? 十字型の夕陽に照らされた、月乃さんとその最愛の友。  いつもの場所で、いつもの待ち合わせ。いつものように、月乃さんの演奏を聴きながら、最近のお気に入りに視線を落とす。 完全なる証明。それは、如何様にしてなされたのか、興味は尽きず、進むその足は止まらない。 既に人影はなく、この場で月乃さんの産み出す旋律に、耳を傾ける者は私一人。 私の集中を邪魔することのない、その音階は私をより深い真理の世界に誘う。 何故彼の人は、真理に辿り着きながら、それによって自らに与えられた栄光、その全てを置き捨てたのか。 未だ真理の探求の為の手段を学んでいる途中である私には、到底未だ知る由もない。 私の手の中にあるこの本が、私の学びの一助になることを願いながら、彼の人の背中を、月乃さんの音に背中を押されながら、心の内で無心に追い続けた。 一つの区切りの章を読み終えた時、丁度良く月乃さんが演奏を終えて、私に話しかけてきた。 「明後日、陽子の家に行っても良い?」  月乃さんの言葉は、正直意外な言葉だった。 「明後日ですか?日曜日ですし、別に問題ないですけど…」  私は言葉にならない疑問符を全身に乗せたまま、本を閉じ月乃さんに向き直った。 月乃さんはお友達のお片づけ中だ。 「ほら、先月に来年一緒にって言ったけど、来週にホワイトデーがあるでしょ?陽子が良ければ、明日二人で一緒にお返しする分を作りたいなーと思って」  そう言いながら、ピアノにいつものように鍵を掛けた後、私の右隣に座る。 月乃さんの纏う華やかな良い香りと、綺麗な亜麻色の髪が私の鼻と肩を撫でる。 月乃さんは、いつも素敵な香りを纏っている。 そして、いつものように私の髪に触れる。 「今日の初感触」  月乃さんはそう呟いて、私の髪を、その鍵盤をなぞるのに適したしなやかな両手で、さらさらと弄ぶ。 月乃さんの手の感触が、髪を通して直接伝わってくる。 月乃さんは幸せそうな顔をしている。今日はいつもの櫛は使わないみたいだ。 私も月乃さんの手に直接触れられる方が、心地良い。いつも、大事なものに触れるように、優しく私に触れてくれる月乃さんの手が、私はとても好きだ。 「そういう事ですか、ありがとうございます。何を作るんですか?」  十字架を通す陽の光が、月乃さんの髪を更に濃い色に染めている。 「う~んとね、ホワイトデーだしクッキーが良いかなあと思ってる~」  月乃さんは私の髪に視線を落としたまま、そう答える。 「クッキー…難しそうに感じます。私でも大丈夫でしょうか?」  私はお菓子作りや料理、手先の器用さが必要となりそうなものは、まるで駄目だ。やっぱり正直不安になる。 「大丈夫!私がちゃんと教えるから。陽子は心配しないで~材料とか道具も私が持っていくからあんまり難しく考えずに気楽にね」  月乃さんは私の髪を束ねたり数えたりしながら、そう答えてくれた。頼もしい。 「ありがとうございます、嬉しいです」  唇の端が勝手に緩む。月乃さんの言葉は一言一言がとても私の心に響く。 「きっと陽子からもらうみんなも喜ぶよ~お返しは全部私と作るクッキーにしてね」  その言葉の時だけ、月乃さんは私の方を向いた。少し真剣な表情だ。 「はい、みんな喜ぶと思います」  私は素直に頷いた。 静かな時間が二人を包む。聞こえる音は月乃さんの手と、私の髪が奏でる音だけ。 いつの間にか、十字の光はその姿を消し、窓の外は紫と藍色の混じり合う、夜の前に僅かばかり見せる表情を浮かべていた。 「月乃さん、そろそろ帰りましょうか?」  いつもの帰る時間に近づいて、私はそう月乃さんに呟いた。 月乃さんは丁度私の髪の一部をまとめて、蝶を結んだ所だった。今日の羽の色は白だ。 「うん、帰ろう~。今日もこのリボン付けて帰ってね」  月乃さんは私の髪にとまった蝶から手を放し、立ち上がりつつそう言った。  そう言えば、月乃さんが我が家に来るのは、今回が初めてだ。  ピンポーン  チャイムの音が響く、来たのは恐らく私の待ち人。 本を閉じ、居間の炬燵を出て、玄関に急ぐ。私の奏人である、あの人をお待たせするのは私には許されない。 お気に入りのサンダルをつっかけ、チェーンを外して鍵を開ける。 ドアを開けると、そこには桃色の少女が、緊張した面持ちで経っていた。 ピンクのマフラーに、ピンクの毛糸の帽子、ピンク色で縁が白で彩られたコート。 桃色の上に流れる亜麻色が映える。今日の少女はいつも以上にとても愛らしい。 普段の美しさの中に、可愛さを割増増量した感じだ。手元には、駅前のそこそこ有名な洋菓子店の、手提げ袋を下げている。 「いらっしゃいませ」  私は満面の笑みで、客人を迎える。しかし、月乃さんに比べて、私の普段着っぷりはどうだろうか。いつもの、水色と白の横縞のセーターに濃い目の紺色のジーパン。 髪もいつもと違って、こないだ月乃さんに貰った白のリボンで後ろで縛って、お馬さんの尻尾だ。 「お、お邪魔します。これお土産です」  月乃さんが、勢い良く手提げ袋を突き出す。何となく顔が紅く、緊張しているように見える。 「ありがとうございます、月乃さん。取り敢えず上がって下さい」  そう言って、手提げ袋を受け取る。このお店のお菓子は美味しいので非常に嬉しい。 「はい、お邪魔します」  月乃さんが靴を脱いで上がってくる。今日は靴も、桃色の可愛いやつだ。月乃さんはまだ緊張しているみたいだ。 「どうぞどうぞ、ひとまず居間の方へ」  月乃さんを居間に促す。背中にはうさぎ耳の付いた、うさぎの顔の付いたリュックを背負っている。色々持ってきてくれたみたいだ。 「あれ?ご両親は?」  居間を見回しながら、月乃さんが呟く。 「ああ、今日は親戚の家に二人とも出掛けてます」 「え~っ!聞いてない!そんなの聞いてない~!」  いつもの感じに戻って、月乃さんが叫ぶ。 「すいません、今日は夜まで私一人です」  そう言うと、月乃さんはまた紅くなった感じがする。 「き、聞いてない…二重の意味で聞いてない…」  何か恥ずかしそうに俯いて小声で呟いた。 「かなり砂糖とバターを入れるんですね」  家庭科の授業以外では殆ど使ったことのない、水色のチェック柄のエプロンを付けて、メモを持って学習スタイルの私。 「まあね~今回は特に作らないといけない数も多いし」  材料を混ぜたり、冷蔵庫に入れたり、オーブンに入れたり、私も手伝いつつ、月乃さん主導で作業は進む。 「あ、定番の砂糖と塩を間違えるとかは禁止だからね。まあ、塩も使うからよそ見してて間違うとかはあるかも知れないから、それは気をつけて」  ああ、そういうのは何かで見たことがあるかも知れない。 「でも、粒子の大きさ形状的には味の素の方が間違えやすそうにも見えますね」 「ああ~それは新しい視点かもね~」  笑って答えつつも手は休めない。さすが手際が良い。ピンクエプロンの真ん中の、黄色いひよこが忙しげに揺れる。 「う~ん、ココアが足りない」  手を休め、腕組みして月乃さんが眉を顰めて呟く。 「じゃあ、買いに行きましょうか?」  私はエプロンを外して尋ねる。 「うん、買いに行こう。駅前のスーパーにお気に入りのがあるから」  月乃さんもそう言って、エプロンを外す。 そうなると私の相棒、あいつの出番だ。 「ねえ、陽子」 「はい?」  私は相棒に跨って、月乃さんの方を振り向く。 「二人乗りって良いのかな?」  月乃さんは心配性だ。 「大丈夫ですって、危ないからちゃんと私に掴まってて下さいね」 「え、つ、掴まるって、ど、どこを…」  今日はちょっと長めの白のスカートなので、私の後ろに横向きに座る月乃さんは、また紅くなっている。 今日の月乃さんは紅くなったり、白に戻ったり、今日の装いとも相まって、何だかピンク色な感じだ。 「まあ、腰の辺りでも…お好きなところを」 「こ、腰!す、好きなところ!?」 「はい」  何を焦っているのかよくは解らないけど、月乃さんは恐る恐るといった感じで私の腰に手をまわしてきた。 月乃さんのしなやかな腕の感触が、腰に伝わり、お腹の辺りに柔らかな、ちょっと体温が低めの月乃さんの手のひらの感触が伝わる。 「じゃあ、行きますよ」 「はい」  月乃さんは俯いて緊張気味に答えた。 私は良い気分で、昨日までよりも少し暖かい空気と、青い空の中を走りだした。 「月乃さん、今日は暖かいですね」 「うん」  何か月乃さんの口数が少ない。 「あ、月乃さん水仙の花が咲いてますよ。でも、もうじき水仙の季節は終わりかな?」 「そうね」  やっぱり何を言っても反応が薄い。それに反するように、月乃さんの手のひらは段々と暖かさを増していく感じがする。 何だかこの陽気とも相まって、とても心地良い。 「月乃さんの手も素手なのに段々暖かくなってきてますよ。もう完全に手袋のいらない陽気ですね」 「!?っ」  月乃さんの手がより一層熱くなる。また顔も真っ赤だったりするのだろうか。 「あ、月乃さん梅の花が咲いてますよ。紅と白、今日の月乃さんと同じ桃色も」  駅前に続く道の途中にあるお寺の敷地内の梅の花、まだ満開ではないけれど今日の陽気に押されたのか大分咲いていた。 「本当、綺麗~私と同じ色で何か嬉しいな」 「月乃さんの今日の服装可愛いですよ。月乃さんに凄く似あってます」  梅の花を眺めながら、後ろに座る桃色の少女の面影を思い浮かべた。 「…あ、ありがとう」  そう聞こえた後、背中にふわりと温かい柔らかな感触が、少しの重みと一緒に伝わってきた。 「春は近いですよ、月乃さん」  そう言うと、背中の感触はさらに強さを増した。 「そうだね。もうすぐ春だね」 背中に感じられる月乃さんの感触が、とても嬉しい。 「じゃあ、今日はこれで帰るから。ご両親によろしくね。今度はちゃんとご挨拶いたします。って伝えておいてね」  帰り支度を整え、玄関で靴をはく月乃さんが珍しく先輩らしい言葉を言う。 「解りました、今日はありがとうございました。でも、晩ご飯食べていかれても良いのに。もうすぐ両親帰ってきますし」 「いやいや、何て言うか自分の主義としてちゃんとしたご挨拶もせずに、いきなり晩御飯をごちそうになるのはNGだし」  手のひらをひらひらとさせながら、やっぱり先輩らしいことを言う。 「あ、それと来週は今日作ったクッキー以外はあげたら駄目だからね。これ絶対」  人差し指を私に向けて、念を押すようにそう言う。何だか頭を撫でたくなるポーズだけど、今撫でたら何となく怒られそうな気がするので止めておいた。 「はい、月乃さんと作ったクッキーだけが、私のホワイトデーのお返しです」  無難にそう答えておいた。 「よろしい、じゃあねまた明日」  今日一番の微笑を私に向けて、桃色の少女は帰っていった。 春の訪れの兆しを私に残して。 終
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