花嫁を左腕に抱えて

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花嫁を左腕に抱えて

 左利きの兵士はその女に出会ったとき、それまでに感じたことのない感情が溢れ出す気持ちでした。胸は高鳴り、息は苦しく、頭は熱を抱えます。そのくせひどく幸せな気分なのです。  兵士は女を魔女だと直感しましたし、事実、その女は死をもたらす魔女として知られていました。  しかし兵士の変調は魔女の魔法ではなく、兵士にとって初めての恋だったのです。  死をもたらす魔女は華奢な娘でした。食べることがそれほど好きではなく、身体を動かすことも好みません。着飾ることにも興味がなく、粗末な服をだぼりと着て暮らしていました。  しかし魔力を持った者に特有の色香を醸しており、後ろ暗い仕事のせいもあって危うい鋭さを持った瞳を有しています。端的に言えば美人でした。  二人が出会ったのは女が仕事を終えたそのときでした。左利きの兵士は主君を守りきれず、けれどその命を奪った女に目を引き付けられたのです。  ひらりと姿を消そうとした女を、兵士は追いかけました。  兵士の左手が女の右手を掴み。  二人の目が合い、見つめ合い、そして女は消えました。おおかた魔法でも使ったのでしょう。左利きの兵士に追いついたほかの兵士たちが見たものは、自らの左手をじっと見つめて立ち尽くす左利きの兵士の姿でした。  主君を失った兵士たちにお咎めはありませんでした。そうでしょう、そもそも仕組んだ者は次期後継者だったのですから。  左利きの兵士は家督争いのことには興味がありません。しかし、守ると誓った主君を守り切れなかったことよりもあの女の姿形に強い思いを抱くことをただ恥じていました。大量の酒を飲み、酔いつぶれ、やっとのことで寝床に潜り込みます。戸惑いを感じたまま。  翌朝。  左利きの兵士の左腕はぴくりとも動きませんでした。  痛みはありません。けれど一時的な痺れというわけでもなさそうです。触れると感覚はありますが、動かない利き手はだらりと垂れ下がって重いものでした。医者にも見てもらいましたが治療法がわかりません。兵士は暇を申し出ました。  職を失った兵士だった彼は田舎へと帰ろうとしていました。利き手が使えない生活はずいぶんとやりにくいものでしたが、もともと右利きの多い世の中、右手を使うことにもいくぶん慣れました。 「ねえおにいさん」  乗り合いの馬車を待っていると花売りの少女が話しかけてきました。 「愛おしそうに左腕見つめて、恋人でも抱いてるの?」  花を買っておやりよ、恋人にあげるならおすすめはこれとこれと。  言われるままに彼は花を買わされ、そしてふうとため息をつきました。乗り場の長椅子から立ち上がり、街の方へ向かいます。訪れたのは宝飾店でした。 「指輪と、腕に付ける何か女物の」  彼は大金を使いました。店を後にした彼の左腕はきらびやかに飾り立てられ。  ――あの女を花嫁にしたんだ。  彼が乗り場に戻るとちょうど乗り合いの馬車が来たところでした。乗り込んだ彼は長い旅路を穏やかな気持ちで揺られ、いつの間にか眠ってしまっていました。 おしまい
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