第一章 由衣

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第一章 由衣

 その後、由衣が6月の学校アンケート用紙をシュレッダーにかけていたことが暴露された。幸助はそこでいじめ被害を訴えており、彼女が事実を隠滅していたことが明らかになる。  由衣は9月、洋子から苦情を受けた後、警察に通報していたが、周囲に形だけ取ったものと見なされ激しくバッシングされた。  由衣はマスコミと生徒の親たちからつるし上げられ、火だるまのようになる。  11月平日早朝、彼女は人目を忍んで山倉小学校裏口前にたどり着いた。表玄関を使うとマスコミの餌食になる。音を立てないで外履きから中履きに変えようとしたら、カバンから紫のファイルが落ちてしまった。マスコミが物音だけで押し寄せる。彼女がもみくちゃにされた時だった。  翼の生えた人物が現れたかと思ったら、由衣を抱えて羽ばたき、現場を数十メートルも離脱した。彼は小学校屋上の上でくるりと旋回し、由衣に笑った。  「Hi彼女!」  「誰」  「オレは悪魔のパイバトラー、人間界の美しい女性を物色してるところさ」  そしてまたくるりと旋回すると、屋上の上に降り立った。彼女も下ろされる。  彼女は立ったまま下を向いて言った。  「私、助けてもらう資格ないんです」  「上等だ。悪魔は性悪女が大好物だよ」  パイバトラーは細身長身、白蛇のように妖艶な容姿で、悪どく微笑した。首と腰から下は獣毛に覆われ、その上から晩秋の装備をまとっていた。顔の一部とわずかにはだけた胸に真紅のボディペイントを施して、全身をローズピンクの装飾品で飾っている。ウエストポーチが小粋。  彼は人懐っこい獣のように、鼻づらを由衣の方に接近させてくる。彼女は一瞬、臭いをかがれているのかと思ったが、いやらしい感じはしない。彼は臭いというより彼女の気配にうっとりしているよう。異性を口説く時の獣のしぐさだ。  「おいしそうな唇してるね。一口いいかな」  「一口?」  彼女が恋の歌に痺れてうろたえた時だった。  おっとりして緊張感のない男声が割り込んでくる。  「おい、聞いてるか。隊長が肉まんおごってくれるって言ってるぞー」  パイバトラーが声の方に振り向いていきり立つ。  「おいそこ! オレの知り合いなら制服で出てくんじゃねーよ!!」  「全くお前は、年間予算の何パーセントを使っているんだ」  屋上の縁から声の主。建物の側面にはしごでもついているのか、彼は屋上に上がると由衣の方に歩いてきた。パイバトラーと同じに細見長身。絵画の中の若い聖職者のように透き通った肌で、まぶしい容姿。青い制服に曙色のペンダントをしている。  彼はぺこんと頭を下げた。  「手荒ですみませんね、由衣先生。僕はジョーカー隊員、若鷺仁です。こっちは」  「あーっ、言っちゃダメーっ!!」  パイバトラーが動揺してでかい声で遮る。  若鷺はパイバトラーに向かって口をへの字に曲げた。  「何でだよ」  「女の子の夢を壊すんじゃねーよ」  「夢を見てるのはお前一人だ。由衣先生、こいつ本当は」  「ダメ―っ! ダメ―っ!!」  騒ぐパイバトラーの額を、近づいた若鷺がぺちんと叩く。  「先生が知りたがってるだろ。名乗れ」  パイバトラーは由衣の方を見て、お菓子を取られた子供のように悲しそうに告げた。  「御門凪」  悪魔の神秘は一瞬で霧散した。御門がコスプレ屋さんだったことがわかる。若鷺と御門のやり取りは、さながら風紀委員といたずらっ子。  由衣は御門と初対面でないことに気が付いた。以前窓口を担当していた青年だ。コスプレと芝居が見事すぎて、今までわからなかった。  ジョーカーは武装福祉組織。シェルターを多く有している。  彼女は尋ねた。  「どうして助けてくれたんですか」  「弱いものいじめ嫌いだもん」  御門は子供のように口を尖らせた。  「私、どうしたらいいですか」  「考えて」  彼女は肩を落とした。王子様の幻想は虫が良すぎたようだ。ジョーカーは気まぐれの人助けに唸るほどのセット代を遣うらしい。彼女が御門に背中を向けた時だ。  「先生、忘れ物」  由衣が振り返ると、御門はウエストポーチから薄い膜のようなものを取り出し、彼女にかぶせた。――と思ったら見えたのは一瞬で、出された膜は影も形もなくなってしまった。  由衣がびっくりしてキョロキョロしてると、御門は言った。  「ジョーカーのマジックシートだ。これから先は、誰もあなたの身体を傷つけられない。だから頑張って」  空からヘリが飛んで来て屋上に着地した。逆巻く風の中、二人の青年は彼女に笑うと、それ乗り込んで去って行ってしまった。
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