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 一貴は犯罪者の逮捕に燃える若き警官だ。彼は子供時代から体育会系だが、小学校の時だけ和太鼓もやっていたので、先月非番の日に町内の祭りに駆り出された。警官らしく見栄えのするボディのため、舞台の花形をやることになった。  今は9月。木曜夕方、職場に台風がぶち当たった。彼は今夜泊まりで勤務する予定だったが、日勤だったとしても、帰る足がなくてどのみち泊まったかもしれない。  休憩時間におやつのキムチカップ麺をうっかりひっくり返してしまい、片付けに追われた。窓が開けられないためキムチのにおいが部屋に充満した。一貴は周囲の助けも借りて、ペーパータオルでざっくりと汚れをふき取ると、使い古しのオレンジのハンドタオルで要所要所を拭く。  後は空調頼みだ。スープは制服についてしまうし、今日はついていない。台風が窓をガタガタゆすると落ち着かない気分になるので、動物本能として群れたくなる。自宅の嫁さんの笑顔が恋しい。  キムチ事件がひと段落して電話番の仕事をしていると、着信を受けた。小学校教師の紀ノ川とかいう女性が、担任クラスのいじめを通報してきた。しかも生徒の親から苦情を受けただけで、被害の証拠は取ってないという。あまりに他力本願な話に一貴はキレた。  「あんた教師だろ! 子供を守ったらどうなんだ」  9月の頭に台風が二回やってきたが、大きな被害は免れた。台風明けの酷暑の土曜午前、仁はいつもの青い制服を着て、ジョーカー本部で窓口の仕事をしていた。彼は第三部隊隊員で身体資本の方。  隊員は体育会系だったとしても、窓口勤務のために傾聴やカウンセリングを学ぶことになる。デスクワークアレルギーに無理強いする話ではない。細かい事務ができなくても、カウンセリングスキルがあればそれだけで窓口はこなせるし、何より本人の心のバランスが取れる。体育会系でもいじめが起こりにくくなるメリットが発生するのだ。ジョーカー隊員は合理的な理由から文武両道の仕事をすることになっていた。  仁のところに最近有名になった宮間洋子がやってきた。30代後半で母子家庭の母親だが、見た目に苦労は一切にじませない人だった。いつも薄化粧で女優のように透き通った肌、引き締まったウエスト、豊かにウェーブしたロングヘア。シックな服装にパステルグリーンの100均ブローチとモスグリーンのパンプスを合わせており、センスの良さを感じる。  彼女は瞳に醜穢な憎悪の色を浮かべて言った。  「一体どういうこと? 子供を返して」  「駄目です」  仁は冷静に突っぱねた。彼女が食ってかかる。  「幸助はいじめに遭っていたの! 私は親で危害を加えていない。ジョーカーはどうして幸助を私から取り上げてしまったの」  「いじめが解決しないからです」  「私のせいじゃない」  「どんな風に対処しましたか」  「教師に文句言った!」  「加害者を刺激したら被害者がどうなるかわかりますね?」  「だってまだ犯罪かどうかわからなかったから」  「そうですか。じゃあ、解決するまで頑張ってください」  洋子はスポーツの経験者だ。若いころ何か習っていたのだろう。彼も同胞なので、彼女の物腰やしぐさで理解していた。しかし生活保護世帯で、体形や美肌、センスのいい服を維持する執念はどこから来るのだろう。健康的なダイエットはお金がかかる。習い事はできないだろうし、自宅でできるとしたら腹筋だろうか。  仁は彼女が悔しそうに歯ぎしりして去って行くのを見送った。  「彼女、ダンサーでしょ?」  次に窓口に来た若い相談者は笑った。仁は首を傾げた。  「どうしてそう思われるのですか」  「ダンスシューズ履いてましたよ」  「そうですか? そんなにキラキラして見えなかったけど」  「キラキラしてるのは安いんです。プロはさりげないデザインを好むんですよ」  「よくご存じですね」  相談者は自慢げに笑った。容姿はごく普通だが、笑顔と八重歯に愛嬌のある魅力的な女性だ。  「父が社交ダンスの先生だったんです」  仁は感心して笑顔を返した。  「それはかっこいいですね! どうぞおかけください」  「ありがとうございます」  座って向き合う。  「6番の木村佳代さんですね。今日はどのような御用件でしょう」  「私、手品が得意なんです。何かボランティアの仕事ありますか?」  「ありがとうございます」  仁は同じ日の正午前、必要書類のコピーを作っていた。その時、本部入り口からやはり最近有名になった山倉小学校若手教師、紀ノ川由衣が入ってくるのが見えた。彼女の体調は大丈夫だろうか。  「若鷺、できたか」  「はい」  彼はデスクで待っていた大柄ーーというより巨体の壮年隊長、雨風塔吉郎のところへコピーを持ってゆく。  「紀ノ川さん」  同じ部隊隊員、御門凪の声で、仁たちは窓口の方に見入ってしまった。隊長も仁も、気になるのは同じ。  今の時間は凪が窓口勤務の一人。仁や由衣と同じ20代の青年で、仁と同じ細身長身、いろんな顔を持っている。何かの化身かあやかしのように艶っぽくターゲットを痺れさせる時もあれば、今回のように甘ったるく親切な役もできる。由衣と向かい合っている凪の後姿が見える。  「どうぞおかけください」  「ありがとうございます」  二人が席に着いた。由衣は華奢な体つきだが、ヤマトナデシコ風のロングヘアがメンテナンスされずにガタガタ。光輝くような洋子と対照的に、着飾ってる余裕がないことよくわかる。腕時計と淡い紫のビーズのブレスレットがアンバランスで、しかも指先はカラーチョークで汚れている。  由衣は言った。  「幸助君に会わせてください」  「何故ですか」  「いじめ被害を詳しく聞きたいのです」  「加害者から聞いてください」  「彼らは無実だって言い張ってます」  「どうして無条件で信じるの」  由衣がはっと息をのんだ。凪は窓口と割り切ってフレンドリーな態度はしていないようだが、多分確かに笑っているだろう。由衣に優しくささやいていた。  「被害者も無条件で信じて」  由衣はびっくりした顔のまま、席を立って去って行った。
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