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思い描いていたイメージと違い、ずいぶん腰の低い警官だ。
もっと横暴で、口が悪いような感じだと思っていた。
深々と頭を下げてきた警官は、わたしたち3人の顔をゆっくりと見回して、やっと口を開いた。
「失礼します。寺田ゆきさん、村岡あやねさん、滝澤はるかさん、ですね?」
自分の名前を呼ばれてドキッとした。
おそらく、他の2人も例外ではないだろう。
警察の口から自分の名前が出る、一生経験することなどないと信じていたはずだ。
「どちら様ですか?」
格好を見ればわかるはずなのに、ゆきはセールスに来た訪問者に対するような質問を投げかけた。相当焦っていると思われる。
警官は胸ポケットから、黒い手帳を出してきた。
これはまさか、例のあれか?生で見られるのか?
警官が手帳を開くと、顔写真が貼られていた。
「わたくし、警察の者です。」
でしょうね。
はるかは心の中で呟いた。
「少し、聞きたいことがあってまいりました。ご自宅に伺おうと思ってここを通りましたら、ちょうど皆さんが集まっていたので、声をかけさせていただきました。」
「なんでしょうか?」
ゆきがはるかを隠すように警官に1歩近付いて聞いた。
もういいよ、ゆき。ありがとう。
わたしは先輩を殺したんだ。罪を償うのは当たり前だ。
このままだと、ゆきにも迷惑をかけてしまう。
「村岡あやねさんは、どなたでしょう?」
全員の時が止まった。
いま、なんて言った?あやねの名前を呼んだ?
わたしじゃなくて、どうしてあやね?頭が混乱していた。
「わたしです。」
あやねはゆっくりと手を挙げた。
その表情は相変わらず冷静で、いつものあやねであった。
急に名前を呼ばれて驚いているようにも見えない。
わたしはゆきと顔を見合わせたが、ゆきもわけがわからないといった表情だ。
「聞きたいことがあります。署までご同行願いますか?」
警官はあやねの前に立った。
こちらから見ても相当の威圧感があるのに、目の前にいるあやねはどれだけの圧力を感じているのだろう。もちろん、あやねはそんな素振りも見せない。
「どういうこと?」
ゆきはぼそりと呟いた。
思わず口から出てしまったという感じだ。
「はい、わかりました。すぐに準備をします。」
「お願いします。では、あちらのパトカーで・・・。」
「ちょっと待ってください。」
ゆきが声を上げた。
混乱とパニックを大声で引き裂くような感じだ。
おそらく、困惑している自分を奮い立たせようとしているのだろう。
「なにか?」
警官の目がキラリと光ってこちらを睨みつけた。
やはり相当な威圧感だ。ゆきはほんの少し後ずさってしまったが、すぐに言葉を続けた。
「どうしてあやねが?なにがあったんですか?」
仕方がないという感じで、警官はポケットから手帳を取り出した。
おそらく、事件の事が詳しく書いてあるのだろう。
「昨夜、皆様が大学の頃サークルでご一緒だった男性がお亡くなりになったことはご存じでしょうか?」
やはりその話か。だとしたら、余計にわからない。
どうして、わたしでなくあやねが?
「もちろんです。」
「その重要参考人として、ご同行願いたいと言っているんです。」
「だから、どうしてあやねなんですか?」
警官に対して強気でいくゆきは流石だが、いまは分が悪すぎる。
とにかく、冷静に話を聞くことが先決だろう。
「う~ん、詳しいことは話せないことになっているんですが、まあ、いいでしょう。」
警官は少しだけ考え込むように腕を組み、すぐに手帳に目を戻した。
「簡単な話です。村岡さん、あなた、被害者の家に行ったことはありますか?」
「ありません。」
あやねはすぐに答えた。
まるで質問される内容をわかっていたかのようだ。
「被害者の家を捜索したところ、これが見つかりました。婚約者の女性に確認をしましたが、身に覚えがないと。」
警官は別のポケットから、ビニール袋に入った1枚のハンカチを出してきた。
身に覚えがない。もちろん、ゆきもそうだろう。じゃあ、あやねは?
「村岡さん、このハンカチに、身に覚えは?」
「はい、わたしの物に間違いありません。」
あやねはそんなにちゃんと見ていないのに、すぐに自分の物だと認めた。
これもまた、用意していたかのような早さだった。
「そうでしょうね。ハンカチの色と同色のペンで書いてあるからわかりづらいですが、小さくあなたの名前が書いてありました。被害者の家に行ったことのないあなたの名前がね。」
この人はなにを言っているんだ?
おかしいということは自分で聞いていてわかっているはずだ。
あやねになにを言わせようとしている?
まるで、あやねが犯人であるかのような聞き方だ。誘導尋問だ。
「まさか・・・嘘です、そんなこと。」
ゆきが言ったが、それが嘘だという根拠もない。
だめだ、頭がついていかない。
この狭い公園で、一体何が起こっているんだ?
先輩を殺したのは、わたし、なのか?
「友人として信じられない気持ちはわかります。しかし、あとは本人の口から聞いてみたいと思います。被害者を殴ったとされる金槌に付いている指紋と、あなたの指紋も照合させていただきます。」
警官はおもむろにあやねの腕をつかんだ。
まるですでに犯人かのような扱いだ。
こんなことをされても、あやねの表情に変化は見られない。
なにからなにまで予想通り、あやねの顔にはそう書いてある。
「それでは、車の中で待っています。」
警官は背中を向けて歩き始めたが、すぐにこちらを振り返った。
その口元には、不気味な笑みを浮かべている。
「それにしても、犯人は恐ろしいですね。あんな金槌で、頭を3回も殴っていたんですから。」
3回?
何を言っている。そんなはずがない。
わたしは、1回しか殴っていない。
いや、もちろん明確な記憶があるわけではないが、3回も殴れるような勇気は持ち合わせていない。
衝動的に1回殴ることが精一杯だった。
それなのに、どうして?
警官は公園の前に停まっているパトカーに戻っていった。
気が付かなかったが、パトカーの周りを子供や買い物帰りの主婦らしき中年女性数人が取り囲んでいた。
よほど珍しいのだろう。
会話を聞かれたかと思ったが、どうやらこちらには気付いていないようだ。
警官がパトカーに乗り込むとき、小学生が敬礼の真似事をして、警官もそれに応じて笑顔で敬礼を返した。
その顔には優しいお巡りさんの笑顔が戻っていた。
手帳を見せてもらった時、あの人の名前だけでも覚えておくべきだった。
まったく関係のない事をわたしは考えていた。
公園には不思議な風が吹いていた。
なにを話せばいいかわからず、わたしたち3人は沈黙して、耳にはヒュウヒュウという風の音だけがうるさく響いていた。
口を開いたのは、あやねであった。
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