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友情
「昨夜の7時頃、わたしははるかの家に行った。ちょっと、相談したいことがあったから。」
あやねは淡々とした口調で話し始めた。
その目は、わたしを見ているのか、わたしの遥か先の景色を見ているのか、こちらからは判断できなかった。
「そうしたら、はるかが血相を変えて飛び出してきた。近くにいたわたしにも気が付かないくらい。後をつけてみたら、着いたのは先輩の家だった。さっき、警察には先輩の家には行ったことがないって言ったけど、実は1回だけ部屋に入ったことがあったんだ。」
自分があやねに後をつけられていたなんて、想像もつかなかった。
そんな可能性すら考えていなかった。
それだけ、自分は慌てていたということか。
「1時間くらいしたら、はるかが家の中から出てきた。明らかに様子がおかしかったし、服にうっすらとシミが付いているのが見えた。嫌な予感がして、わたしは先輩の部屋に入った。鍵も空いていたから、簡単に入れたよ。そしたら、先輩が・・・。」
あやねはゆっくりと俯いた。
ここに集まってから初めて、あやねにしっかりとした表情が見えたような気がした。
「死んでいた。」
俯いているあやねの代わりに、ゆきがその先を言った。
そうだ、先輩は死んでいたんだ。
「違うよ。」
あやねは首を横に振って答えた。
わたしは信じられない気持ちに襲われた。
「違うって、どういうこと?」
そんなはずはない。
先輩は死んだはずだ。
あれだけ力任せに殴ったんだ、生きていられるはずがない。
「先輩は死んでいなかった。まだ生きていたの。必死に起き上がろうとしていたんだから。」
「そんな、嘘だよ。」
あやねは明らかに嘘を付いていた。
いや、もしかしたら、嘘を付いていると信じたかったのかもしれない。
だって自分には、もう確かめる術がないんだから。
だから、本当のことは誰にもわからない。
その場にいた、あやね以外は。
あやねはわたしを庇おうとしている。
そんなことは、絶対に許してはいけない。
自分の代わりにあやねが逮捕されるなんて、絶対に嫌だ。
だけど、どうしたらいい?
どれだけ考えても、得策は思い付かない。
ゆきの顔をチラリと見たが、もはや頭がついていっていないのだろう。
目が合うことすらなかった。
「わたしがこの目で見たんだから、事実だよ。」
あやねは弱々しい顔で笑った。
「本当はね、わたしも先輩のこと、大嫌いだったんだ。思わせぶりな態度ばかりとっていたくせに、いざ部屋に行ってもわたしには指一本触れなかった。こっちが距離を詰めようとすると、気持ち悪い、そんなつもりで部屋にあげたんじゃないって、わたしを裸足のまま外に追い出した。いつか殺してやろうって思っていた。だから、まだ生きていた先輩の頭を、わたしが金槌で殴ったの。2回も。」
「嘘・・・嘘。」
これもあやねの嘘だ。
わたしを庇うために、死んでいる先輩の頭を2回殴っただけだ。
しかし、これも証明できない。
もはやどうやっても、あやねを守ることは出来ない。あやねは自分を助けてくれるのに、あやねを助けることは出来ない。
でも、どうしてあやねはそこまでして、わたしのことを・・・まさか・・・。
「はるかも詰めが甘いね。指紋とか、なにも拭き取らなかったでしょう。わたしがちゃんとやっておいたから、心配しないで。はるかに警察の目が行くことはないと思う。」
ハンカチをあえて置いたのも、自分へ疑いの目を向けるためだ。
冷静にもほどがあるよ。そんな状況でも、頭を回転させられるなんて。
あやねの顔がぼやけて見える。
いつのまにか、涙が頬を濡らしていた。拭っても拭っても、止めどなく流れ続けていく。
「違う。あれはわたしがやった。わたしが先輩を殺したの。」
わたしは叫んでいた。
狭い公園の空に、その声は虚しく響き渡った。
気が付くと、空が赤く染まっている。
まるで、あの時に見た真っ赤な血のようにも見えたが、こっちの方が数段美しい。
当たり前だが。
「誤解だってば。はるかはなにもしていない。ちょっと頭を殴っちゃっただけ。ただの喧嘩じゃ、警察は動かないでしょう?先輩を殺したのはわたし。それがこの事件の真相。」
なにか言わないと、泣いている場合じゃない、あやねを説得して、警察に行くことを止めないと。
でも、なにも言えない。
声が出ない。
涙はこんなにたくさん流れるのに、どうして。
わたしは遂にその場に立っていられなくなり、膝をついて倒れこんだ。
ゆきが慌てて肩をつかんで支えてくれた。
これもまた、わたし達の友情なのかもしれない。
目の前にあやねが自分と目線を合わせてきた。
右手がそっと、わたしのお腹に触れた。
やはり、あやねには気付かれていたということか。
「だから、大切にしてあげてね。はるかの中で元気に育っている、先輩との子供。」
「・・・知ってたんだ。」
「気付くよ。だって、親友だもん。」
後ろにいるゆきがめちゃくちゃ驚いている空気がビシビシと伝わってきた。
まあ、そうだよね。
普通は気が付かないよね。
気にしなくていいんだよ、ゆき。
「たまには会いに来てよ。子供が生まれたら、連れてきてね。」
もはや、引き止めることは出来ない。
だったら、あやねの意思を引き継ぐことが、いまの自分に出来る唯一の贖罪なのかもしれない。
「うん、会いに行くよ。毎日行くから。」
「毎日なんか来なくていいよ。自分の身体、大事にしなきゃ。じゃあね。」
行ってしまう。
あやねが行ってしまう。
「あやね。」
わたしは声の限り叫んだ。
涙のせいでそれほど大きい声は出なかったが、あやねはゆっくりと振り返った。
その顔には、あやねには珍しい、キラキラとした笑顔が見える。
意外に、かわいい笑顔だった。
「なに?」
「ごめんなさい。ごめんなさい。」
わたしは頭を地面に擦り付けてあやねに謝った。
自分の身勝手な行動のせいで、1人の人間の命を奪い、その周りの人達の幸せを奪い、親友の未来を奪った。
いまはもう、頭を下げることしか出来ない。
「だから、はるかは謝ることなんかなにもしていないでしょう?」
どうして、こんなわたしのために・・・。
だったら、いま言うべきなのは、ごめんなさい、じゃない。
「ありがとう、あやね。」
「うん、それでいい。ゆき、はるかのこと、よろしくね。」
「任せておいて。」
ゆきは肩に置く手に力を込めていた。
わたしは涙で顔をぐしゃぐしゃにして、ゆきはしっかりとあやねの後ろ姿を見送り、あやねはもう二度とこちらを振り返らなかった。
前だけを向いて歩いていった。
もう謝ってはいけない、そう決めたのに、わたしは頭を上げられなかった。
真っ赤な夕焼けが、わたし達3人の友情を、すっぽりと包み込んでいくようにゆっくりと沈んでいった。
了
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