嫁の味噌汁

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 何とか、朝食を食べ切った僕は、引きつった表情筋を酷使して、お決まりの言葉を言う。 「今日も美味しかった、やっぱり、君の料理は最高だ」  嘘である、そんなことは自明の理。  嫁はいつものように恥ずかしそうにはにかむ、この顔を見るためだけに、あの朝食(地獄)を食べ切ったと言っても差し支えない。  しかし、嫁の作る料理はなぜにも、こんなに不味いのだろうか? 普通に調理すれば、こんな惨状は起こらないはずだ。  今なら、目黒のサンマにでてくる殿様の心持ちを察せる。  江戸時代の将軍の食事は、度重なる毒味や、栄養バランスを熟慮した故、食べる頃には冷えて、美味しいものではなかったと、何かで読んだことがある。  大切にされるのは嬉しいが、たまには、食品添加物たっぷりのジャンキーな飯が食べたい、油分たっぷりの庶民のサンマが食べたい。  それで話を戻すと、やはり、嫁の調理法に食品の味を格段に落とすような工程があると僕は考えた。  毒味しかり、そういったものが。  そう思い、僕は嫁と朝ごはんを一緒に作ったことがある。  なんてことはなかった。  僕の見知った製法だった、魚の油を落としたり、味噌を極端に控えたり、調味料を使わなかったり、風味を消すような調理法はしていなかった。  となると、我が嫁には食品の味を無下に出来るという、呪詛じみた魔法がかかっているとしか、この現象を説明できない。  無論、僕は金が全ての資本主義社会に生まれた、いちサラリーマンであり、オカルト的な話は一切信じていない、現実主義者である。  呪詛だの、魔法だの、机上の空論だ。  故に分からない。何故、ここまで嫁の料理が不味いのか? いや、実は嫁の料理は不味くなく、僕の舌が嫁の料理を不味いと曲解しているのかもしれない。  舌には味細胞という細胞があるときいた、その細胞は子供の方が多く、大人の方が少ないらしい。  基本的に細胞は細胞分裂を繰り返し、時間が進むにつれ増えるのが常識だが、味を認識する細胞は、その常識に反するらしい。  大人になるとピーマンやら茄子やら、子供の頃嫌いだった食べ物が食べられるようになるのは、それ故である。  嫁は僕より若齢、つまり、嫁の方が味を正しく認識できると言うことなのだが。  流石にコレは極論だ、いくら細胞が衰えるからといって、嫁と僕の年齢差は僅か一年、味覚の観念が劇的に変わるなどありえない。  では、僕個人に原因があるのかもしれない。  僕の育った食卓で出されてきた、食事の味がめちゃくちゃ濃かったとかで、僕は馬鹿舌になってしまった、というのはどうだろうか?  家庭内環境は、人格や感覚、観念などの形成に著しく影響する。  荒んだ家庭で成長すれば、DQNが生まれるし、幼い頃から英才教育を受ければ、ナルシストが生まれる。世の運命だ。  お袋の味もそれ同様、味覚の良し悪しを決めるのに一役担うはず、母親の作った料理のせいで嫁の料理の真価が分からなくなっているのかもしれない。  考えられなくはない理論だが……  それならば、母親以外の人物が作った料理全てに、味が薄いだのの拒否反応を示さなくては整合性が取れない。  しかし、僕はそんなことはない。  給食のおばさんが作った給食はとても美味しかったし、学生の頃、近所の食堂でしょっちゅう食べていた大盛りカレーも美味しかった、社食も旨いと思っている。  つまり、僕の舌は正常だ。僕以外の全員が、常日頃から料理は味が濃くて不味いなんて思っているわけがない。  嫁の料理だけが、極端に薄味なだけ……残酷な結末に辿り着いてしまった。  やはり、嫁には呪いがかかっているのだろうか?  僕がソファーで考えに耽っていると、嫁がいそいそとやって来た。 「何、考えてるの?」  僕は虚をつかれる。 「い、いやな、今日のデート、何処に行こうかなーって」  嫁は純真無垢で、あざとい笑顔で言った。 「貴方の行くとこなら何処へでも、私は貴方といれるだけで幸せなんだから」  嫁は僕の隣に座り、華奢な腕を絡ませる。小さな頭を僕の肩に凭れかけ、肩枕、悪戯そうに鼻歌を歌う。なんて、可憐なのだろうか?  素敵な匂いが僕の鼻腔を刺激する。同じ洗剤で服や体を洗っているはずなのに、彼女の体からはとても芳潤な匂いがした。  その肌の香りは、嫁と紡いだ数々の思い出を想起させる。  愛する人が隣にいて、確かに互いを確認しあえる、なんと素敵なことか、僕は今、幸せを全身でひしひしと感じている。  もう、朝食のことなどは些事だ! ……虚しい。
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