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第0話 プロローグⅠ
――世界は欺瞞に満ちてる。
その真実に気づいた時には私はもう取り返しのつかないところまで歩みを進めていた。
人は、平和を謳いながらも争うことを止めなようとしない。
人は、命を大切にすると言いながらもいとも簡単に命を奪っていく。
人は、愛していると愛の言葉を囁きながらも裏では妬ましいと憎悪の言葉を口にする。
この世界は歪んでいる。
真実が偽りだと教え込まれ、偽りこそが真実だと思い込まされる。
どれだけ人は哀れで愚かな生き物なのか。
自らが願ったたった一つの未来さえも簡単に現実と迎合し亡くしてしまう。
その美しい理想を穢れきった現実に浸して「良し」としてしまう。
この世界が正しいからと諦めて、悲観して。その先に一体なにがあるというのだろう。
歪みきった世界に生きて、もがいた先に、幸福はあるのだろうか。
もしも叶うなら、私は全てのモノたちに問いたい。
この世界のあるべき“姿”を。
この世界に生まれ堕ちた私の“存在証明”を。
そして、君たちが生まれた“存在証明”を。
――君たちは何を成す為に此処にいる?
仮に『魔法』と呼ばれる存在がこの世にあるとして。
その有り方は現代の社会ではどのような扱いを受けるのだろうか。
過去にはあったとされる人知を超えた神秘の力――魔法。
その存在は現代においてはフィクションとして語り継がれ、多くの人々の心からは忘却という形で姿を消していった。
だがしかし。仮にその存在が御伽噺ではなく現実に在るモノだとしたら。
今を生きる人々はこの事実をどのように受けいれるだろうか。
便利な力として肯定するだろうか。それとも忌むべき力として否定するだろうか。
これから語るのは『魔法使い』たちの取るに足らない、所謂“日常”だ。
都心から遥か離れた山岳地域にある地方新興都市、月見ノ原市。
数年前から地方開拓に躍起になっているこの街は、周囲を数千メートル級の山々で囲まれている。
都市開発が進む西側と手がつけらていない東側。俗に新都、旧都と呼ばれる二つの町並みは夜にもなれば如実にその違いを露わにしていた。
「はぁー。まったく、相変わらず寂れているな旧都は。少しは手を入れればいいのに。華やかさがまるでない。栄枯盛衰とはこのことだな。なぁ、ワンコ」
新都の摩天楼。一際頭が出た電波塔の最上部に一人の女性がいた。
魔女――アルメリア・リア・ハート。
足元をすっぽりと覆い隠す長いロングブーツに黒の外套。
背中より下まで伸びたストレートの髪に金色の瞳は英国の女性を連想させる。
彼女は電波塔からせり出た足場にまるでベンチに腰掛けるが如く座り込み、下界に視線を落としていた。
『一体なんの話? ミッション中よ、私語は慎まないとターゲットを見失うわ』
「わかっているよ。心配するな、動きがあればすぐに出る」
『ライカ、状況はどうなっている。そろそろ警察が動き出す頃だろう』
『えぇ、もうすぐ餌に食いつくわ。蒼士くんは目的地に向かって』
『了解した。目的地に向かう』
ぶつっと回線が切れる。
耳元につけていた霊石の反応が消え、一瞬の静寂が訪れる。
ライカ・スターオリオン。音切蒼士。二人はアルメリアの昔からのパートナーだ。
彼女たちは今、ある事件の犯人を突き止める為に仕事をしていた。
「さて、吉と出るか凶と出るか。見物だな」
その言葉に呼応するように、夜の西都で警邏中のパトカー内に無線交信が入った。
『警視庁より各局。月見ノ原市内、近い局、どうぞ』
『月見ノ原1、パトロールから鷲宮、どうぞ』
『警視庁、了解。月見ノ原に願います。月見ノ原中央駅より北東二駅近くの公園。殺傷事件発生。繰り返す、殺傷事件発生。先日から発生している連続怪死事件の関係だと思われる。どうぞ』
『月見ノ原1、了解。現場に急行する』
『警視庁、了解。犯人はまだ現場に潜伏している可能性がある。十分に注意されたし』
無線が途切れると、鷲宮警部補は一人ごちた。
「クソったれ、またやられたか。これだけ張ってるのにどうなってんだ一体」
「これで6人目ですか。被害者に関連性がないと防ぎようがないですね」
「まぁな。文句を言いたい気持ちはわかるが、それは後だ後輩ちゃん。現場に急ごう」
「……了解しました。んじゃ、飛ばしますよ」
小林巡査部長はパトカーのサイレンを点灯させると荒っぽい運転で公道に躍り出た。
「始まったか。シャノワール、悪いが出番だ。場所は北東に二駅行った先の公園だとさ。
お前のテリトリーだろう、警察よりも先に到着して情報を集めてくれないか」
チリン、と鈴の音が響く。
暗闇よりもなお黒い漆黒。
黒猫のシャノワールが香箱座りの態勢で紺碧と金色の双眸を光らせた。
シャノワールもまたアルメリアの頼もしい仲間の一人。
この猫もまたアルメリアと同様に霊石の一部を片方の耳に埋め込まれていた。
「なぁ~ご!」
『わかっているよ、報酬だろう。お前がちゃんとやってくれれば相応の対価は払うさ』
「んなぁ~!」
報酬というワードに反応したのかシャノワールは機嫌をよくして立ち上がる。
ぐぐっと背伸びした後、勢いよく西都の町並みへと消えていった。
「さて、私も行くとするか。社長として遅れを取るわけにはいかないからな。――ノトスもう充電は済んだな」
風がアルメリアの肌を薙ぐ。
普段人が住んでいる下層では空気が淀んでいて風神も参ってしまう。
こうして高所の澄んだ風に当たることが唯一、彼女の“使い魔”を癒す水なのだ。
「よろしい。では行こう。ちょっとしたハイキングだ」
アルメリアは一陣の風と共に身体を外へ投げ出す。
落下の勢いで風を纏い十分な風圧を得ると、彼女は鳥のように夜空に向けて跳躍した。
知ラズの森。
僅か数分とかからずアルメリアは現場に到着した。
鬱屈とした空気。淀み、沈殿する死の気配にアルメリアは眉根を潜めた。
「嫌な雰囲気だな。長く居れば精神を蝕むな、これは」
東都に位置する林道。ここは西都と違って明かりがない。
普通の一般人なら禁足地に足を踏み入れた時点で帰って来れないことは確定するのだが彼女は躊躇なく森の奥地へと進んで行く。魔女ならば造作もないことだ。
踏み抜いた小枝たちがパキパキと音を鳴らして折れていく様を耳で感じとりながらも、彼女はただ真っ直ぐに歩みを続ける。
「あと少しで目的の場所か」
アルメリアはポケットから一枚の紙を取り出して今回の目的を確認した。
「フン、つまらん仕事だ。禁足地に建てられた神社の参拝など、私がするまででもないだろうに」
だが、一度請け負ってしまった以上は文句を言っても仕方がない。
これも仕事のうちだ、早々に現場を確認してしまえば事は済む。
朽ちていようが、寂れていようがアルメリアの知るところではない。
つまるところ魔女である彼女の手を煩わせるような問題が発生しなければいいのだ。
しばらくして、アルメリアは開けた場所へ出た。
彼女の視線の先には朽ちた神社と辛うじて体裁を保っている鳥居があった。
禁足地に鎮座する神座とあれば見かけ上、老朽化しても致し方がない。
問題なのはこの先。“禁足地”たる中の様子。いや、外の様子である。
アルメリアは鳥居の前で立ち止まと、片手をポケットから出した。
緩慢な動きで手を水平に上げると真っ直ぐに“何もないはずの空間”を押した。
空間がまるで水面のように指先を中心にして歪んでいた。
「なるほど、そういうことか」
アルメリアは一人納得すると、耳元にあった霊石に触れて通信を行う。
「ワンコ、聞こえているな。この地点をマークしておけ。“外界”だ。中に入れば私も話している余裕はない」
『……解ったわ。メアなら大丈夫だと思うけど、気をつけて』
ついで霊石をもう一度押してアルメリアは回線を蒼士に切り替える。
「音切。聞いての通りだ。どうやら今回はこっちが当たりらしい。さすがに二箇所同時に犯されているということはあるまい。お前はもう帰って休んでいろ。私が片付ける」
長い沈黙が訪れる。
返事がないことにアルメリアは違和感を覚えた。
「おい、音切。返事くらい――」
ザザーッと砂嵐のようなノイズが走った後。切羽つまったような声が霊石から漏れた。
「悪いな、アルメリア。どうやらそうも言っていられないらしい。こっちも当たりだ」
『なに?』
アルメリアの声を聞きながらも音切蒼士は対峙した異型の存在から視線を逸らさない。
“外界の亡霊”――アウターガイスト。
中の世界で生きる人々にとって天敵となる存在が其処には居た。
亡霊の足元には横たわる死体が一つ転がっていた。
「アルメリア。そちらの状況を教えてくれ。こちらの状況と同じか否か。確認したい」
「わかった」
アルメリアは急いで外界の中へと足を踏み入れた。
神社の中は、鳥居の外で見ていた時とはまるで状況が違っていた。
振り向けば、入ってきた時には建っていたはずの鳥居が崩壊している。
神社の本殿も屋根は崩れ落ち、正面の戸口は吹き抜けになっている。
その様子はまるで死後の世界そのものであった。
「やはり予想通りだ。こちらも外界に通じていた。ということは……」
「悪い方の予測が当たったな。さっきの情報と合わせて今日は二人が犠牲者か」
「いや、三人だ」
雲間から月の光が微かに漏れる。
本来は神々に召し上がり物として供えるはずの場所に、代わりに臓物を引きずり出された死体が安置されていた。
「悪趣味な。神に捧げるべき神饌をまさか人の死体で代用とは。とんだ罰当たりだな」
曰く、神へのお供え物は「御饌」、「御贄」などと呼ばれてる。
神饌は日ごろの恵みに感謝し、神に一年の節目に育まれた自然の作物を捧げる。そうすることで神を敬い、次の恩寵を授かるという神聖な儀式なのだ。
それをこのような形で献上するなど神を愚弄し、嘲り、蔑ろにする行為でしかない。
これは神に対する叛逆。悪魔の所業でしかなかった。
アルメリアはぎりりと苦虫を潰したように表情を歪める。
「……ライカ。今日の犠牲者は少なくとも三人だ。更新しおけ」
『了解』
「音切。悪いが引き続き仕事を頼む。そいつらを皆殺しにしろ。絶対に中に入れるなよ」
『解っている。最初からそのつもりだ』
それを最後に霊石からの通信が途切れた。
蒼士も仕事に集中するという意思表示だろう。
アルメリアは遺体の状況を確認する為に敷地内に入っていく。
丁度中ほどまで足を踏み入れたところで殺意が自身の周囲を取り囲んでいることに気づいた。
「ほう、ご丁寧なことだな。話しが終わるまで待っていてくれるとはよほど手懐けられているんだな、お前たちは」
彼女の声が届いたのか、殺意が姿を現す。
それは朧か幻か。半身が透け、もう半分が狼の姿を模した亡霊だった。
“たち”というからには当然、一匹だけではない。彼女の声に呼応したかのようにその姿は次々と増えていく。
完全に囲まれたというのにアルメリアは依然余裕のある態度でいた。
「私を喰らう前に一つ教えてくれないか。お前たちの飼い主はどこにいるんだ。まさか一連の騒動がお前たちの仕業というわけではあるまい」
亡霊は答えない。
無論、アルメリア自身も返答になど期待していなかった。
「答えないか。ま、いいけどな。まさかこの程度で私を殺れるとは考えていないよな」
アルメリアは変わらず抑揚の無い声で話しながらも、おもむろに外套のポケットから錠
箱を取り出して中に入っていた錠菓を一つ口に含んだ。
勢いよく噛み砕き、咀嚼する。
この行為こそが、魔女、アルメリア・リア・ハートの仕事を始める際の儀式であった。
狼を模した亡霊たちは最上の得物を前に、牙をむき出しにして威嚇を始める。
誰が最初に生きたこの女を喰らえるか。亡霊たちはそのことで頭が一杯であった。
亡霊たちの眼が卑しく光る。口元はおびただしい血と涎で濡れ、口端からは臓物を乱暴に引きちぎった残りを咥えている。
獰猛なるケモノの思念体である一匹が恐れを知らずにアルメリアに飛びかかる。
瞬間、亡霊は彼女の元に牙を突き立てることもなく、輪切りにされ分断された。
「戯け。得物の素性も知らずに飛ぶ込むヤツがいるか」
穏やかになびいていた風は、次第にアルメリアの周囲を旋回するように逆巻き始める。
これこそが彼女の力。何人たりとも近寄らせない風の威光であった。
「飼い主に伝えておけ、野良犬ども。食事をするならお行儀良くその汚らわしい口を閉じ
ろとなぁ!!」
血風舞う最中、アルメリアは今日最後の“掃除屋”としての仕事にとりかかった。
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