第0話 プロローグⅡ

1/1
前へ
/39ページ
次へ

第0話 プロローグⅡ

 夜も深まってきたところでアルメリアはようやく家路についた。  閑静な住宅街に佇む一際大きい木骨造の長屋。それが彼女の住処であった。  静かに鋳物門扉を開き、内側から鍵を閉める。  タイル張りのアプローチを渡り数段ある階段を登った先がようやく玄関だ。  彼女は自宅に入ると履いていたロングブーツを無造作に脱ぎ捨てた。  視線を上げると、廊下の先。一番奥の部屋から明かりが漏れている。  夜も遅い。すぐにでも床に就こうと考えていた彼女であったが、パートナーが働いているとあっては声をかけなければならないだろうと考えを改めた。  ぎしぎしと軋む木造の廊下を歩いてアルメリアは開口一番憎まれ愚痴を叩いた。 「まったく。先に寝ていろと言ったのに。勤勉なことだな、ワンコ」  そんなことを言いながらも彼女の言葉にはまるで悪意がない。  一緒に仕事をしている仲間をどうして邪険にできるだろうか。アルメリアの心中には感謝の気持ちこそあれ、相手を馬鹿にするような気持ちなど一切ない。  無論、パートナーがそんな彼女の気持ちを理解していないわけがない。  さも、当然の反応とばかりに同居人のライカ・スターオリオンは机から顔を上げた。 「お疲れ様、メア。疲れたでしょう、いまお茶を淹れるわね」 「いらないよ。すぐに寝る」 「あらそう。一口飲めば落ち着くのに」  ライカ・スターオリオン。  アルメリアからしてみれば既に見慣れてしまっている容姿ではあるが、他人から見れば美少女という認識で間違いないだろう。  身長はアルメリアよりも頭半分ほど低い。  銀髪のセミロングに星の模様を刻んだカチューシャ。円らな両目は綺麗な蒼色だ。  それだけはない。ライカはアルメリアよりも胸元だけは大きく成熟しているのだ。  当人は知る由もないが、アルメリアは唯一この点に置いて完全な敗北を喫している。  が、そんなことはどうでもいい。凛然とした立ち振る舞いのアルメリアとは対照的に、献身的な雰囲気を纏っているのがライカの最大の魅力であろう。 「それで。何か進展はあったか。シャノワールはちゃんと現場に向かったんだろうな」 「問題ありません。よくないわよ、仕事仲間を疑うなんて。ねぇ~、シャノン♪」 「んなぁ~♪」  黒猫のシャノワール。  先に自分の住み家に戻っていた彼はライカにされるがままに喉を鳴らした。  アルメリアはその様子を横目で見た後、部屋の隅に置かれたアンティークコートスタンドに外套をひっかけながら会話を続けた。 「で、現場の状況は。ちゃんと視てなかったら報酬は抜きだからな」  ギョッとシャノワールが顔を上げる。  報酬抜きともなれば彼とて内心ヒヤリとすることだろう。なんせ最高級キャットフードがかかっているのだから。 「もう、疑り深いなぁ。これが証拠よ。シャノンが視た被害者はどうやら右手をもぎ取られて亡くなっていたみたいね」  ライカは自分のデスクに設置してあるPCを操作すると被害者の写真を表示した。  ショッキングな映像だがこれも彼女たちの仕事だ。弱音を吐いてはいられない。 「右腕か」  アルメリアは考察するように顎に指先をあてる。 「ちなみに蒼士くんが確認した被害者の遺体からは左足が欠損していたみたい。メアの方はどうだったの」 「私が確認したのは腹の部分だ。正確には……小腸、かな」 「ふ~ん。一応、関連性はないみたいね。今までの被害者も全員取られている箇所は違っているようだし」 「いや、そうでもないかもしれない」 「どうしてそんな事が言えるの」 「私の憶測だが……ワンコ、人体図はあるか」 「うん。えーと、確かこのあたりに。あ、あった」  ライカは引き出しからファイリングされている書類を抜き出すとアルメリアに渡した。 「いいか、今回犠牲になったのは合計で六人。私たちが発見したのが追加で二人だ。人間の身体は大きく分けると外側の部位と内側の臓器から成る。外側が順番に丸をつければこう。内側の臓器がこんな感じだ」  アルメリアは色を分けて五種と十三種に丸をした。 「ワンコ、今までの被害者が発見当時に欠損していた部位に印をつけてみろ」 「え~っと」  紙に×印をつけていくライカ。  これまでの事件をファイリングしている彼女であれば数秒とかからずに結果が出た。 「これは……」  印のされた人体図を見てライカは目を丸くした。 「そうだ。少なくとも現段階で判明している限りではこのリストのうちのどこかが必ず潰されている。この一連の事件は偶然ではない。何者かが意図的に引き起こしている計画殺人の可能性が高い」 「一体何のために」 「それがわかったら苦労しないよ。クライアントもお手上げだから我が社に仕事を依頼したんだろうしな。もしかしたら十八の部位が全て潰されたら何かが解るかもしれない」 「物騒なこと言わないで。その前に犯人を捕まえないと」 「わかっている、善処はするさ。善処はな」  アルメリアは自分のデスクに座るとテレビの電源を入れる。  同時に指をパチンと鳴らしてシャノワールが食す高級キャットフードマシンの電源を入れた。  シャノワールはトコトコと歩き、マシンの前で食事を始める。  テレビでは丁度深夜のニュース番組が開始される時間だったらしい。キャスターが淡々とした口調で取るに足らない出来事をつらつらと読み上げていた。  読み上げている記事はアルメリアが追っている事件だ。  周回遅れではあるが警察の方もことの重大さに気づいて動き出しているらしい。 「警察もようやく事件の重要性に気がついたみたいね」 「気がつくのが遅過ぎだがな。報道では六人だが、実際には八人だ。果たして次の二人が発見されるまでに一体何人死体が増えるか。ゾッとしないよ」  今夜の仕事はこれで終わりだ。後は事件の内容をレポートに書いて就寝となる。  はぁーっと深い溜息をつくアルメリア。  丁度彼女がPCを操作しようとしたところで、ライカの携帯電話に着信が入った。 「ん……誰かしら」 「こんな夜更けに連絡とは。どうせまた悪い知らせなんだろうなぁ」  ライカが携帯の画面を操作する。  アルメリアの予想は見事に的中。画面を眺めるライカの表情が一瞬にして曇った。 「残念ながら、そうみたい。メア、PCを開いて。お婆様からよ。今すぐに内容を確認して欲しいそうよ」 「送ってくれ。……ったく、あのインチキ占い師め。こういう時だけは仕事が早いな」  日本から遠く離れた地、イギリス。  長い歴史と伝統を持つこの地では世界有数の占星術協会や専門学校が多数存在する。  占い方法は占星術のほかに手相、タロット、四柱推命などがあるが、アルメリアが言うインチキ占い師は俗に占星術のエキスパートにして大司教と呼ばれるほどの実力者だ。  アルメリアとは古くからの付き合いで切っても切れない腐れ縁の仲にある。  何故、こんな人物にアルメリアが仕事を依頼したかと問われれば答えは簡単である。  彼女たちが追っている連続怪死事件は世間一般ではまだ認知度の低い事柄だ。  表だって注目度を上げているのは、テレビでたった今、特別番組が組まれている“皆既月食”――紅い月の方である。  数が月後に迫ったこの紅い月の到来は実に百五十年ぶりらしい。  月は古くから人の内側に眠る魔性を呼び醒ますと言われている。  アルメリアは連続怪死事件よりもむしろこちらの事件の方が気がかりであるようだ。 「……送信完了。メア、確認して」 「ハイハイ」  苛立ちを抑えて、アルメリアはキーボードを操作する。  モニターの画面に表示されたのはリストアップされた月見ノ原市の住民情報だった。 「どうやら要注意人物から順にリストアップされているみたいね」 「そのようだな」  どうせ大した結果ではない。  要注意人物とは言っても無視して問題ない有象無象だと、この時まではアルメリアも思っていただろう。  だが、ある人名を見つけて彼女は手を止めるしかなかった。 「鷲宮……鷲宮、悠月だと?」  画面に映っているのはまだ若い男子学生だ。  だが、彼女には鷲宮という姓に些か覚えがあったのだ。 「ライカ、これはなんの冗談だ」  アルメリアの表情は曇り、剣呑な面持ちへと変わっていく。  彼女の問いかけは既に質問としての機能が失われている。  彼女自身、もう気がついているのだ。確証がある。この学生にもしも親とする人物がいるならばそれは。 「メア、これは冗談でもなんでもないわ。お婆様の予言は絶対よ。わかるでしょう」 「……ッ」  押し黙るしかない。認めるしかない。  ライカの言う通り、占星術大司教の占いが外れることはないのだ。  この未来は多少の誤差はあれど確実に結実する未来。回避不能の悲劇なのだから。 「あの馬鹿、何故今まで言わなかった。時間があればまだ救いはあったのに……」  アルメリアは沈痛な面持ちでこの場に居ない同胞に恨みの言葉を吐いた。  普段から他人の気持ちを推し量ることをしない彼女ではあるが、今回ばかりはさすがに腹が立っていると見える。 「どうするの。このまま放っておいてもいずれ彼は――」 「どうすることもできない。魔性を宿す者は魔性に惹かれる。これはもう本能だ。抗う事はできない。放っておいても、ふとした瞬間に力に目覚めるよ」 「だからって……まだ彼は学生だよ。右も左もわかってない!」  諦めたようなアルメリアにライカは語気を強めた。 「まだ時間はある。貴方が忠告をすればきっと気にかけてくれる!」 「無理だ」 「どうして!」 「これはきっと、アイツなりのケジメってやつなんだろう。私にはアイツの気持ちがなんとなくわかるよ。人はいつか、嫌でも知らなければならない。本当の世界を。自分という存在にどれだけの価値があるのかを。これはきっと試練だ。目覚めを待つ者たちの、な」  アルメリアは事務所の窓から蒼い月を仰ぎ見る。 「フフフ……不思議だよ。あんな男でも父親にはなれるんだな。魔法使いとしては中途半端な男だと思っていたが、中々どうして人の親としては立派だったわけだ。安心しろ、ライカ。万が一の時には私が面倒を見るよ」 「……わかった、お願いね」  コクリと頷き、それ以上ライカは何も言わなかった。  これはまだ始まってすらいない物語。  魔女、アルメリア・リア・ハートをトップとする情報屋『イリーガルリサーチ』の面々がとある男に出会う前のプロローグだった。
/39ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加