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第1話 日常Ⅱ
午前七時三十分過ぎ。
鷲宮家を出発した四人は自分たちが通う学校、月見ノ原大学附属高等学校へと向かう。
悠月たちが住んでいるのは市を分断している中央駅を起点とすると西側の旧都に位置する。
月高は駅を越えて東側。つまり、都市開発が進む新都の側にある。徒歩で目的地に行くとするならば所要時間はおよそ二十分程。なだからな昇り坂を踏破した先が、彼らが共同生活を行う学び舎だ。
ちなみに、この月高は中学校とも併設されていて周囲には大学や幼稚園も設備されている。
悠月たちは月高の一年生にあたり、妹の玲愛は月中の三年生にあたる。変化に乏しいと苦言を呈されればその通りだが、簡単な話がこのメンバーが向かう先には義務教育課程に必要な全てが一堂に会しているということになる。
暫く歩いて中央区に入ると、これまた印象がガラリと変化する。
学園都市にも制定されているこの月見ノ原市は東側に重きを置いているお陰で、こうして駅を渡っただけでまるで別世界に来たかのような印象を与えるのだ。
周辺には一通り若者が好みそうなお店が立ち並び、遊ぶには事欠かない。
当然、これだけの利便性を兼ね備えていれば人口も自然と増加傾向にあり、近年では地方都市ながらも都心に負けないほどの忙しなさと活気が溢れる街へと成っていた。
尤も、地元民からすれば余所者が多く流入してくることでこの土地に本来ある自然豊かな環境や景観が損なわれるのではないか、という悩みの種もあるのだが、そればかりは時代の流れとしか言いようがなかった。
そうこうしている内に、四人は人ごみを抜けて学校の敷地内へとやって来た。
「じゃあ先輩、アタシはこっちだからこれで」
一人校舎が違う玲愛は、いつものようにいつもの分岐点で別れを告げた。
しかし、天音はそこで待ったをかけた。
「玲愛ちゃん。良かったら今日の放課後お茶しない。喫茶ノワール、いつものところで」
「いいですよ。もしかしてアレですか。林檎の新作狙いとか」
「そうそう! 是非ご賞味を、って言われちゃって。ユウたちも行くからさ!」
「えっ?」
「あァ!?」
女子会かと思ったら全く見当違いだったらしい。我関せずとしていた男たちは完全に虚を突かれたようで驚きの声を上げていた。
「ぷっ、あはははっ! 了解です。毒味は多い方がいいですからね。部活が終わったらそっちに顔を出しますよ」
それだけ言うと玲愛は月中の方角へと歩き出した。
「ありがとぉ~! 玲愛ちゃんってば話がわかるぅ!!」
天音はヒラヒラと手を振って見送る。
つい咄嗟に閃いた事とはいえ、二人をダシに玲愛を釣ったのを少なくともナオトは快く思わなかったようで恨み言を唱え始めた。
「天音ェ……テメェどういうつもりだ。ああん!?」
「なによ! だ、だってだってだってしょうがないじゃない! 他のお客様に毒味……じゃなかった、味見させるわけにはいかないでしょう!? ほら、このメール見てよ。めっちゃ自信ありって書いてあるじゃない!」
「そりゃいつものことだろうがよ。自信あるっつって最初で美味かった試しがねェだろうが」
「でもでも、数をこなせばちゃんと美味しくなるじゃない。私たちがしっかりしないと!」
「しっかりしなきゃいけねェのはアイツの味覚だろうが!」
「あははは……」
悠月は笑うしかない。
喫茶ノワールとは、正式名称『喫茶シェールノワール』のことだ。
悠月たちの憩いの場にして玲愛の後輩が看板娘をしている場所。マスターは別にいるが、とにかくその娘は創作料理が大好きでよくこのメンツに試食を依頼してくるのである。
美味いかどうかはナオトのリアクションで察せられる通りで、初動で文句なしの出来栄えである可能性は極めて低い。唯一の救いは、無料で提供されることくらいである。
「おっと、二人とも。話は後だよ。始業のチャイムだ」
「はぁ、今から飯抜いとこうかなぁ……」
「さ、行くよ行くよ!」
三人は小走りで月高へと向かう。
稀にこうしたサプライズイベントが発生することを除けば、鷲宮悠月の学校生活はなんら不自由のない平凡なものと言って差し支えなかった。
「では、ホームルームを始めます。皆さん席についてください」
月見ノ原大学附属高等学校一年A組。担任女教師である御津風鈴花の号令によって生徒たちはお行儀よく席に着いた。
白のワイシャツに黒のリクルートスーツ。オフィスレディのような出で立ちに加えて髪を短く切り揃えた姿は教師としての最低限度の威厳が保たれているように見える。
だが、生来有している冷え性という特徴にミスマッチなミニスカートは十月の上旬ともなれば些かばかりに堪えるようで、彼女がまず行ったのは両手を揉み解し温めることであった。
「えー、いいですか。これから話すことは皆さんにとっても重要な事ですからよく聞いておくように」
鈴花は教卓に広げたプリントを器用に数えると順に人数分を生徒の席へと配っていく。
これから彼女が語る内容には生徒全員、大方の予想がついていることだろう。
「最近、この街では奇妙な事件が立て続けに起きています。警察の調べでは通り魔だろうと推測されていますが、犯人は未だに捕まっていません。被害者は全部で十二人。先月が六人だったことを考えると倍に増えています。犯人像は未だ不明。女性なのか男性なのかすらも特定できていません。えー、それに伴ってですが、我が高では犯罪に巻き込まれないための対策として明日から当面の間、部活動を自粛することに決めました」
それを聞いて、生徒たちがどっと沸きあがる。騒いでいるのは主に部活動をメインとしている学生たちであった。
「静かに。喜ぶところではありませんよ。従って、原則として夜遅くまで居残ることは禁止します。勿論、夜間遊び歩く事などもないようにしてください。また、部活動を制限する代わりに期末テストの基準は厳しくなりますから、くれぐれも油断のないようにお願いします」
瞬間、湧き上がるブーイング。全く、学生らしいリアクションに鈴花は肩を竦めた。
「それともう一つ。直近に控えているハロウィンイベントですが、参加する場合は極力一人での外出は控えてください。保護者同伴、若しくは友達同士で声を掛け合って集団で行動をするように心掛けてくださいね。気を引き締めて、事故や怪我がないようにしていきましょう。では朝のホームルームを終わります。今日も一日、頑張って勉強していきましょう」
それから授業は始まり、あっという間に放課後となった。
秋の季節は日が沈むのも早い。
午後四時ともなれば空はすっかり茜色に染まっていた。
悠月たち三人は予定通り喫茶シェールノワールの扉を開いた。
凛と透き通った鈴の音色が店内に響き渡る。
店内は統一されたアンティークにブラウンを基調とした雰囲気作りがなされている。
点々と灯っている照明もポイントだ。
決して明るくはない。けれども暗いわけでもない。
丁度よい光のコントラストが乱れた心を落ち着かせてくれるようだった。
「ようこそ、いらっしゃいませ。席は空いております。お好きな席へどうぞ」
マスターである霧島賢哉が開口一番、お客様である三人を出迎えた。
「やっほーマスター、試食に来たよー!」
「ハッ、なーにが席は空いておりますだよ。基本客なんか来ねぇーじゃねーか」
「こんばんは。お邪魔します」
口々に挨拶をする月高の面々。
落ち着いた店内の雰囲気が一瞬に台無しになった。
「なんだキミ達か。悪いが、今はハンドドリップ中だ。気が散る。黙っていろ」
「『心の乱れはドリップの乱れ』でしたっけ。凄いですよね、プロのバリスタって。憧れちゃうなぁ~!」
「ブ……ッ!?」
天音の一言に、賢哉は思わず吹き出した。
「マスター?」
「ご、ゴホン。いいから早く座るんだ。席はどこでもいい。店の前に立たれては迷惑だ」
「あー……すみません?」
「天音、ほら早く」
「う、うん」
悠月に促されて、天音はいつもの定位置に向かう。
一番奥のテーブル席に天音と悠月。カウンター席で二人に近い適当な場所がナオト。
それが彼らのいつもの場所であった。
「林檎、お客さんだ。相手をしてやれ」
店の中にある厨房に声をかける賢哉。
暫くすると、ドタドタと悠月たちよりもなお騒がしい音を立てて店の看板娘が現れた。
「お客さんお客さんお客さんお客さん~!? 誰だ誰だ誰だ誰だぁあああ~~~!!」
ガバッと厨房の暖簾を退けて現れたのは長い金髪を両サイドで結んだ美少女。
月見ノ原大学附属中学校二年生、霧島林檎であった。
「ワオ! 雨宮パイセンだ。それにツッキーパイセンとオオカミパイセン! 試食に来てくれたの!?」
「もちろん。主にこいつらが食べるわ!」
「……だと思ったよ」
悠月とナオトが大きく落胆する。
これもいつものことである。腹を括るしかないと二人は決意を固めた。
「じゃあじゃあすぐ持ってきますね。今回はドドーンとホールで作ってありますんで!」
「ケーキかよ……」
更に二人はガクっと肩を落とした。
林檎はご覧の通り快活で物怖じしない性格だ。
故に作る物もいちいち景気が良いのだ。
「いつも悪いな。娘の我侭に付き合ってくれて。これは感謝の気持ちだ受け取ってくれ」
三人の前に上品な香りが漂うコーヒーが置かれていく。
「マスター、これは?」
「喫茶シェールノワールのマスター霧島賢哉が自信を持ってお届けする最高級ブレンド。キリマンジェロだ」
「ハイハイハイハイ、お・待・た・せ・し・ま・し・た! 名づけて林檎スペシャルデース」
大きな皿に乗ったパウンドケーキが三人の前に並ぶ。
多少の違いはあれど、どれも似たような黄色をしている。見た目は美味しそうである。
「なんかどれも同じように見えるけど……」
「ノン、そんなことはないよ、パイセン。ほらもうすぐハロウィンでしょ。だから見た目をポチロンっぽくしようと思って。あ~ポチロンっていうのはカボチャね。英語でパンプキン。中身は色々混ぜてあるから、まっ、後は食べて感想を聞かせてよ♪」
フォークやらナイフやらをたくさん渡される悠月たち。
林檎は爛々とした表情で三人が食べるのを待っている。
これもまた鷲宮悠月が過ごす日常のワンシーン。
このコミュニティがあるのは酷く当然で、失われることはないものだ。
パウンドケーキを食べるのに果たしてナイフは使うのだろうか、などとくだらないことで悩む余裕さえあった。
――そう、この時までは。
「――ッ!? なんだ、今の感覚は」
悠月がナイフをケーキの端にあてがったのとほぼ同じタイミングで。
どこかで何かが裂けたような映像がふと脳裏を過ぎった。
当然、目の前のパウンドケーキは切断されていない。手付かずのケーキは綺麗に皿に鎮座したままで、周囲を見渡せば皆が思い思いに談笑し、ソレを頬張っている。
いま流れた映像は確実に此処とは違う場所で、裂かれたモノも喩えるなら臓物が内側から弾かれたようなおぞましい鮮烈さがあった。
一体、自分は何を視たのか。困惑の表情を浮かべている悠月を捉えた林檎は不審に思い問い質すことにした。
「ん、ツッキーパイセン、どうしました?」
「あ、いや……ゴメン。ちょっと席を外すね」
「えっ? あっ、ちょ、パイセン。どこ行くの~!?」
人には直感というものがある。第六感、シックスセンス。呼び名は様々あるが、つまるところが有りもしないはずのモノを察知出来る特異な能力だ。
恐らく、長い人生を生きていれば誰しもが一度は体験したことがあるだろう。他の誰もが有り得ないと笑っても、何故か自分だけは確信を持って是としてしまうこの現象を。
大乗仏教、唯識論における第六感。意識、直感は隣り合わせに第七感である末那識に触れている。この直感を必ずしも否定できないのは我執と呼ばれる末那識に近しいが故だ。一度知覚してしまえば、無意識であっても己に作用し続ける。こうなればもう、人は結果がどうであれ真実を知らなければ収まりがつかなくなる。
つまりだ。簡単な話がこの直感は紛れもない本物であると告げているのである。
悠月は足早に出口に向かう。居ても立っても居られない。脅威はすぐそこまで迫っているのだ。
そこに偶然、お店の扉が開いた。
「ん……悠月。どうしたの、なんか慌ててるみたいだけど」
部活動に顔を出してから来たのだろう、新しい来店者は妹の玲愛だった。
「玲愛。ゴメン、話している暇はない。お前はここにいろ。荷物は持って帰ってくれ」
「なんでアタシが。自分の分くらい自分で持って帰れば……って、ちょっと悠月!?」
玲愛の静止を振り切り、悠月は外に躍り出た。
結論から言えば、それが鷲宮悠月という少年の平凡な日常が崩壊するきっかけであり、全ての始まりであった。
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