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第3話 胎動Ⅱ
時計の短針が正午を少し過ぎた頃のこと。
授業終了のチャイムと共に、生徒たちは一斉に席を立った。
お昼のランチタイム。退屈な授業の中に差し込まれたほんの僅かな安らぎの時間。
皆、急いで何処へ行くのやら。
人によっては居心地の良い食事処だろうし、人によっては月高が誇る数量限定の学食を確保する為にもう知略の限りを尽くしている頃だろう。
ここ月見ノ原の広大な学び舎は幼稚園から大学までが全て一挙に集っている。
学食を販売している場所は何も月高校内に留まらない。
大学や中等部近隣へと足を伸ばすのも大いに有りであるし、自由である。
裏道、近道を使うも良し。コネクションを駆使して物資を確保するのも大いに有りだ。
半ば努力の方向性を間違えている感は否めないが、学生身分相応の青春と言えばそれまで。
死んだような午前中の授業を考えれば、午後に繋げる為にはこのくらいの活気があってもいいだろう。
無論、悠月たちも例に漏れず学食へと馳せ参じるつもりであった。
「もう、ほら。早く起きてナオト。出遅れるよ」
「ん、あぁ……もう時間か」
天音が居眠りをしていたナオトを叩き起こす。
当然、悠月もこの会話の中に入ってくるものだと思っていた。
「あれ、悠月は?」
違和感に気づいたのはナオトが幼馴染であるが故か。
いつもいるはずの席に悠月の姿は無かった。
「またこの感覚か。一体なんなんだ、誰が僕を視ている!!」
頭の中で両親の言葉がリフレインされる。
行っては駄目だと。関わっては駄目だとあれほど釘を刺されたのに、悠月はいまこうしてどことも知れぬ場所を駆けている。
「わかってる。わかってるよ……でも!!」
傍観するわけにはいかない。
この感覚が正しいとするならばもうすぐ事件が起きるはずなのだ。
次こそは止めてみせる。
直感の赴くままに歩みを進めて。
悠月は月高から少し外れた裏路地への入り口でピタリと足を止めた。
「またお前か鷲宮悠月。よほど鼻が効くようだな。これは恐れ入った」
「あなたは……!」
今度はあの日の夕方とは立場が逆だった。
魔女、アルメリア・リア・ハート。
決して綺麗とは言えない煤汚れたビルの壁面を背にして彼女は居た。
女の前には月高の制服を着た女生徒が両肩を抱えて蹲っていた。
「……ッ、その子になにをした!」
「別になにも。私はただ彼女を保護しただけだ」
アルメリアに明確な敵意を向けながも悠月は女生徒に歩み寄った。
「あの、大丈夫ですか。気を確かに。いま警察を呼びますから」
悠月がポケットから携帯電話を取ろうとした矢先。
「やめてください!!」
女生徒は慌てて悠月に飛びついた。
「――えっ?」
「大丈夫です。大丈夫なんです。この人は本当に悪い人じゃありません。なんて言ったらいいかわからないけど、この人は本当に私を助けてくれたんです」
「ほらな、言った通りだろう」
「……ッ」
疑惑の眼差しをアルメリアに向ける。
彼女は一体何者なのだろう。何を知っているのだろう。
その疑問だけが頭の中に湧いては泡のように消えていく。
「全く。お前はもう少し落ち着きを持て。すぐに人を疑うようでは大人になって良い信頼関係を築けんぞ」
「余計なお世話です」
アルメリアは悠月が噛み付いたことも厭わず、女生徒に優しく声をかけた。
「……ともかく、君を救えてホッとしたよ。間に合って良かった。暫くは怖い思いもするだろうがさっき視たことは周りには黙っておけ。被害者を増やしたくなければな」
「わかりました。助けてくれてありがとうございます……」
消え入りそうな声で女生徒は恐縮したようにお辞儀をする。
アルメリアは勇気づけるように彼女の頭を撫ぜるとすっと立ち上がった。
「鷲宮悠月。その子はお前に預ける。しっかり学校までエスコートしてやれよ」
アルメリアは何処吹く風と背中を向けるとあの日のように去っていこうとする。
異様な強さ。怪しい出で立ち。常に先回りをするかのような行動の数々。
先の件といい、今回の件といい、この女はきっと何かを知っている。
警察も知らないような裏の情報をこの情報屋は握っているはずだ。
そんな重要参考人をみすみす見逃す悠月ではなかった。
「ちょっと待ってください!」
今度は逃がさないとアルメリアの肩を掴んだ悠月は思い切って彼女に問い質した。
「……なんだ。乱暴だな」
「この街で一体なにが起きているんです。連続怪死事件の真相をあなたは知っているんじゃないですか?」
「仮に私が知っていたとして、それをお前に話すことになんの得がある」
「やっぱり知っているんですね」
「目下調査中だ。続報を待て、少年♪」
「ふざけるなッ!」
苛立ちからか、悠月は掴んでいた肩を力一杯突き飛ばした。
「どれだけの人が怯えていると思ってる。どれだけの人が死んだと思ってる。なにか知っているなら早く対策をしろ。でないと僕も安心して生きられない!」
怒りに任せた詰問にアルメリアは長い溜息と共に被っていたエナンを深く押し込めた。
きっと彼女は内心でこう思っていたはずだ。
――こいつは救いようのない馬鹿だ、と。
だからこそいま彼女の瞳は冷たく、眼差しだけで相手を殺せるほどに鋭かった。
「お前が安心できるかどうかなど私は知らない。残念ながらこの殺戮は誰にも止められない。眠っていた亡者どもが腹を満たすまではな」
「眠っていた、亡者……?」
「黙っていようと思ったがな。いい機会だから教えてやるよ。鷲宮悠月。紅い月の夜には気をつけろ。大切なご友人も含めてな。その日はきっと未曾有の災害が起きるだろう。巻き込まれたくなかったら家で大人しくしているんだな」
「どういう意味だ」
「言葉通りの意味さ。それ以上でもそれ以下でもない。いいか、忠告はした。必ず守れよ。大切な人を哀しませたくなかったらな」
アルメリアが悠月の脇を通り過ぎていく。
きっと行く宛てなど最初からなかったのだろう。
「あなたは……本当に何者なんだ。一体なにを僕たちに隠している」
「――なにもかもだ。この世の中には知らない方が幸せな真実もある。無理に知る必要もないし、知って絶望する必要もないよ」
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