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「良ければ、手紙を送っていただきませんか」
僕は精一杯勇気を振り絞って言った。
彼女は頬を赤らめて、小さく頷いた。
薄紅の花が散り、七年間過ごした仲間たちが旅立つ、卒業の日。慣れ親しんだ生活に別れを告げるそんな日から、僕と彼女は始まった。
一通目の手紙は部屋の窓に挟んであった。
手紙は配達空魚が早朝、窓に立て掛けるとは聞いていたが、もらうのは初めてだった。
上等な紙だった。品のいい彼女は、やはり品のいいお家柄なのだろう。紙の高いこの時代には珍しい真っ白な紙だった。
僕は意味もなく周りを確認して、手紙を開く。
──好きな食べ物はなんですか?
ただ一言、挨拶もなく、そう書かれていた。
一瞬呆けたが、内気で照れ屋の彼女らしいと思い直した。
──休みの日はどうして過ごしていますか?
──私は蒼い花が好きです。
──寒さの厳しい季節になってきましたね。
まるで会話だった。
そして三年もの間、一言二言取り留めのない話を続けていた。一度も会うことはなく。
ある冬の日の朝、馴染みの空魚が窓から遠退くのを見届けて、手紙を開いた。
珍しく、文字が紙半分を埋めていた。
いつも以上に丁寧な文章で、今までありがとう、楽しかったと──名家のかたとの婚約が決まりました。と。
いてもたってもいられなかった。
3年間が全てなかったことにされてしまう。
焦った僕はどうか一度だけ会ってくれないかと、その日のうちに手紙を送った。
数日経って、手紙が届いた。日時と場所だけが書かれていた白い紙は、濡れた跡で歪んでいた。
拐ってしまおう。もしもそれが涙なら、僕への想いがあるのなら、どこかの誰かに奪われてしまうなら。
ついに来た日。
薄紅の花の下、彼女は現れた。
「お久しぶりです」
「いえ、はい」
「すみません。この三年間、僕はずっと楽しくて」
「私も」
「それは、よかった」
うまく言葉がでなかった。
目の前の彼女は目をそらし、俯いたまま。
「あの、失礼ですが」
「……はい」
「そのような顔でしたっけ?」
一度視線を合わせて、彼女は顔を覆い泣き始めた。
「姉は3年前の今日死にました」
体のてっぺんから冷えるような感覚がした。
「産まれたときから、患っていて、卒業してしばらく後に、一通の手紙を残して」
「そんな……」
「今までの手紙は全て私です。ごめんなさい」
「……嫁ぐというのは」
「もう、続けられないと、思って」
彼女の嗚咽を聞いていると、急にこれが現実であることを実感した。
「すみません、帰ります」
泣いている彼女を置いて、僕はその場から逃げ出した。
憧れの彼女が死んでいて、妹が代筆していて、それに気づかずに三年間も……。
家に帰って、部屋に入って、初めて涙が出た。
裏切られたような気持ちも、彼女がいない悲しみも、失望も、怒りも全て叫びとなって吐き出した。
しかし、ふと目に映った手紙に、また心を重くする。
今日の日付が入った手紙だった。
彼女の妹の、涙で歪んだ手紙だった。三年間言葉を交わしていた''彼女''の思いがつまった手紙だった。
一人、置いてきてしまった彼女は、無事家に帰っただろうか。どんな思いで三年間接してくれていたのか、僕はなにも知らない──
花が散る頃、僕は彼女に手紙を送った。
──好きな食べ物はなんですか?
それから僕と彼女は始まった。
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