budou-01

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 両手で掬えるような星空というものが、かつてはあったという。大気という庇護膜が生み出すゆらめきを、数万光年という過去に生まれたその光を――そこに息づいていたであろう星の現在と取り違えながら――賞讃するのは一種の皮肉だろうか。もっとも、大気云々以前に土壌も成層圏も想像の産物としかならない僕には、晴れ過ぎた空の軋むような蒼、などと言われたところで、曖昧なイメージすら抱くことは難しい。  終わりが見えないことを果てが無いと定義するのなら、遮るものがないことは足場の定まらない不安と表裏一体なのかもしれない。そんなことを、上下左右を塗り潰す、宇宙と呼ばれるものの色彩を眺めながら思う。漆黒が僕を取り巻いているのか、僕が漆黒に混ざっているのか。自らの立ち位置が判然としない程度には、その色彩は絶対を体感させるに充分なほど圧倒的であって、光の反射の産物でしかないはずの色というものに畏怖すら覚える。  僕と漆黒を隔てるのは、透明な球体の壁面。それは、ひとひとりが寛げるほどの大きさの、宇宙に熟れる果実の一粒。種の代わりに中に入っているのは、精密機器の詰まった機材と、機材と一体化した一台のシート。当然、中は無重力だから、シートだけは壁面から伸びた電送管も兼ねた棒のようなものに固定されている。  宇宙に漂う透明な球体の連なり――通称、ブドウ。ブドウの実とブドウの房を束ねるステーションをひとつの組として、全部で六つのステーションが存在している。そのブドウの実の一粒が、今、僕がシートに身を埋めている場所であり、僕の職場だ。  ブドウの中は、静かで快適で、漆黒に散らばる小さな光を見上げながら惰眠を貪るにはもってこいの空間ではあるけれど、実際のところ、そんなに呑気なものでもない。そんなことを考えていると、不意に、異質なものが視界をちらついた。 「対象発見」  この呟きは反射。僕の声を音声信号として拾ったシステムが起動し、透明なだけだった壁面に細い光の線が格子状に広がる。格子が交差する点に表示される数字は座標を示し、対象を見据えたまま、僕は手もとのボードに対象の出現点や大きさの変化を入力する。  僕が観測する対象は、突如としてこの宙域に出現する、結晶と呼ばれているもの。彗星のような氷塊ではなく、惑星の核になるような鉄の塊でもない。透きとおった硝子のような、磨き抜かれたダイヤモンドのような、そういった物質としか見えないものが漆黒を食みながら成長していく。近づいてくるということを差し引いても、それは膨張を続けていた。  ぐらり、と、ひっぱられるような感覚とともに、ブドウの房が動いた。  ステーションという鉄の塊――現在における人類の生息域。数年前までアカデミーを支柱とする研究機関が集まった人工衛星でしかなかったステーションは、かつて、惑星を周回していたという。  樹から離れて浮遊する人工の果実は、そこで誰かが息をしている限り、果実であることをやめることはできない。熟れることも腐ることも許されず、ただ、生り続けるのだ。  傍らを閃光が奔った。ステーションの表面から放たれたレーザーが対象へと突き進む。直進する光の束は、膨張を続ける結晶に命中し、次の瞬間には何事もなかったかのような漆黒だけがそこに残った。それこそ、目覚めとともに掻き消える夢のごとく、それは漆黒が見せる幻だと言わんばかりに。 「対象消滅」  ブドウの実の一粒一粒よりほぼ同時に管制塔に流れているであろう情報を声として放ち、僕は息を吐いた。  僕らは結晶に怯えている。  ステーションの住人が結晶と呼ぶものが、何であるのか、どのように生まれるのか、それらはまだ解明されていない。目視は可能だが触れることはできず、接触したように見えた――あくまで、そのように見える――物質は融けるように消失する。経験として分っているのは、結晶がもたらす現象そのものと、ある程度のエネルギーをぶつけることで消滅させることができるということだけ。  結晶の発見と消滅の確認を繰り返す僕の職は――やたら複雑で長い正式名称があることはあるのだが――結晶士、と呼ばれている。仕事の内容は、観測データの分析や結晶出現によるステーションの機器の機能障害予想など多岐に亘るものの、その根本となる観測は、結晶狩り、と呼ばれる至極古典的な手法だった。  肉眼による観測。  それが、破砕すべき結晶を発見する、唯一にして絶対の手法。
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