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budou-02
白い壁が見えた。
それは天井である、と、焦点が定まるにつれ、無意識からの声が告げる。かすかな刺激臭に脳は清潔と潔癖を連想し、やがてその連想はここが病院のベッドの上であるらしいという結論に到達した。
わずかな身じろぎに身体が軋み、右腕が重いのは点滴によって水分を孕んでいるためだと気づく。腕の芯が氷であるかのような感覚に意識を泳がせていると、不意に、声が聞こえた。
「イツキ!」
視界に飛びこんできたのは、黒の巻き毛をひとつに纏めた褐色の肌の女性。見覚えのないその顔は、焦躁と安堵に塗れていてすら知性的で、青の目には喜びのようなものが閃く。
彼女の名はアリスティア。僕の同居人だったらしい。らしいというのは僕にはそんな記憶が全くなかったからであり、
「梨羽、樹」
彼女が噛んで含むように僕の名前を音にする必要があったのは、僕が自分の名前すら覚えていなかったからだ。
要するに、病院にて目が覚めた僕は、記憶喪失というやつだった。
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