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愛の証明
どんなに愛しているかを話すことができるのは、少しも愛していないからである。
そう言ったのは誰だったのか。愛は言葉で語られるものではなくなってからもう随分長い。今では誰も愛の言葉の信憑性なんて信じていない。
愛とは行動にて示すものなのだ。今、目の前の椅子に助手さんが縛り付けられているのは愛を示すためだ。私の目の前にも助手さんを好きだという女性がいる。
その女性の手にはナイフが握られている。女性はそのナイフで助手さんの腕を切りつけている。
「私はあなたをこんなに愛しているんです。こんなにあなたを傷つけられるほどに!」
人は恐れている人間より愛していくれる人間を容赦なく傷つけると言ったのは誰だったのだろう。
恐れている相手を傷つけることはできない。なぜなら、恐れている人間には心を開いていないから。愛している人間に残酷になれるのはその人に心を開いていて、自分の全てをさらけ出せるからだ。
今の常識では人を傷つけられるほど、その人を愛しているという事だと考えられている。
だから、同じ人を好きになったらその相手をどれだけ傷つけられるか、より多く傷つけられる人間のほうが相手を愛していると認められる。
助手さんもそれを分かっているから、女性が自分を何度も何度も切り付けていても微笑ましくそれを見ているのだ。
私の手にもナイフが握られている。目の前の女性と私は助手さんをどちらがより強く愛しているか。その証明をする為に、戦っているのだ。私は助手さんを奪われないためには負けられない戦いと言える。
より多く傷つけられた方が助手さんをより深く愛している事になる。女性の切り付けた助手さんの右手は真っ赤に染まっている。普段白い肌が隙間からも見えない。
しかし、私が傷つけるはずの左手には傷一つ付いていない。女性は私をちらりと見てにやりと笑った。どう私の方が愛しているのよと目で語っていた。
ナイフを持って助手さんに近づく。そっとナイフを腕に当てる。じっとその綺麗な肌を見つめる。私はナイフを床に落として首を振った。からんと乾いた音が鳴る。
「私には君を傷つけることはできない」
女性が勝利を確信した笑みを浮かべる。ああ。助手さんを失う事になっても私には助手さんを傷つける事なんてできない。
しかし、助手さんは床に落ちたナイフを拾って、自分の左腕にナイフをあてがうとスッとナイフをスライドさせる。
深い一本の傷が腕に刻まれる。血が。じわりとにじみ出た後、大量に流れ落ちる。
「教授は本当にどうしようもありませんね」
震える手で助手さんは私の頭を撫でた。
私は感動で震えていた。きっと助手さんならそうしてくれるだろうと思っていた。
ああ。私は本当に助手さんを愛している。だって、その左手にある深い傷は私への愛情の証であるのだ。
私は、助手さんを傷つける事ができない。でも、助手さんを傷つけさせることはできるのだから。
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