20人が本棚に入れています
本棚に追加
あいつが何を考えたのか、自分が何を思ったのか。出そうとした答えは、その尻尾すら未だに見つからない。
その場は反射で取り繕ったものの、考える度に呼吸を繋ぐ心臓が、とんとんと自身の存在を訴える。
敵対する大勢を相手取ってはない。何の窮地にも立たされていない。大抵のことでは緊張しない精神ができあがっている。
それのにこれは、一体なんだというのか。
それから分からなくなってしまった。
今まであいつとどう接していたか。どれが普通だったか。平常を保とうとすればするほど、迷路に深入りしていくような感覚に陥る。
あいつと接している自分を俯瞰で眺めている自分がいて、その時はテレビでも見るように、ひどく冷静に振る舞っている。
それなのに急にある瞬間、自分の器の中に意識が落ち込むのだ。薄氷を踏み外して水に落ちるように、溺れるような息苦しさを覚える。
心臓の奥の奥が熱を持って、引き絞られるように痛くなる。
どうしてか。
その理由が分からないのがまた、気持ちが悪い。
(上手くいかない)
あいつのことだけ、俺が俺自身を思うようにコントロールできないのだ。
学業に差し障りはない。父親の仕事の手伝いも滞りない。友人からも、両親からも何も言われていない。他のことはまるで普通にできている。
体面は保てているのだ。
何があっても平静に。例え動揺したとしても、内側だけに留めること。
その教えがこんな風に役立つなんて想像もしなかった。一から十まで分からない。これほど知らない世界が、どうしていきなり身近に現れたのか。
それともずっと、傍にあったのだろうか。
手品のタネのように。用意された仕掛けのように。布で覆われて、巧みな演出に気を取られて、気づかないように隠されていたのだろうか。
(まさか)
考えすぎだ。自分の思考に首を振った。
久しぶりの分からなさに戸惑って、考え方すら迷子になりかけている。
そうだ。理由はそれかもしれない。
分からないから気になる。思い出してしまう。だから知りたいと思う。それは知識欲に似ていて、分からないあいつのことを、そこに繋がる自分のことを知りたいだけ。
この世界の全てを分かり得るなどとは思っていない。それはただの傲慢だ。
しかしこれは違う。俺の手が届く範囲のことだ。身内の、家族の、兄弟の。この世界で最も、俺と近い存在の。
俺が踏み込んでも、知ろうとしてもいいことだ。
(いい、よな)
さあ、と雨脚が強くなる。風向きが変わったのか窓ガラスに衝突する粒はない。静かに、けれど力強い雨の帳に覆われた光景。湿気が身体にまとわりつき、雨の匂いが濃くなっていく。
(そういえば、昔)
その匂いが脳裏の更に奥深く、暗闇にたどりついて紐を引いた。
最初のコメントを投稿しよう!