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それなのに落胆も失望もなく、あり得なかったはずの今の方が、今のこの世界の方が何倍も、数えきれないくらいの色にあふれて、幸せだった。
それはとても嬉しくて、同じくらい苦しい。
気づいたら絶望の穴にいて、その果てから見上げた闇には一つの光があった。小さな小さな星が浮かぶその空は、希望の世界の底だった。
その明かりは、瞬いて空気をきらめかせた。色をつけて暖かさをもたらした。
でも僕は――たぶん僕たちは、同時に理解したのだ。
座り込んだこの地面から遥か遠く、あの光までは測れないほどの距離がある。光をつかもうと手を伸ばした分だけ、絶対に手が届かないことを知る。光がもたらす幸せの数だけ、周囲を冷たさが埋め尽くしていることに気づく。
本当に幸せで、なんて。
(――世那だ)
聞きなれた足音が聞こえる。僕は目を伏せて、深呼吸をした。
ドアが開いて、世那が顔をのぞかせる。
「おはよう」
世那は返事をせずに、すたすたと歩を進める。
差し出した新聞紙を、僕はゆっくり受け取った。
「――行ってくる」
「行ってらっしゃい」
いつもと変わらない、ワントーン低い声。僕だけに向けられる殻に覆われた声。
(駄目だよ、世那)
それでもその視線に温度があることを、今日の世那は隠していない。
「ねえ」
だからドアを閉めようとした世那を、僕は呼び止めた。
駄目だよ、ちゃんとフリをしないと。
「本当に嫌だと思ってる?」
「――思ってるよ」
世那は片頬で笑って、ドアをぱたりと閉めた。
足音もなくなって、家から出たであろう頃。
僕は息をついて苦笑した。世那のことだから母さんも父さんもいないと分かってやっているのだろうけど、まさか笑うなんて。
けれど文句を言えないのは、僕の胸の内も同じだから。
僕たちはあの日、言葉を交わさないままに約束した。
世那と僕。お互いの身体と、そのあいだに生まれた心。その全部を守るための大事な約束。
いつか僕がいなくなる日まで一緒にいるために。世那が一人になったその先も、お互いの存在を失わなくて済むために。あの約束は、僕にとってそういう意味もはらんでいる。
けれど世那は世那でまた別の意味合いをつけているのではないかと、最近の様子を見ていて少し思う。
それでもいい。
(それでいい)
僕たちは別の人間だから、二人だったからこうして出会えた。
だから今日もまた、明日も出会うために、僕たちは毎日確かめるのだ。
この気持ちが、うっかりとこぼれて届かないように。誰にも知られてはいけない。気づかれてはいけない。僕たち自身にさえも。
ちゃんと嫌いでいる? 僕は何とも思ってないよ。
あの魔法をこの手と一緒に、未来までずっと、持っていくために。
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