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 最近、世那の様子が少しだけおかしい。ぎこちないのだ。  僕が世那を見た時、世那は視線を迷わせるようになった。新聞を渡す手の、離れるスピードが遅くなった。  のぞき込んだ目の奥は感情が見えない。かと思ったらふいに揺れて、戸惑うような顔をする。  何かあったのだろうか。  学業が上手くいっていないことはないだろう。成績や点数が下がれば母さんたちが先に騒ぐ。じゃあ友人との仲違い。――これもないな。  処世術はとっくに身につけているし、たとえ相手の都合で何か起こったとしても世那なら上手く収められる。心身を投じてしまうほど心を許している相手もいないだろう。  友人とはいえ跡継ぎや有望株は多く、手を貸し合える関係であると同時に、ライバルにも、足を引っ張られる敵にもなり得る。世那はそんな下手は打たない。 (じゃあ、なんだろう)  あとは何があるんだろう。  他にも可能性を考えて、けれどそのどれも正解にはたどり着かない。当然の事実に僕は首を振った。  外での世那を僕は知らない。  いくら考えてもそれは可能性でしかなく、世那に聞かない限り答えは見つからないのだ。絶対に知り得ない答えを考えても仕方がない。  原因はともかく、これが前向きな変化の過程であればいいのだ。世那が僕をもっと嫌おうとしているのなら、それ故の変化なのならいい。  もしくは、無関心への第一歩。  自分の思考に思わず苦笑ががもれた。  浮かんでしまったもう一つの選択肢は、本当はもっと前に気づいていた。  好きの反対は無関心、なんてひどく陳腐な台詞だと思う。けれど陳腐になるほど使い古されるのにはそれなりに説得力があるからで、確かに、無関心であればいくらでも簡単に切り捨ててもらえる。  どうでもいい人間の命であれば、どうなろうと何も思わない。  けれどそれはあまりに不確定だった。世那がずっと、僕への興味を失くしてくれるのか。  物心ついた時は既に、世那と僕の差は歴然だった。そしてそれこそが、世那が僕に感情を抱いた最初。嫌いだと思ったことが、世那の僕に対する感情の核なのだ。  だからいくら外の世界に世那の関心が向いて、世那の中で僕の占める割合が減っていったからとして、全てがなくなる保障はなかった。  だから僕はより確実な方を選んだ。  世那のために何ができるか、どうするのがいいか。もう何年も前に考えた時、その二つの選択肢を目の前に並べて、この道がいいと思った。  嫌ってもらう方が楽だと思った。 (なんて、嘘)  雲が影を落とす。明度が落ちた景色に、それでも花は鮮やかだった。  本当は僕が、その方が良かったのだ。
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