Chapter8. 『過去と未来』

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随分と色々な建物に飛び移り続けていたが、まだここは王都の中なのだろうか。 それとも、王都の外に出てしまったのか。 素早く動き回り続けていた所為か、方向感覚がだんだんと狂い始めてきた。 おかげで平衡感覚までもがおかしくなり、これ以上逃げ回るのは危険だと判断する。 とりあえず一度身を休め、これからどうするのか計画を練るためにも、暗がりの一角へと降り立ち、そこに身を潜ませる。 幸い、近くに敵の気配はない。 安堵の吐息を漏らし、その場にずるずると座り込む。 (……これから、どうしよう……) 自分が標的にされることはあまりなかったため、咄嗟に逃げてしまったが、このまま逃げ続けるわけにもいかないだろう。 敵をこのまま野放しにしていては、罪もない民に被害が及ぶ危険性だってある。 ここで態勢を立て直し、他者に迷惑のかからないどこかで決着をつけるべきだ。 そこで、一気に攻めに入るしかない。 そこまで考え、ふとどうして自分はここまで必死になって逃げているのかと、疑問が浮かぶ。 (……どうしてって、生きるため……) そう自問自答した途端、そこまでして生き抜く資格が自分にあるのかと、冷ややかな声が頭の隅で囁く。 そこまで考えが至った瞬間、胸がきりきりと締めつけられた。 自分は、ここで殺されるべきではないのか。 それだけの業を背負っているのだ。 それだけの恨みを買っているのだ。 たとえ生き残ったところで、意味などあるのだろうか。 指先から凍りつくような感覚が、徐々に全身を蝕んでいく。 (私は、生きたいの……?) 何のために、誰のために生きたいのか。 不意に、瞼の裏にヴァルの姿が閃く。 そんな彼の姿を打ち消すように、ぎゅっと目を瞑る。 (駄目……ヴァルを巻き込んじゃ駄目。こうなった以上、ヴァルから離れなきゃ……) そうするのが最善だ。 ヴァルに危害は及ばないし、ディアナが罪悪感を抱く必要もなくなる。 それなのに、離れようと思えば思うほど、心が悲鳴を上げる。 そんな己の醜さに、苛立ちが込み上げてくる。 (散々、自分は幸せになっちゃいけないって思っておきながら、いざ実行しようとしたら嫌だって喚くの?) そんなの、自分勝手過ぎる。 本当にヴァルにはたくさん心配をかけてしまった上、このままではこちらの事情に彼を巻き込んでしまうかもしれないのに、何を今さら尻込みしているのか。 奥歯を食いしばり、自分への憤りをどうにかやり過ごす。 今は、感情に振り回されている場合ではない。 最善の策は何かと思案し、自分自身の手でこの件の片をつけるべきだ。 そう自分のやるべきことは見えているのに、思考回路が支離滅裂に乱れ、まともに頭が働きそうにない。 ただ駄々っ子みたいに、ヴァルから離れたくないと心が叫んでいる。 そして同時に、化け物である自分が生き延びるために人間の命を奪うのかと、凍てついた声が問いかけてくる。 どちらの答えも出せていない己の不甲斐なさに、もうどうしたらいいのか分からないと、何もかも投げ出したくなってしまう。 怒りに身を任せて拳を地面へと叩きつけた、その時。 見知った気配が、こちらへと猛然と迫っていることに気がつく。 その気配が誰のものなのか悟った途端、背筋が凍りつく。 「……ヴァル……!?」 何故、ヴァルが城の外にいるのだろう。 また、どうしてこちらに近づいてきているのか。 とにかく、彼をここから遠ざけなければ。 静かに立ち上がり、周囲に敵の気配がないか確認する。 物陰から出ても大丈夫だろうと安心したところで、そろそろと壁伝いに移動し始める。 ヴァルは走っているのか、信じられない速度でこちらに接近している。 ディアナとどちらが速いのだろうと考えつつ、おそるおそる建物の陰から顔を覗かせる。 すると、少しだけ距離はあるものの、こちらに向かって駆けてくるヴァルと目が合う。 ヴァルは相当怒っているのか、ディアナと視線が交錯した途端、思い切りしかめっ面になった。 あとでいくらでもお叱りは受けるから、今は城に連れ戻さなければと、ヴァルの元へ駆け寄ろうとするなり、彼の背後に人影があることに、今頃になってようやく気がつく。 どうやら、ヴァルに意識が向き過ぎていた所為で、気がつくのに遅れてしまったみたいだ。 いや、そんなことはどうでもいい。 ヴァルの背後に迫っている男の手に、武器が握られている。 もしかして、後ろからヴァルを襲うつもりなのか。 ディアナの傍にヴァルがいるから、彼まで標的にされてしまったのか。 ヴァルはディアナにのみ意識を向けているのか、敵の存在を察知した素振りはない。 考えるよりも先に、身体が動く。 「ヴァル、逃げて……!!」 叫びながら、一気に敵との距離を詰める。 敵は猛然と接近してきたディアナに意識が逸れ、凶器をこちらへと向ける。 素早く敵との間合いを詰めると、得物であるナイフを叩き落とし、腹部に蹴りを放つ。 男はくぐもった声を漏らしつつ膝から崩れ落ち、ディアナはすぐにヴァルへと向き直る。 再度、逃げて欲しいと訴えようとしたら、何故かヴァルが即座に腰に差していた剣を抜き去る。 その状況に眉間に皺を刻んだ直後、ヴァルの後方に再び敵が現れた。 今度は敵の気配を早くに察したらしいヴァルが、そちらに向かう。 ヴァルの力量を疑っているわけではないが、彼はおそらく実戦を経験したことはないはずだ。 平和なノヴェロ国で生きていたのだから、そんなことは一目瞭然だ。 ディアナも援護しようと拳銃を生み出そうとした直前、目前に迫る敵の顔が奇妙な笑みの形に歪んだ。 「……え……?」 その瞬間、背後から衝撃が身を貫いた。 冷たい感触が血肉を穿つ。 先程の敵が態勢を整え、この身を刺し貫いたのだと、やけに回転の早い頭で理解する。 そして、凶刃が一気に背から引き抜かれた。 こちらを振り返ったヴァルの目が、大きく見開かれる。 その光景が、恐ろしいほどゆっくりと視界を流れていく。 (……しま……った……) 先刻の敵は一時的に武器を取り落としただけで、完全に戦闘不能な状態に追い込んだわけではない。 そんな敵に背を向けるなど、初歩的な失態だ。 普段のディアナならば、こんな迂闊な真似はしないのだが、ヴァルを守らなければという想いに駆られ、他のことを怠ってしまっていた。 誰かを守りながら戦うなんて、初めての経験だったから。 そんな情けない言い訳を胸中で並べ立て、無様に地に倒れ伏した。
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