彼女との思い出と現実

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彼女との思い出と現実

 僕は、一通り出勤のための準備をしておくことにした。もし、帰ってくる時間が予定よりも遅れてしまった場合に備えて、万全の用意をしておく。何があるか分からないから………。 これをしていなかったら、もちろん会社に遅刻してしまうことになる。そんなことは許されない。 自分が好きで勝手に出掛けたのだ。 なのに遅れてしまいましたと言うのは、あまりにも失礼すぎると僕は思う。 だから、念には念を入れて、帰ってきたらすぐにでも出勤が出来るように靴箱の近くに準備した荷物をまとめて置いた。 これなら何があってもすぐに家から出れるし、きっと大丈夫だろう。  忘れ物がないか確認してひと息つく。出勤の準備は完璧だ。あとは動きやすい服に着替えるだけだ。僕が持っている動きやすい服と言ったら、高校生の時に部活でほぼ強制的に購入したジャージとウィンドブレーカーだ。 どこに閉まったかな………。 なんとなく立ち上がり部屋へ向かう。 たしか、高校の思い出をまとめて箱に入れて閉まっておいたはず……。 曖昧な記憶を辿りながら、押し入れに仕舞いこんでいたものを勢いよく、思い切り引っ張り出す。つんっと広がる独特な臭いが鼻腔をくすぐる。青を基調とした爽やかなジャージはこの時期には少し寒ざむしいが懐かしい。 このジャージを部活のみんなで買ったときは本当に嬉しかった。部活ごとのジャージ購入が学校で義務づけられていた。 それで部長が、他の部活以上に思い出に残り、部員との親睦を深める事を目的にみんなでジャージのデザインを考えようと言ってくれた。 それからはみんなで練習終わりに空き教室を借りてどんな色にするか、模様はどうするかなど沢山話し合った。 本当には楽しかったな……。それこそ夢のようで、いま思えば幻だったんじゃないかと思うくらいに。もうこの先僕が味わうことの出来ない日々だ。 チームとして協力すると言う部長の狙い通り、先輩との距離も縮まって毎日が楽しくて、きらきら輝いていて………。 みんなの意見をなるべく取り入れて、より良いものにするために何度も考え直して、ようやくデザイン案がまとまったのが7月後半だった。 夏の暑さの中、皆でスポーツ用品店に持って行ったけど、オーダーメイドだから人数分の製作に半年かかると言われて、秋の大会に間に合わないことに肩を落とした。 それでも、冬の大会ではみんなでこのジャージを来て会場に行ける。嬉しかったし、早く出来上がって欲しいし、これをみんなで着たいと言う思いでいっぱいだった。 誰も欠けることなく会場に行けるのだと、この時は信じて疑うことなかった……。その後に起こることなんて誰もが分からなかった……。分かるはずもないだろう……。皆でジャージを着て大会に出る。僕達のちっぽけな願いは、約束は………… ―叶うことはなかった― 僕は、このジャージを見ると嬉しかった気持ちを思い出すと同時に、思い出したくもない悲しみに襲われる。 はこのジャージに腕を通すことはなかった。正確には通すことが出来なかった。 高校に入学して、彼女と出会い、好きになり、告白して、付き合うことになり…… 毎日が楽しかった。美しかった。色とりどりの世界が広がっていた。完成された物語のように歪んだものは何一つなかった。それなのに……… ―僕の前から彼女は消えてしまった― そんなことがよみがえる。 だから僕はこのジャージを日常から切り離した。 彼女が関わったものが近くにあると締め付けられたみたいに全身が痛くなる。かといって捨てたくなかった。だから押し入れの奥深くに今まで眠らせていた。だけど、今日はそれを引きずり出してしまった。  思い出すと、彼女がいなくなってからの高校生活はそれまでとうって変わって、正真正銘の別物だった。暗くて、何も見えなくて、ただただ代わり映えのない、色のない無意味な世界が広がっていた。どこまでもただひたすらに真っ直ぐに必死に道を歩いたとしても、光の場所へ僕が辿り着けることはもう二度となかった。 今でも思うのは、高校に入学してからのあの4ヶ月はこんな僕からは想像出来ない程に、人生で一番輝いていたと言うこと………。  彼女との宝物である思い出が消え褪せないように、僕は自分の気持ちに蓋をして、一緒に過ごした大切な日々が溢れないように、頑丈に鍵をかけた。こうしないと、他の人達のように本当に僕の前から姿を消してしまうような気がして、怖かったから。だから、何重にも蓋をして鍵をかけていった。それを繰り返していたら、感情を外に出せなくなった。よく笑っていた僕は彼女と共にいなくなった。 だけど僕自身それでよかった。 この想いが消えることがないのならば、どんなに自分が苦しくても、それでいいのだ。  思いがけない所で彼女のことを思い出してしまった。だから僕は、また蓋をする。そして鍵をかける。それでも1度顔を出して外に出てきてしまった想いは溢れて、今まで溜めていたものが濁流のようになって周りに広がって、他の感情まで一緒に飲み込んでしまう。 10年も前のことなのに………。 「…………はは……。」 渇いた自嘲が静まり返ったこの場に虚しく響く。 『もう1度だけでいい、もう1度だけ彼女に会いたい。』 全部この感情に変えてしまう。  しかし、それは現実が否定をしてくる。 けして叶うことのない願いだろうと。 今この場所にいる僕たちが現実の限り、永遠に否定を繰り返す。いくら考えても、どうやっても、彼女を取り戻すことは出来ないのだと。 彼女は何万、何百万、何千万、そんな果てしなくいる人々の前から、姿を消したのだから…。  事実が姿を現す寸前で、僕は考えることを放棄した。これ以上考えても何も変わることもない。 変われることもない。      僕は、何も見えてないふりをして必死に朝焼けを見に行くための準備を再開したのだった。
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