馴れ初め

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馴れ初め

3月の終わりのこと。 「明音(あかね)、ちょっと」 17時半過ぎ、母に呼ばれた。女将として仕事中の母は、白緑(びゃくろく)の訪問着を(まと)っている。母に促されるまま階下へ行くと、番頭の法被をネクタイ姿の上から羽織った父が居間で待っていた。 「明音、座りなさい」 父に言われて、座卓の向かい側に座る。 「実はな……」 聞かなくても、何となく分かってた。うちの旅館の経営状態が良くないこと。17時半なんて、旅館にとっては1番忙しい時間。それなのに、社長の父と女将の母が揃って時間を取れるくらい、館内は閑散としている。それもこれも、この自粛ムードのせいだ。国内のお客さまも海外のお客さまも、ここ1〜2ヶ月、キャンセルが続くばかりで予約はほとんどない。  私は、老舗旅館の長女として生まれた。幸い、弟が居たため、将来、跡を継ぐとか、女将になるとか、そんな重責を担うことなく、今年、20歳になるまでお気楽に生きてきた。  だから、今も、大好きな音楽を生涯の仕事にしたくて、芸大の音楽学部に通って邦楽を習っている。 なのに…… 「えっ!? 嘘……」 「嘘じゃない。もうこの旅館も手放さなきゃ  いけないんだ。  お前の学費もとてもじゃないが……」 そんな…… 「じゃあ、私が自分でバイトして払うから!  それなら、大学、辞めなくていい?」 「……  お前、自分の学費がどれだけ  掛かってるのか、分かってるか?」 私立の音楽学部の学費が高いことくらい、私も知ってる。 「百万円くらい?」 私が様子を伺いつつ尋ねると、父は、 ふぅぅっ とため息を吐いた。 「大体、180万くらいだよ。  そこに、定期代とか、教科書代、  コンクール代、いろいろ乗せたら、200万  超えるんだ」 知らなかった。 言葉が出てこない。  そんな大金、いくらバイトしても稼げないし、そんなにバイトしてたら、練習できないから、音楽をやる意味がない。  もともと、私は中学生の頃から、うちの旅館でアルバイトをしていた。バイトと言っても、接客や清掃ではなく、ロビーでの演奏。幼い頃から、ピアノと琴を習ってきた私は、着物を着てロビーの一角にある畳の空間で琴を披露してきた。  けれど、経営難のうちの旅館でアルバイトをしたところで、意味はない。かと言ってライバルの他の旅館に行くのも憚られるし、自粛ムードの高まるこのご時世、他の旅館も琴の演奏に気前よくお金を払えるところは少ないはず。 どうすればいいの? 「ごめん。  ちょっと考えさせて」 考えてどうにかなるものじゃないことくらい分かってる。 それでも、明日退学届を出すとは言えなかった。  私は玄関から外に出る。 玄関とは言っても、うちは旅館の建物の一部に住んでいるので、旅館の勝手口のようなものである。 春分から1週間ほど過ぎた今日は、18時過ぎとはいえ、まだほんのりと明るい。 私は、そのまま護岸沿いに歩く。 せっかくの海岸沿いの道路なのに、2メートルほどの高さの護岸が続いているので、全く海は見えない。 300メートルほど歩いて、護岸を超えるための階段を上り、反対側の砂浜へと下り立った。 私は砂を踏みしめながら、ゆっくりと散歩をする。 寄せては返す波の音と、嗅ぎ慣れた潮の香が、私の心に少し落ち着きを取り戻させる。 幼い頃から続けてきた音楽を辞めたくはない。 だけど、他に続ける方法もない。
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