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正輝さんの部屋は、露天風呂付きのゆったりとした部屋で、うちの旅館の客室の中でも最上級の部屋の一つだ。私も今まで一度も入ったことがない。夏休みとかに人手が足りなくて手伝いに駆り出されることはあっても、私にやらせてもらえるのは、もっと安いお部屋の清掃くらい。
「へぇ、こんなふうになってるんですね」
私は思わず、部屋を見回してしまった。
「くくっ
明音んちの旅館なんだけどな」
正輝さんは、私の髪に優しく触れた。
「明音は、長い髪が好きなのか?」
私の髪を指に絡めながら、尋ねる。
「好きっていうか、着物を着る機会が多いので、
長い方がいろいろと便利で……」
なんとなく、ショートカットで着物を着るより、ロングヘアをアップスタイルにしてる方が、しっくりくる気がして……
「ああ、そうだよな。
だから、高校を卒業しても染めたり
しなかったのか」
「ふふっ」
私は思わず、笑ってしまった。
正輝さんが怪訝な目で私を見る。
「気付かないかもしれませんが、これでも
染めてるんですよ」
私は高校を卒業した時、友達に誘われて美容院に行った。明るい色に染める友人に付き合い、染めることにはなったけど、あんまり派手な色だと着物を着た時に浮く気がして、地毛だと言い張っても通りそうなくらいのダークブラウンに染めた。自分でも結構気に入っていて、それ以来、ずっと同じ色に染めてもらっている。母からはよく「それ染める意味あるの?」と言われるけど。
だから、たまにしか会わない正輝さんが気付かないのも無理はない。
「そうなんだ?
じゃあ、これからは、ずっと一緒に
いられるし、ちゃんと明音の変化に
気付けるようにしないとな。
楽しみだな」
そう言うと、正輝さんはそのまま私を抱き寄せた。
えっ、うそ、どうしよう!?
正輝さんの腕に包まれてると、ドキドキして心臓が爆発しそうなんだけど、でも、あたたかくて優しくて安心もする。これからは、ここが私の居場所になるのかな。
こんな時、どうすればいいの?
私も正輝さんの背中に手を回せばいいの?
でも、それもなんだか恥ずかしいし……
そんなことを思って、宙ぶらりんになった自分の手を持て余していると、呼び鈴が鳴った。
父だ!
そう思った瞬間に緊張が胸を駆け巡る。
どうしよう。叱られたりするかな。
それまでとはまた違うドキドキが胸を支配した時、正輝さんは、そっとその腕を緩めた。そして、その手を私の頭に置き、
「大丈夫。
俺が説明するから、明音は聞いてるだけで
いいよ」
と囁いて、入り口へと向かった。
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