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正しいアルコールの使い方
占いというのは実のところ、未来を当ててほしいだとかその未来に備えてなにか対策をしたいとか、そういう客が来るわけではない。
とどのつまり現状の相談がしたいだけなのだ。
それは人生そのものだったり、仕事のことだったり――恋愛相談だったりするのだ。たとえばそう、このぼくのように。
「よくわかってんじゃねーか、その通りだよ」
そう言ったのは丸テーブルを挟んで向かい側の男だった。ロウソクの灯りだけの暗くて怪しい雰囲気の部屋だが、線の細い整った顔立ちというのがわかる。そして若い。いや大学生のぼくが言うのもあれなんだけれど。
「……勝手にぼくの心の中、読まないでくれますかね?」
占い師はつまらなそうに、「はん、こうすると金を出す気になるだろう? ああ、この人は本物だって思うもんなんだよ」
「はあ」
まあ確かに心を読める占い師というのは普通の人間にはない能力を持っているということなのだろう。
「ま、ぶっちゃけお前の心の中なんて読めないんだけどな」
いや読めないんかい。
それに客のことをお前って。
占い師は手元の水晶玉を撫でながら続けて言った。「いまのはコールドリーディングってやつだよ。超能力でもシックスセンスでもましてや未来視でもない。ただの人類の英知だな。俺が言うのも変な話だが、占いに来るやつの気が知れねーよ。人と話すだけで大切な金を払って。なにを考えてんのかね。俺は儲かるからいいんだけれどさ」
ぼくは占い師の顔をじっと見た。
……なるほどなるほど、そういうスタンスか。
でもそう簡単には騙されない。
大事な時には口下手なぼくだが、この占い師に対してはそうじゃない。
「――嘘、ですよね?」
そうぼくに言われた占い師はさすがというべきか、顔色ひとつ変えなかった。
「なんのことだ?」
「いや、ぼくの大学の金持ちがね、言っていたんですよ。あなたに頼んだら魔法のようなアイテムを出しくれて彼女ができました、と」
占い師は鼻で笑った。
「なにを言い出すかと思ったらそんな雑誌の危ない広告みたいなことか。お前な、よく考えてみろよ。確かについ最近金持ちの大学生はここを訪れた。それに恋愛相談だったのも本当だ。しかしだな、大学生の男なんてちょっとアドバイスすれば彼女のひとりやふたりできるもんだ。違うか?」
「違いますね」ぼくはきっぱりと言う。
「なぜだ?」
「そいつね――めちゃくちゃブサイクなんですよ。デブだし。それに」
「………‥それに?」
「その理論でいくと、ぼくに彼女がいないのはおかしいでしょう?」
占い師は一瞬黙ったあと、破顔するとお前も大概ひどいヤツだな、友達なんだろう? と言った。
「――で、ぼくにも魔法のアイテムくれませんかね?」
「だから、そんなものないって」
「あなたにとっても都合のいい話だと思いますよ?」
占い師が目を細めた。「……どういうことだ?」
「ぼくがあなたを訪れたことを周りの大学生に吹聴します。魔法のアイテムの件は全くのデマだったとも。……あなたはそのアイテムを使って金儲けをしている。もうとっくに有名ですよ。少なくともぼくの大学のなかではね。だからあなたは有名になった。ひっきりなしに客が訪れる。とても忙しい。そしてあなたはその噂は嘘だと言うのがとても面倒になっている――違いますか?」
占い師が顎に手をあて数秒考えたあと、
「……わかったよ。いいだろう。その代わりしっかりやってくれよ」と言った。
「……もちろんですとも」
ぼくは拍子抜けした。こんなにあっさりうまくいくとは。
でもこれでいい。
これでぼくはあの勝負――負けられない戦いに勝てる。
「――で、相談内容なんですが」
「わかっている。つまり大学の先輩とキスをしたいんだろう?」
「……やっぱり心の中、読めるんじゃないですか」
「これは俺の能力じゃない。アイテムの力だ。まあその犯罪めいた相談内容の理由は聞かないが……。えーとちょっと待て。確かあのアイテムが……」
占い師は立ち上がると反転し自身の背面の棚のカーテンを開ける。どうやらぼくに合った魔法のアイテムを探しているようだ。
「ちなみに自分のために弁明しますと先輩に無理やりキスしたいからじゃないですからね」
「じゃあなんでだ?」占い師は振り返らずに言う。
「先輩と勝負したんですよ」
「勝負? なんの?」
「キスをすることができたらぼくの勝ちってことで彼女になってくれるんです」
「……それ、無理やりでもいいのか?」
「無理やりはだめです」
「……アイテムを使ったら強制的にってことにならないか?」
「いえ、あくまで相手からしてきたことになるアイテムにしてください」
「……なかなかの外道だな、お前……ってあったぞ。これでどうだ?」
占い師がテーブルに置いたものは――
「さかずき……ですか?」
「そう、名付けて『銀色の杯』」
「銀色の杯……ザ・胡散臭いですね。まあいいですけれど……それで、使い方はどうするんです?」
「こいつはすごいぞ。これを右手に持って願うだけでなんと! どんなアルコールでも湧いて出てくる魅惑の杯なんでだよ」
「……アルコール?」
「そうアルコール」
「まさかとは思いますが、酔わせてどうにかしろってんじゃ?」
「そう、その通り! 『飲まして酔わしてドッキドキ』大作戦!」
そのとき、なぜかロウソクの灯りがふっと消えた。室内の温度がぐっと寒くなった気がした。
おっと、いけないと言って占い師が火を灯すと、
「まあ、聞けって。悪い話じゃあない。面白い決まりが三つあるんだよ」
「面白い決まり?」
「そう。アイテムのルールだな。つまり――」
占い師が言ったことを要約するとこうだ。
一つ。
ぼくは対象者を決める。その人にどんなアルコールでも提供できる。ぼく自身が飲むことは無理らしい。
二つ。
選択した相手は一度だけチェンジできる。心変わりがあるかもしれないからだそうだ。
三つ。
飲んだ相手はぼくにとって都合のいい酔い方をする。
説明をすべて聞いたぼくは相当微妙な顔をしていた。
「……あ、その顔。疑っているな? さっきも売れたのになあ。この《魔法を無効化する指輪》と一緒に」
「ちなみにいくらですか? コレ」
「安いぞ。十万円」
「高い。無料にしてください」
「無料ってバカ、お前。俺を野垂れ死にさせる気か? いいんだぞ、無理して買わなくても」
「さっき話したぼくの友人からふんだくった金額……知ってますよ。それにコレさっきも売れたんですよね? 随分儲かっているんじゃないですか?」
「さてどうだろうな。払えないなら帰りな」
「……噂の火消しをできるってことは、その逆もぼくの気分次第なんですけどね?」
占い師の表情があからさまに曇った。
「……じゃあ五万でいいぞ。これ以上は無理だ」
「わかりました。ぼくにも良心があります。一万円でどうでしょう」
「無理だ! ……四万円でどうだ?」
「一万円です」
「……三万」
「一万円です」
「じゃあこの『魔法を無効化する指輪』もどうだ? さっきも売れた人気商品なんだ。セットで三万円にしておくぞ」
「要らないです。一万円でお願いします」
「オプションで意中の相手と偶然出くわすようにしといてやる。それ込みで二万円でどうだ?」
「一万円でお願いします。おっと、オプション込みで」
「……じゃあ――」
「一万円でお願いします」
「……わかったよ。じゃあ一万円でもってけ! ……ただし噂の件だけはしっかり頼むぞ。ほら、さっさと出ていけ。俺も忙しいんでね」
「ありがとうございます。……わかっていますよ。じゃあ、お代はこれで」
ぼくは一万円を渡して杯を受け取ると席から立ちあがった。
「ああ、お前と話して疲れた。これからたくさんの客を相手にすると思うと憂鬱だぜ」
占い師はぼくの背後で座ったまま言う。
ぼくは出口のドアを開けようとしたところで振り向いた。
「あ、そういえば、なんですけど」
「なんだ?」
「これだけ便利なアイテムがあれば、噂を消すアイテムくらいあるんじゃないですか?」
占い師はその手があったか、という顔をした。
*
占いからの帰り道。
日差しが強い。
ぼくは自身の右手を見た。
優勝トロフィーみたいな形をした銀色の杯が、そこにはあった。
これで勝負に勝つことができる。
あのめちゃくちゃ可愛い先輩を彼女にできる。
先輩が冗談で言ったあの条件――「キスできたら彼女になってあげる」
この杯から出るアルコールを飲めば、ぼくにとって都合にいい酔い方をするらしい。
ちょっとズルだが、あんなことをけしかけた先輩がいけないのだ。
いやだいぶズルだろうか?
そうやってまるで生産性のないことを考えつつ、大通りの方へと角を曲がる。
――するとすれ違いざまに人とぶつかりそうになった。
「あっ、と……すみません」
「ああ、こちらこそ」
顔を見合わせる。
どえらい美人がそこにはいた。というかこの人は――
「……霧島先輩?」
「へ? なんだ、遊太じゃないの」
目の前で「よっ」とえくぼを作る女性。この人こそがぼくの恋するお相手――霧島先輩。
ぼくは見慣れている先輩にまた目を奪われた。
カフェオレ色の柔らかそうな髪の毛。それがまっすぐ肩甲骨の先まで伸びている。
丸みを帯びた優しい眉の下には真っ黒で長いまつ毛が大きな瞳を縁取っていて、緩やかな丘を描く可愛い鼻に小さくきゅっと結ばれた唇。
時折見せるいたずらっぽい笑顔が溜まらない。
なのだが……どうしてここに?
あ、そういえば。
――オプションで意中の相手と偶然出くわすようにしといてやる。
あの占い師。本当にオプションをつけてくれたのか。
感心感心。
「おーい、遊太? 何考え込んでんの。ていうかこんなとこでなにやってんの?」
「えーと、まあ別に――」先輩との恋模様を占ってました、とは言えない。
「なによ」
「あ、そうだ」
「ん?」先輩は小首をかしげた。
「あの、先輩。……のど、渇きませんか?」
*
歩いて数分の公園。
ベンチに座っている。ぼくが右で先輩が左。
ぼくのほうが頭ひとつぶん、先輩よりおおきい。
周りでは子どもたちがわーきゃーとはしゃいでいる。平日の昼間に公園でのんびりできるのは子どもと暇な大学生くらいなものだろう。
「まさかお酒とはねー」言いながら先輩は例の杯を握りしめている。
「ええと、アレですよ、先輩はほら、カクテルが好きだから」
「まあそうだけどさ……それにしてもどんな手品なの? これ」
「それはえーと、企業秘密です」
『なんかカクテルを!』と念じたらマジで《ジントニック》が湧き出た。
そのときのぼくの驚きようと言ったらなかった。
ちなみに念のため毒味してみたらめちゃくちゃ美味かった。
先輩はというと手品だと思い込んでいるみたいで、もう何杯もグイグイ飲んでいる。パタパタと足を動かし機嫌がいい。
いまはカクテルの《カミカゼ》に夢中だ。
――相変わらず可愛い。年上だけど、可愛いという言葉がぴったり収まる。
ひとつひとつの仕草もそうだが、いまは頬も朱に染まり、しかしほっそりした白い首筋とのコントラストでかわいさを増している。
先輩は頭をぐっと後ろに倒すと一気に無色透明の液体を煽る。
「うん、このちょっとした苦みと後から来る酸味が最高だよね……つぎ、お願い」
「……はい」
先輩はいつもの十割増しで飲んでいた。
ジントニックに始まり、モスコミュール、レッドアイ、マティーニときて、モヒート、キール、ギムレットにマンハッタン、スクリュードライバー、バラライカ。そしてカミカゼ。
この人はいったいどこに特攻するつもりなんだ?
「――はい、どうぞ」
「ん、ありがと。これは?」先輩は首をぐわんぐわんと回転させていた。
「ソルティドッグです。……って大丈夫ですか?」
「うーん、ちょっと酔ってきたよ? なんだこの味。しょっぱくて甘酸っぱくて――遊太みたい」
「……なに言ってるんですか」
「さっきの《カミカゼ》があたしで、コレが遊太らの」
……どうやら酔いはちょっとどころじゃないようだ。
「先輩、ちょっと飲むペースが――」
突然、トン、と左肩に先輩の小さな頭がもたれかかる。
「……先輩?」
――飲んだ相手はぼくにとって都合のいい酔い方をする。
……おいおい。いいのかよ?
青春の思い出ランキング堂々の一位だぞ。
殿堂入り間違いなしだ。
でもまずい。どうすればいいんだ。
このままキスしちゃえばいいのか? 平日の昼間の公園だぞ?
どうしよう。
って自分が望んだからこうなったんだけど。
でも待て。なんで先輩は無言なんだ?
ああ、ちくしょう。やたらいい匂いがする。
ぼくと同じ生き物だとは思えない。
と思っていたら先輩から艶めかしい吐息が漏れた。
見ると濡れた小さな唇を自身の舌でぺろり、と舐める。
ぼくの血圧はたぶん三百オーバーだろう。
心臓が木端微塵に爆発しそうだった。
「先輩、ちょっと――」
「んー?」
「あの、これって……」
と、そのとき。
甲高い叫び声が聞こえた。
ぼくと先輩は同時に肩をビクッとさせ、公園の中央を見る。
ぼくが見たものは、「……なんだ、ケンカしちゃったみたいですね」
子ども同士の取っ組み合いが始まっていた。
先輩もただ、子どもたちの喧嘩をみている。
「――あぁ、やめとけばいいのに。ねえ先輩。あんなでかいやつに敵うわけがないんですよ。ほら、ボコボコですよ、ボコボコ。見ていますか? ほら、向こうの――」
「あのさ、遊太」先輩の声色が突然鋭いものに変わった。
「……どうしました?」
「子どもって、すごいなぁって思わない?」
「はい?」
どうしたんだろう、急に。
「いやさ、ちゃんと自己主張をするじゃない? あんなケンカしちゃってさ。大人になるとああは出来ないものだよね」
「……まぁ、そうですね」
そりゃあそうだよ。
言いたいことを素直に言えたらなんも苦労はない。
ぼくだってそうだ。
先輩に好きだと言えたらどんなに楽か。
いつもは口が回るほうのぼくだけれど、先輩に対してはついこんな道具に頼ってしまった。
それはなんでだろう。と考えて、ああ、この人のことを真剣に好きだからだという結論に至った。
「――ありゃ?」先輩が頓狂な声を上げた。
ぼくが先輩の視線を追うと、どうやら少年が逃げるようにこちらへ向かって走ってくるようだった。
そして途中で派手に転んだ。
「あーあー……」
ぼくはベンチから立ち上がると少年に駆け寄る。
「おい少年、大丈夫か? あー……けっこう擦りむいたな」
先輩も後を追ってくる。「あらら、痛そう。はやく消毒しないと」
「そうですね。あ、でも近くに薬局なんて」
「……ないよね」
ぼくがどうしようかと考えている間にも、少年はわんわん泣いている。
これでもかと感情を露わにしている。
――そんな様子を見てぼくは、なんだかちょっとだけ羨ましいと思ってしまった。
ぼくはどうしても大好きな先輩とお付き合いしたい。
でもこんな手段に頼っていいのだろうか?
ちゃんとぼくの想いを先輩に伝えるべきではないのか?
「遊太。どうしよう」先輩が泣きそうな声でぼくに尋ねる。
先輩は自分のこと以上に人を労わる人なのだ。優しい人なのだ。
「ああ、そうですね……。せめて水で流しますか?」
近くに水道があったはず。
「でもこの子、動けないかも」
「……それならこの杯で水を汲んで――」
あ、そうだ。
あいつ――あの占い師は『どんなアルコールでも』と言ったんだ。
対象者を一度だけ変えられるとも。
だからできるはずじゃないか。
ぼくは杯を少年の前に掲げた。
「消毒用エタノール!」
その瞬間、杯からあの保健室の臭いが溢れ出した。
少年はその不思議な光景を目の当たりにしてピタリと泣き止む。
「なあ少年。ちょっと染みるけど、男の子なんだから我慢しろよ?」
少年は力強く頷いた。
*
消毒が終わると、少年はまた友達のもとへと戻っていった。
もっとも、これでもう先輩に杯は使えなくなったんだけど。
「――やるじゃない。見直しちゃった」
「こんなの、いつも通りですよ」
「調子に乗らないの」
……ってあれ? そういえば先輩は酔っぱらってたんじゃ?
「先輩。酔いは覚めちゃったんですか? そんなにすぐ覚める量じゃ――」
あ。
そこでやっとぼくは気がついた。
先輩が左手の小指にはめているその指輪に。
先輩はぼくの視線に気が付き、いたずらっぽく笑った。
「それってあの占い師の……まさか先輩。あんなところにいた理由って」
『さっきも売れた』その相手って。
「――さて、どうでしょう?」
……最初から酔っぱらっていなかったのかよ。
あの占い師。オプション付けてなかったのか。
一万円返せ。
ん? でも待てよ。ということは、あのベンチでの密着は先輩の本心――
「ねぇ遊太?」
「なんです――」
いきなりぼくの視線が地面に向いた。一瞬おくれて、先輩がぼくの右肩をグイと下に引っ張ったのだと気が付いた。
そしてぼくの頬に柔らかいものが触れた。
先輩がぼくにキスをした。
「これは見直しちゃった分の特別サービス。……えへへ、特攻しちゃった。――遊太のほっぺは甘酸っぱくないね?」
「……先輩、もう一度お願いします」
「だーめ」
「お願いしますよ」
「我慢しなさい、男の子でしょ?」
ちぇっ。ケチ。
――でもまあいいんだ。
ぼくは負けられない戦いに勝ったんだから。
「ほら、いくよ?」先輩が左手を差し出した。
ぼくはその左手を、白くてきれいで柔らかそうな左手をじっと見つめた。そして言った。
「先輩、ぼくは先輩のことが好きです」
「……うん、知ってる。だから、一緒に行こ?」
ぼくは頷くと、右手に持っていた杯をゴミ箱にシュートした。
そうして空いた右手で先輩の左手を繋いだら先輩の指輪がぼくの手に触れた。
ぼくは今度べつの指輪をプレゼントしようと、そう思いながら、先輩とふたりで歩いて行った。
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