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血が好きだ。
最初に『ソレ』を自覚したのはガキの頃にテレビで偶然見たホラー映画だった。
「吸血鬼が夜な夜な美女を襲い、その血を啜る。」
映像娯楽が溢れた現在ではあまりに普遍的で、チープで、リアリティの欠片も無いモンスターパニック。
自分の生まれる半世紀以上前の画質の悪い『首に噛みつき血を吸うバケモノ』の映像。
そんなものを『俺』は何度も何度も再生した。
何度も何度も何度も何度も。
首に噛み付かれ、血を吸い尽くされ、果てる女を瞼に焼き付けた。
そして行為に及んだ。
決して貧しい訳ではないが、夜遅くまで帰ってこず、放任主義だった親。
その親に食費として渡されていた金で生肉を購入するのが日課になっていた。
なるべく血の滴る内臓を咥え、吸血鬼の凶行に意識を集中させ。
「この『吸血鬼』のように血を啜りたい。」
そんな叶わぬ妄想に浸りながら、擬似的に快楽を誤魔化していた。
「足りない。」
足りない。
こんな『死んだ血袋』じゃあとてもじゃないが足りなかった。
生きた血を求め、鮮魚やら、ペットショップで買った小動物やらも試してみたがどれもピンとこない。
どうやっても満たされない。
そんな悶々とした日々が続いていた。
近所の子供を攫ってやろうかとも考えた事がある。
だが、理性がそれを邪魔した。
多感な年頃だった『俺』は、罪悪感やら背徳感から血に対する欲望を抑え込んでいった。
そして親元から離れ、アパートで一人暮らしをする頃にはそんな苦悶渇望の日々を忘れ去ってしまっていた。
それなりに働き、生きる分には困らない程度の生活。
特に欲しいモノも無く、恋愛も結婚願望も興味がない。
決して多くはない収入ながら貯蓄はそれなりにあった。
不自由ない生活。
ごくごく平凡な営み。
普通の人間。
その筈だった。
「あ、あのぉ〜、こ、これぇ、落としました、よ?」
食糧調達に近所を歩いていると、背後から長髪の女が話しかけてきた。
目の下には隈があり、人と話をするのが不得手としか見えない、オーバーサイズな長袖の服を着た女。
その手にはポケットに入れていた筈の俺の財布が握られていた。
「あ、どうも……。」
財布を受け取ろうと手を差し出すと、女は小刻みに震えながら手渡す。
「ぐ、くあっ、偶然落としたのを見つけ、見かけたので、拾った……ん感じです。す、すみません!」
なるほど。
口籠る彼女の様子を見るに、コレは『偶然ではない』という事がハッキリとわかった。
それなりに女性にアプローチを受けた事があったので彼女が『常に背後にいた』のは容易に想像がついた。
故に。
「それじゃあ。」
その場を後にしようとした。
「財布を拾った女はストーカーだった。」
それ以上はどうでもよかった。
あの様子だとこちらに危害を加えるような度量は無いだろうし、勝手に見られようが不快感も何も感じやしない。
例え、この後逆恨みされ『殺されようともどうでもいい』と思っていた。
「あっ……。」
去ろうとする俺をなんとか呼び止めようとでもしたのだろうか、女は此方に手を伸ばしよろける。
届かぬ存在に哀しむ目をする。
刹那。
「…………」
俺は女の腕を掴んでいた。
女の身体がのしかかる。
何も、バランスを崩し、倒れる彼女を介抱した訳では無い。
そんな『どうでもいい理由』では腕は掴まない。
「……これは?」
女は青ざめる。
「あ……う、あ……コレ……その……。」
女の手首には不自然な傷跡があった。
偶発的には出来ない、並行にならんだまっすぐな刃傷。
「じ、自分で……。」
軽蔑され嫌われる。
否、人によっては激怒しかねない行為。
だが。
だが。
「あぁ……」
定規の目盛りの様に並んだ傷。
そのうちの一つはまだ真新しく、プクリと血豆が出来ている。
掴んだ手を少し圧迫させると更に血が滲み出す。
ああ。
「美しい。」
ぺろり。
「え?」
ぺろり。
舐めとり、下の上で転がし、砂鉄を舌に乗せたかのような味わいが脳に炸裂する。
親も、ストーカーでも、自分自身でさえも知り得なかった過去の情熱。
血。
人血。
吸血。
いつの日か、いつの間にか、生きる意味というのを感じれていなかった。
当たり前だ。
『血を失っていたのだから。』
血のない生など、死んでいるのと同じだ。
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