6.ゆめとうつつがひっくり返る、勝ち負けもまた

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6.ゆめとうつつがひっくり返る、勝ち負けもまた

 紫のシールが勝ちにつっかえて通せんぼをしてきました。  そこ、通してくれ。  無理。  そこを、なんとか。  幾ら出す?  ねじこんだ百ドル札。喋り出すホテルマン。  母さん、ツーよりスリーの方が面白いこともあるんだね。  奇跡よ。    僕は大根置いて逃げてこいゲームに勝てそうもなくって、人生の勝ち負けに思いを馳せていた。  跨る意識、飛び跳ねる馬。  馬に生えた翼は、馬の色を白に染めるペンキになって、やっぱり馬は空を飛ばない。  男のジェスチャーは、確かに僕の死を予言していた。  これはつまり、死への恐怖、なのだろうか。  僕はこれまでにどれだけの勝負、戦いに勝ったり負けたりしてきたかな。  それらが集約された形で大根になったのだろうか。  混ぜたら色は黒になるはずだ、ごぼうの方がそれらしいぞ。  幼稚園の頃、ご近所のお下がりだった通園帽の名前欄がマジックで黒く塗りつぶされていることをからかわれた。  ぐちゃぐちゃ組のぐちゃぐちゃ君。  と、数人に囲まれて。  戦いは急に始まる。望もしないのに。勝つことを強いられて。  大型の積み木、三角の、屋根にするやつ。あの鋭角でぶん殴ってやった。  母さんと僕はレディーボーデン持って謝りに行った。あの日以来テレビの中の謝罪会見を観る度、母さんはレディーボーデンと魔法のように呟くのだ。  448点。  中学三年の時、期末テストで学年二位になった。  惜しかったね。  片思いしていた早乙女さんにそう言われた。  それまで最高でも十位以内に入ったことのなかった僕には、惜しかったねという言葉が耳の中でグルグルといつまでも回っていた。  二位でも十分勝ちだったのに、自分の中の勝ちも、誰かには負けになるのだとグルグル回る言葉に教わった。  懸垂の回数。  プール授業、飛び込みのフォーム。  学校生活で勝った思い出は指折る指が寂しがる程度。  手のクロッキー、売られたケンカ、バレンタインのチョコの数、電話の子機の数、経験した年齢。負けた数なら指の足まで準備運動にクニクニ始める。    人生。  求めもしないのに、勝つことを強いられて、戦いの渦中に放り込まれて。勝とうともがいては負けて、なんとかかんとか勝ったりもして。  なんなんでしょう。  これは。  焼却炉で焼いた文芸部の冊子が僕に囁く。  勝った気か。運動部ども。  いや、お前の書いた小説、僕は読んだんだ。アイスモナカが食いたくなった。作り物の悲鳴を聞きたくなった女の気持ちもちょっとわかったよ。  僕は、大根を落っことす。  砕けた大根の中身は、いけない白い粉でも、拳銃でも、魂虫の標本でもありませんでした。  ひっくり返ったゆめとうつつ、勝ちと負け。  肥大していた恐怖心が、砕けた大根と一緒に霧散して、途端に負けん気がむくむくと白くない羽になって生えました。  戦って戦って、負けると死ぬかもわからないから、とりあえず勝っとけ?  大根置いて逃げてこい、しくじったら死ぬ?  勝ったら? 強いられたうつつに負けて生きることを得るだけ。  負けたら? 首をかっ切られる。男が僕の首を切りにくるのか? それとも大根を置いて逃げずに今日を終えた瞬間、透明だった執行人が鎌を振るうのかな。どちらにしろ、負けた先の方が開けてみえてくるもののバリエーションが色々だな。    負けてやろう。  と、僕は思いました。  大根は用意します。  後輩の家庭菜園から一本。貰ってきます。  そして、どこぞの違法鍛冶屋を訪れて、許可証もなしに刀を仕込んで貰うんです。  首を切る男か死神か知れないそいつを、逆にやってやるんです。  負けられない戦いなんて、思い込みだよ。  僕は声を聴きました。  大根葉か、アイスモナカか、視神経か、それともただの空耳か。  僕は大根を貰いに、行きます。
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