ーPhobiaー恐怖なるもの

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 水地昭(みずちあきら)は人が怖い。  特に触られると駄目だ。あの五本の指が昭の頭をわし掴み、あるいは肩に優しく触れて。次に降ってくるのは父親の拳か、母親の甘ったるい自己弁護、同級生からの嘲笑、罵声。昭にとって嫌なことは、誰かが触れてくることから始まる。  今だってニヤニヤ笑う同級生達が昭の席を囲んで、一人が昭の肩を押さえ込んでいる。教室のど真ん中、男子生徒数人に囲まれた昭を助けてくれる者はいない。みんな見て見ぬふりだ。  「ど、だ、ど、どうしたの?」  昭は活舌が悪い。それが気持ち悪いのだと周りは言う。案の定、同級生たちは嫌な笑みを深めた。  それを見て、掴まれた肩を余計に意識してしまう。伝わってくるのは生温い相手の体温。嘲笑を浮かべる彼らの悪意が、毒となって染み込んでくるかのようだ。  小学生の頃はばい菌遊びが流行った。昭をばい菌と呼び、まず誰かがタッチしてくる。そうして「ばい菌が移った」とクラス全員が逃げ出すのだ。  昭をばい菌だと言うのなら、触れなければいいのにと一人残された教室中で思ったものだ。そして、触れて菌が移るのなら、きっと相手の毒だって移ってくるだろうとも。  中学生になって、ばい菌遊びはなくなったが、菌扱いはまだある。だから女子は近寄ってこないし、男子は逆にこうやって近づいてきて…「よう、菌くん」  「よう、菌くん。ちょっと臭うぜ? 俺たちが洗ってやるよ」  昭が最後に風呂に入ったのは一週間前だ。家では大人のいない時に火を使ってはいけないことになっている。父親は仕事からの帰宅が日をまたぐこともある。母親は実家に一人で帰省中で、こうなると二か月は戻ってこない。  親切めいた同級生の言葉だが、今回もこのままトイレに直行だろう。昭の頭を便座に押し付けて、じゃあじゃあ水を流す。  彼らは汚い、臭いと言うくせに、わざわざそういう場所に昭を連れて行くのである。  相手の、肩に込められた力が増した。拒否も逃亡もできない。  人が怖い。触れられるのが怖い。触れて、掴んで、そうしてみんな昭を馬鹿にする。  肩の感触が気になってしょうがない。昭には、周りの人間の方がよっぽど醜く卑しいものに思える。彼らの内側はきっとドロドロに腐っている。そして昭を馬鹿にしながら、その中身をこちらにぶちまけるのだ。その声から、視線、特に触れた場所からは、ダイレクトに相手を感じて、吐き気がした。  このまま触れられ続けていれば、移された毒で昭の体も腐り落ちてしまうのではないだろうか。  怖い。  触らないでくれと、心底思う。しかしそんな昭の願いに反して、別の男子生徒たちもそれぞれ昭の両腕を担ぐ。このまま無理やりトイレまで運んでいく気だろう。触れた範囲が広がって、生温い体温が浸透してきて、昭の体の中で腐敗が一気に広がったように感じる。  黒っぽく変色した肉が、ぐちゃぐちゃ音を立てながら昭の体内で踊っている。そんな光景が思い浮かんで全身が震えた。  怖いのだ。  触れられるのが怖い、自分を馬鹿にする他人が怖い。怖くて怖くてたまらない。  瞬間、頭の中で恐怖が爆発した。爆発は昭一人の体では抑えきれず、そのまま外側へと発露する。  昭の周りで、同級生の体が弾け飛んだ。  壁に叩き付けられた一人がのろのろと起き上がった瞬間、ずるうっとその頭皮が毛髪ごと脱落する。見る間にその顔が、手が、黒く変色し、崩れ落ちていった。今まで遠巻きに見ていた別の生徒たちが悲鳴を上げる。  だが、昭の耳にその声は届かない。  怖い、怖い、怖い。  近寄らないで、触らないで、その腐った毒を僕に移さないで。    誰かが叫んでいる。  恐怖症発症。発症レベル4、種類は対人、接触。速やかに発症者を拘束されたし。
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