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まだ泉桜の祖父母が村長をしていた時代のことだ。
足を悪くし、退役となった若い頃の老爺は、身寄りのないまま砂敷村に辿り着いた。
時はつつがなく流れ、現在老爺は自警団のまとめ役として村人に慕われている。
老爺は少し切なそうな顔で辺りを見渡した。
「この村は優しい人達ばかりじゃ。皆の善意を儂は信じとる」
それに御姫様も何の考えもなく彼を置くことにした訳ではなかろう、と老爺は言う。泉桜は力強く頷いて、言葉を繋いだ。
「村では基本的に私と一緒に行動してもらいます。少なくとも皆さんの信頼が得られるまでは」
「御姫様が駄目な時は、俺が一緒に行動する。他にも協力してくれる人がいれば助かるが……。彼と一緒にいるのが怖いってなら、俺がする」
十和が朗らかに宣言すると、風向きは急激に変わった。
「俺もいいよ」
「俺も。あいつが眠ってる間は俺だって御姫様の家の見張りをしたりしてたんだ」
「俺だって。ここで怖がってたら何の為の自警団だよ」
若い男達を中心に賛同が広がっていく。
年配の男達もその空気に触発されて、やってやろうか、という雰囲気になっている。反対の声はもう聞こえなくなっていた。
「皆さん」
泉桜は両手をついて、深々と頭を下げた。
「宜しくお願いします」
頭を上げてください、という慌てふためいた声があちこちから上がったが、泉桜は暫く動かなかった。
村長の決定とは言え、こんな小娘の話に耳を傾けてくれる。
そして実際に危険を犯すのはここにいる自警団の男達だ。
有り難くもあり、申し訳なさもあった。
「……ちっ」
緊張が解け、飽和した空気の中、立ち尽くしたままの男が舌打ちした。拳を強く握り、恨めしそうに村人達を睨みつけている。
それに気づく者は誰もいない……。
* *
「源さん、十和くん」
十和ともう1人の男に支えられて去って行こうとする老爺を泉桜が追いかけて引き留めた。
足を止めた一行が振り返ると、家の入り口で頭を下げる泉桜の姿があった。
「あの、本当にありがとうございます。今日の話し合いが纏ったのは、2人のお陰です」
十和は屈託なく笑って首を振った。
「良いんだよ、泉桜。俺は俺が思ったことをしただけだ」
正式な場以外では、十和は泉桜のことを呼び捨てで呼ぶ。十和としては5歳下の妹のような存在なのだ。
源はゆっくりと泉桜の方へ体を向けるとこちらこそ、と曲がった腰を更に曲げた。
「こちらこそありがとうございます。儂は今日、とても嬉しかった」
源さん、と慌てて体を支えた泉桜を、源は心底嬉しそうに笑って泉桜を見つめた。つぶらな瞳が三日月の形になる。
「御姫様はこの村の優しさの権化みたいなお方じゃ。御姫様のお心が十和や、他の者にも伝わっておる」
そこで源は言葉を切って、両隣で己を支える2人を順繰りに見た。
「皆良く成長してくれた。辛いことにも負けず、まっすぐに。それが嬉しかった」
ありがとう。
心の底から湧き上がってきたような、深い声だった。
泉桜は上を向いて涙を堪えると、嬉しそうに笑ったのだった。
* *
遠くからトンビの鳴き声がしている。
夏の気配を孕んだ生温い風が格子窓から入ってきて、まだ夜の空気が残る家の中を徐々に温めていた。
日の光は入ってきていなかったが、空は高く澄んでいて今日も天気が良いのだと分かる。
「何か思い出した?」
包帯を取り替えながら泉桜に問われて、佑真は途方に暮れた。
「何も」
佑真は肩の火傷を負った時のことを全く覚えていない。
それは右手の切り傷に関しても同じだ。
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